新聞を読んでいるといろいろな不手際が浮き立ってくる。

ネットでも信頼おける情報ではないと信じられませんが、新聞は思想が捻じ曲がっていても事実はわかる。

ネットの場合は嘘が氾濫しているから情報源がしっかりしていないものはあまり信じないほうがいいだろう。

自分の信じたい情報なら、その確証を取ってから拡散すべきだ。


昨日の新聞(うちは河北新報)には社会面に『チェルノブイリ被害 ベラルーシ大使放射能対策講演 仙台・宮城県議連招待』と題した記事が載っていた。

その中で「全食品が検査対象となった。特に乳児用食品は重点実施している」と記事になっている。


もっと大きな見出しでは『福島の3農家 除染費仲介申し立て 対東電、紛争センターに』という記事もある。

請求額はそれぞれ7億~19億円で約10㌶から約40㌶の水田の土壌をすべて入れ替える費用を請求しているそうだ。

国が進める表土の削り取りでは「これまでの長年培った土壌が失われる」そうなのだ。

入れ替えるのはいいけど表土の削り取りだと土壌が失われるという理論がいまいち理解できないのだが、農家の人が言うのですからそうなのだろう。

3人はいずれも62歳で地位もある方々なのでそういうものだと理解するしかない(笑)


それより大きな見出しではSPEEDIの福島県のデータ消去謝罪の記事もあります。


本日の新聞社会面には特集で双葉厚生病院の苦闘が載っていた。

その最後には「原発事故の祭、被ばく者を受け入れることを想定していたが、病院ごと避難するとは考えてもみなかった。事故を起きたことを考えると、原発のそばに大規模病院や福祉施設はおかないほうがいい」とのコメントを載せている。

これは安全神話にのっとって事故があっても小規模であり、国内の原発は爆発するわけはない、との発想であったことを物語っている。


仕事でもよく言うことだが、形あるものは必ず壊れます。

絶対はないとかいいますが、まず間違いなく壊れます。

原発から出てくる放射能が化学的に中和ができない以上は壊れることを前提にして考えるべきであって、壊れないことを前提にして考えている今の原発行政は一度やめたほうがいいだろう。


その間電気が不足しても、それは自分達のまいた種であって危険を承知で使い続けるには福島のような事故が起きてもいいということを国民が選択した場合のみに再稼働を進めるべきではないのかと思う。

だいたいこの前稼動を検討始めた大飯原発の対策が終了するのははるか先であるのに見切り発車をするというのは理解に苦しむ。

政府は対策が終了するまでその近辺での災害はないと確証しているのだろうか?

その根拠を国民に示してもらいものだ。


欲に目がくらんだ人はどうしても自分の都合の良いように解釈をして想定が甘くなるものだが、原発稼動にはどうもそのような傾向がある。

ここは一度電気が足りるか足りないかを切り離して考えてゆっくりと検証すべきだと思う。


電気が足りなくなると騒いでいますが、足りなくなっても別に支障などたいしたものではないでしょう。

うちの地区は3週間電気が止まってそのうち2週間すごしましたが、別に生活ができなくなるわけではありません。

ましてや電気だけなのでガス水道といったライフラインがありますのでこの前の震災と違ってそれほどの混乱はないでしょう。

関東の計画停電だってそう酷いものではなかったと思いますけどね。


オール電化の人は申し訳ないがリスク分散ということを考えていなかったということですからその点は自己責任で対処するしかないでしょうね。

うちは昨年の震災時の暖房は電気が停まったらファンヒーターは使えなくなるということで1993年から反射式ストーブを用意していました。

ここ数年はその反射式ストーブが主となって我が家の暖房をになっております。


リスクの分散は災害時の基本事項です。

それができないから被害が拡大したのが今回の原発事故ではないのですかね?

事故対策と共に本当にリスクを犯しても必要な電源なのかを検証してもらいたいものです。

形ある物は壊れますからね。


おまけ

河北新報は毎日このようにデータを公開しています


さとしの徒然日記-線量