2020年5月 躑躅王権現 かむろ石 | 旅する石鎚信仰者

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やはり石鎚山は素晴らしい。

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石鎚権現発祥の地

躑躅(つつじ)王権現社床かむろ石

このかむろ石の伝承は今から1192年以上前のものである。

そしてこの石の調査は2016年5月に終わっていた、しかし近年になってこの石の

所在が現在の地図にも記されている事が判明し、発見した場所とはまったく別の

場所にかむろ石が存在している事が分かりこの旅が始まったm( _  _ )m

そして前回調査時には「かむろ岩」と表現していたが、地図に「かむろ石」と記さ

れている為、今後はこの石を「かむろ石」と表現する。

そしてこの躑躅王権現の事は本川村史に以下のように記されている。

「つつじ王権現の社床、ここに、かむろ石という石がある。この石は高さ三間廻

り四丈ばかりあり。石のかたち段々重なり上むろにある。もっとも石鎚権現が

ここに山居の地と言い伝えられ、それより亀ノ森お移りになさり、さらに与州石

鎚山にお移りなされた由。現所では躑躅王権現と言伝えられている。」と記され

ている。更に「かむろ岩はかぶろともいって禿 (はげ) の岩、つまり樹木の生育

しない禿岩の意であると解されよう 又、禿岩ではなく神漏岐岩 (かむろぎいわ

) で神のまします岩の意であったのではとも思われる」・「筒上山が土佐側の

鎚権現信仰の山」であれば「瓶ヶ森は伊予側の石鎚権現信仰の山」とある。

伝承では岩の大きさは「高さ三間廻り四丈」とあり、高さ5.4m周囲12m岩の形は

「段々重なり」とも記されてある。

そして上記の「つつじ王権現の社床」とは現在の手箱山の事であり、昔は手箱山

含めてこの辺り一帯を筒上山と呼んでいた、またこの筒上山の名前の由来は

躑躅王権現であり、躑躅とは筒上山から手箱山の尾根に広がる、つつじ(躑躅)

の花からきていている。

そして石鎚権現は一般的伝承では「石鎚権現は元々瓶ヶ森にあり828年に現在

の石鎚山へ運ばれた」という説であるが、上記の内容は瓶ヶ森より以前の石鎚

権現の所在の事であり、高知県側に強く残る伝承である。

上記の内容を超簡単に記すと「石鎚権現は瓶ヶ森の前は筒上山のかむろ石に

あった」と云う伝承であり、言い換えれば石鎚権現発祥の地と言う事になる。

何よりかろむ石が記されている場所であるが、手箱山東尾根であり、前回調査

時に、笹原の遥か彼方に印象的な岩が立ってあった記憶が残っている、これが

「かむろ石」だったのである。

現地の状況はほぼ分かっているので、大笹漕ぎ覚悟で天気を見て行ってみた、手箱山から南東に続く道を下ると右下に大岩が現れる、ここにある右側の岩の元には窟があり信仰的な造形が残っていてこの石がかむろ石と思っていたが、

今回はここから北側に広がる笹原へ入る、道などないが遥か彼方の尾根上には

かむろ石が見えている、以外にも左上から下りてくる尾根に上がると踏み跡が出

てきて、なんとなくかむろ石の方へ続いていた。

笹原を進むこと約30分、かむろ石の元に到着、上部は左右に割れ信仰的な何か

の形をしるしているようにも見えたが、僕には分からなかった、何も人工的に造ら

れた物は無く、信仰的な痕跡もなかったが地図の位置からすると間違いなくこの

石が「かむろ石」である。

この伝承では、ここが石鎚権現、山居の地とされ、後に石土山(瓶ヶ森)移ったと

いう事であり、「石鎚権現はもと瓶が森に祀られていたのを828年、西之川村の

庄屋高須賀氏の先祖が背負うて石鎚山に遷した。」と言われる伝承へ引き継が

れるという事である。

そして現代の地図に「かむろ石と」名前は残っているものの、この石にこのような

石鎚山信仰に関係する伝承がある事など誰も知るはずがなくここに記してみる。

「やはり石鎚山はすばらしい~」という旅であったm( _  _ )m

 

 

 

 

近年発見した地図

手箱山東尾根に「かむろ石」と記されている

そしてこの場所に立つ石の光景は今もはっきりと覚えている

 

航空写真で見ると

先に書いておくと手箱山山頂からかむろ石に伸びる支尾根

道はないが笹原と樹木に分かれた支尾根を進むのが楽である

途中にある岩場は右側(南)へ巻くといい

 

 等高線で見ると

 

 手箱山山頂からかむろ石へ

 

 ここから左の笹原へ入るのが楽であるが後の祭り

何も分からないまま正面の笹原へ

 

 一面すばらしい笹原が広がっている

 

手箱山山頂から間もなく左を見ると

遥か彼方の尾根上に岩が

 

 かむろ石

 

 道はない、大笹原へ

間違いなく晴れが続いた日に来たほうがいい

 

 たまらずかむろ石の手前で左上の尾根に上がる

 

 すると何となく踏み跡が残っている

 

 尾根の先端と思われ所から右へ降りている

 

 笹を掴みながら滑り降りるとかむろ石が見えた

 

 段々重なり大きさ共に伝承のとおりである ! !

 

かむろ石

 

上部は左右に分かれ特徴的な形をしている

 

 何とも表現できない石

 

 なぜここにぽつんとあるのか分からない存在

 

 裏側から見上げても同じ

 

 横にテーブルのような所があるが

何も信仰的な痕跡はなかった

 

 かむろ石の先に続く尾根

 

 一世紀以上前からここに立ち続け

信仰されてきたかむろ石

現代ではこれ以上の情報は何も無いが

よく地図に残っていたと思う、土佐町史・本川村史に記された

元、石鎚権現の地とされた石である

 

 土小屋から拝する石鎚山

「やはり石鎚山はすばらしい」

 

 

 

 

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