地球のコミュニケーションの多くって、
「隠したまんま」続いていく。



大切な人との関係でさえ。

家族とか、
パートナーとか、
近しい友達でさえも。



私にとっては、
ただただお互いに正直であること、
オープンであることが、
愛の表現なのだけど。

↑宇宙人的感覚なのかにゃー。
もうわかんない。笑




・・・なんかこれ、
人とすれ違うんだよね。笑






大切な関係を築こうとするほどに、
私は寂しくなってしまうの。



相手にとっては、
親密さの表現が、


「大切にすること」「傷つけないこと」だったりするから。




それってさ、






嘘をつくことなんだよ。





私を傷つけまいと、
相手は嘘をつき始める。
自分の気持ちと違うことを言ったり、
私を喜ばそうとして、自分のやりたくないことをしたり。

まるで、隠すことが愛の表現だというように。




相手がどんどん相手自身に嘘をついていくこと。

私にとって、それは「悲しい」ことなんだよね。
それが見えたとき、私を信頼してくれていないのだ、と感じちゃうの。
相手にとっては愛の表現だと、わかっていても。




傷つけないように、のコミュニケーションは、
お互いに「いい人」を演じるお芝居みたいだよ。






その役割の中でやるようなことをするだけ。
いい親、いい子供、
いい友達、いい妻(夫)が、言うようなことをするだけ。





だったら、









私じゃなくてもいいじゃん!










何のためにコミュニケーションするんだよぅ。






わたし、と、あなた、だから、







意味があるんじゃ、


ないのかよぅ。





みんな、ネガティブな部分を表現することを、
恐れているんだな、と、思います。
それで、何かを必死で演じているように見える。
そんなの、オープンにしてしまえば、たいしたこと、ないのに。




そんなところこそ、受け止めたいのに。





本音って、一番ドロドロしているようで・・・


ホントは一番単純で、

見せてしまえば笑えちゃうくらいに、









やさしいものだったり、するのにね。