はじめにの項目に私の妊娠~出産までの話も少し書いておきます。


私は月のものが不順(無月経)だったりしたので妊娠自体も難しい状態だった

んですね。多嚢胞性卵巣とかいう病名、あと潜在性高プロラクチンとかそういう名前も付けられてたと思います。


それで飲み薬&筋肉注射で不妊治療2回目で妊娠に至ったわけですが

それから本当に壮絶な戦いでした。


生まれてくる子供のものを買い揃えたりそれなりに楽しいマタニティーライフを

思い描いていた私はこんなのあり?・・・みたいな感じで

楽しいなんてひと時も思えたことなかったです。

ただただ苦しかったです。


妊娠12週~少量の出血があって妊娠16週までかかりつけの産婦人科で入院。その間に一番嫌なつわりまできちゃって・・・・・

それから自宅でつわりとの戦い・・・・・

吐きそうになるのが怖いわ気持ち悪いわで唾液過多になってしょっちゅう

紙コップに唾液吐いてたり・・・・・

想像を絶する戦いでした;;


そのつわりも少しおさまって胎動がわかったときは嬉しかったなぁ~~~~

少しの動きがかわいくて頑張ろうって思えた^^

このまま出産まで何事もなくいければいいな~と思ってた矢先・・・


妊娠19週~子宮頚管が短くなってると言われウテメリン服用・・・・・・・

そして21週にはまたしても切迫流早産で紹介状を渡され日赤病院へ入院・・・・・・・

しかも今度の入院は24時間持続点滴・・・・・・・・

なんで私だけこんな目に?

おなかの張りとかまったくわからない状態で点滴の流量も日に日に上がっていき速攻マックスのウテメリン2A60ml/h、そしてCRPも2.4と高くて抗生剤も;;

その頃はまだ23週で子宮内のエコー検査で子宮口開いてきててやばいと

いうことでマグセントというお薬も点滴で5ml/h入れ始めてその夜には10ml/h;;

もっと高度なNICUのある家から2時間弱かかる病院へおしっこの管も入って絶対安静状態で搬送・・・・・・

搬送された病院で出された内服の抗生剤エリスロシンが少し効いて炎症が

落ち着いてきてもう少し持ちそうなのでそのまま入院という形になって

生殺し状態・・・・・

そうこうしてだましだまし持たせていたんだけど26週4日目の血液検査で

CRPが7という高い数値になって子宮内感染が疑われ出した方がいいということで緊急帝王切開でその日のうちに出産という経過を辿りました。

もう壮絶としか言いようがない一部始終ですが最初の病院では割と軽度といっちゃ語弊がありますが30週近い、もしくは30週超えたあともうちょっとって

方とか無事出産を終えた方とか同室にいて明日どうなるかわからない状態の

私は辛くて悲しくて羨ましくて毎日のように泣いてました。

この妊娠で何回泣いたかな・・・・主治医に「これあかんよ~~」とか「危ない」

とか言われるたびに不安で怖くてどうしようもなくて・・・・・

搬送前の旦那と私の母を呼んでの病状説明の時も思いっきり泣いちゃったし;;

ほんといっぱいいっぱい泣いたよぉ~~~~><


っととりあえず私のマタニティーライフも少しはじめにに加えておきます^^



つかったお薬覚えてるのだけ少し・・・・


ウテメリン・・・・最終量3A20ml/h

(副作用としては手の震えで箸が持てない、字がかけない等、あとドキドキも少しあったけど慣れてきました)


マグセント・・・・最終了14ml/h

(副作用めっちゃキツイ・・・天井がまわるし視点定まらないし歩行すごく困難;;

それとめっちゃ暑い・・・・目がふわふわしてるから気持ち悪い感じでご飯もあんま食べたくなかった;;)


あと抗生剤・・・・何種類か入れたけどほとんど効いてないんちゃう??

あっ、でも最後にいい仕事してくれたエリスロシンだけは信用してるwwww

だから今でもクラリスとかマクロライド系の抗生剤は割と好き。


っとこんな感じかな。


普通にマタニティーライフつわりも多少あっても楽しめる程度で出産まで

いけるって幸せなんだよ~~~~~~~www

っとかまじで思いました。


でわでわこれにて妊娠、出産劇は締めます。










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