高知県吾川郡いの町小川樅ノ木山に剣光山(1140m)という山があり、石鎚神社が祭ら
れているという情報をいただいた。
僕の知る限りこの辺りに石鎚山が勧請されたことを記している書物は無く、石鎚神社
が祭られているというだけで詳細は一切不明である。
剣光山という山名も一般的ではないようで地元の方だけが知るお山のようであるが、
この剣光山がどこにあるかは情報をいただいていたので早速訪れてみた、地理院の
地図で調べると大森川ダム南方の山で山頂近くまで林道が通っているのだが大森川
ダムから入る道と南側の小川樅ノ木山から入る道とあり、どちらの道も1時間以上走
るガリガリ林道であり、車高の低い車は無理だろう。
そして登山口は剣光山北側の林道沿いにあり駐車スペースもある、そして登山口から
10分ほど登った稜線上で石鎚神社を発見した、そして更にここから登った剣光山山頂
にも祠があり、よく調べてみるとこの祠も石鎚神社であった ! !
稜線上にある石鎚神社には鳥居がある、神額裏には「樅ノ木山総中建」とあり剣光山
南東にある樅ノ木山集落の石鎚山である事が分かった。
そして鳥居や祠の様子からして年に一度は手入れされている様子であり、2つの祠の
位置関係からして山頂の石鎚神社は奥院といった感じである、今までいくつもの石鎚
神社を見つけ出してきたが、同じ稜線上にすぐ近くでありながら2つの石鎚神社が祭ら
れているのは珍しい。
しかし様子からして元々は山頂の石鎚神社だけであり、手前稜線上の石鎚神社は後
になってから祭られたものと思っている。
剣光山山頂からは北に瓶ヶ森や西黒森がちらちら見える位置であるが石鎚山は見え
ない、しかしながら山頂の祠はほぼ西向きに鎮座、縦ノ木山集落でもなく石鎚山でも
ない西向きに鎮座する理由が分からない。
この剣光山、石鎚山からは直線距離ではそんなに遠い場所ではないが実際には山々
に挟まれ、その間に道や民家は無く石鎚山と縦ノ木山集落はかなり遠い位置である。
そして縦ノ木山集落からは実際には見えないが霊峰石鎚山方向を見上げると、この
尖って見える剣光山が正面中央に見える位置である。
そういった位置関係からも石鎚信仰が栄えた縦ノ木山集落の先人達はこの剣光山を
自分たちの石鎚山として信仰し、今も縦ノ木山集落の方に守り続けられている。
そして最後に思うことは、やはり・・・と言うことであるm( _ _ )m
剣光山(1140m)は大森川ダムの南方にある
登山口は林道沿いにある
ここまでの道は「どうなってもいい車」がいい
樅ノ木山集落から拝する剣光山(石鎚山)
中央の尖っているところ
更にその先一直線上に霊峰石鎚山がある ! !
言い換えれば石鎚山の方向を見ると剣光山がある
これを偶然と考えるかどうかはその人次第
ここから見る限りでは険しさを感じる剣光山
右の山のほうが高く見えるが実際には剣光山のほうが高い
地方の石鎚山に共通して言えることは
その集落から石鎚山を見上げる位置であること
これは反対側の大森川ダム手前林道から見る剣光山
南北どちらから見ても尖って見える
そしてここが剣光山への登山口
道は奇麗に見えるがここまではなかなかのもんである(^_^)。
「剣光山入口」とある
石鎚山とも石鎚神社とも記されていない
踏み跡はしっかりとある
何か建物があったかな?
分岐もなく道は緩やかに登っていく
次第に笹が現れる
稜線に続く道の先に鳥居が ! !
登山口から10分ほど
ここが剣光山の石鎚神社である ! !
西向きに鎮座する石鎚神社は
そんなに古くもなく手入れされている様子
神額には「石槌神社 剣光山」
裏側には「平成十七年十一月吉日 樅ノ木山総中建」
樅ノ木山集落の石鎚神社であると確信できる
そしてこの祠の中には石鎚神社のお札が何枚か
祭られているのだが古い年号は「明治十一年」
この地の石鎚信仰の歴史はかなり古いようである
この石鎚神社の左に続く道が剣光山山頂へ続く道
すぐに山頂が見えてくる
注連縄が張られた剣光山山頂の祠
そもそもこの祠は石鎚神社とは思っていなかった
扉は鎖と鍵で閉ざされ西向きに鎮座している
南側(太平洋側)は開けている
祠の向く先も開けているがなぜこの方向かは分からない
ファイバースコープで中を見てみるとm( _ _ )m
石鎚蔵王大権現、他に金幣に黒い役会符が一枚
そして「石鎚神社 神殿建設資金寄進者 昭和五十四年四月吉日」
と記された板が一緒に収められていた
山頂片隅には作り変えられる前の祠が今も残っている
「やはり石鎚信仰はすばらしい」
旅する石鎚信仰者