東山七条にあるお寺のどっしりした大きなお寺
智積院

 

空海は真言宗をうみだし
いずれ、真言宗の中でも多くの宗派に分かれていきました

代表的なものとすれば
高野山真言宗東寺真言宗、真言宗大覚寺派、真言宗御室派など
・・
智積院はそのうちの真言宗智山派に属します

 



もともと紀州根来山大伝法院の塔頭寺院
伝法院は高野山で創立した寺院でしたが

興教大師覚鑁(かくばん)高野山が活力を失いつつある時
その状況を憂い

弘法大師の教えを再興するために様々な改革をした中興の祖
しかし、教義上の対立から高野山を去り

大伝法院を根来山に移して新義真言宗を打ち立てました

その寺院・根来寺は以前訪れたことがあります。

智積院は南北朝時代
この大伝法院の塔頭として
創立され
根来山内の学問所でした

 

近世に入って
根来山大伝法院は豊臣秀吉と対立し
根来攻めで、全山炎上



当時、智積院の住職であった玄宥は
根来攻めの始まる前に弟子たちを引きつれて寺を出
高野山に逃れ
新義真言宗の法灯を守るため智積院の再興を志したが
念願がかなわないまま十数年が過ぎました

関ヶ原の戦いで徳川家康方が勝利し

家康は東山の豊国神社(豊臣秀吉が死後「豊国大明神」として祀られた神社)
の付属寺院の土地建物を玄宥に与え、智積院は復興しました


その際、秀吉の息子・愛児鶴松(棄丸)の菩提のために建てられた祥雲寺と合併し
国宝に指定されている長谷川等伯一派の障壁画は の祥雲寺の客殿を飾っていたもの
もらい受けたとか

 

国宝 長谷川等伯一派の障壁画を
本物が見れますよ!室温管理完璧の状態で展示
あまりのでかさ、美しさにびっくり・・・・
それも貸切に近い状態でした。。。
桃山時代の雰囲気そのままを感じられます

 

 

講堂へ
平成4年の興教大師850年御遠忌記念事業として計画し,平成7年に完成したものです。
各お部屋の襖絵はどれもすてき
まるで美術館に来たような名画ばっかり
襖絵より魅力的なのは庭園です

 

 

「利休好みの庭」と伝えられるこの庭園は、

豊臣秀吉公が建立した祥雲禅寺(智積院の前身のお寺)時代に原形が造られました

 

メナードのCMで岩下志麻さんが優雅に縁側を歩いている所を撮影した場所です

大奥にも出てましたね

 

国宝の障壁画がかつて飾られていた大書院はこの庭園に面して建ち、
平安期の寝殿造りの釣殿のように
庭園の池が書院の縁の下に入り込んでいます

 

智積院は神仏霊場であります
ご朱印をいただきました
まだまだ満願までに時間がかかりそうです

(この朱印は過去のものです)

 

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