肥田舜太郎 氏(5)-症例に関する様々な談話 | タイ語、単語帳の素材?

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備忘録。

2015年5月下旬にタイトル変更。
ここは、site δ です。

 あちこちでの発言を時系列で集めてみた。特に断りのない限り全て肥田氏のもの。

(1)埼玉保険医新聞の記事(2011年4月5日)

 肥田舜太郎氏インタビュー 我々は原発事故にどう対処すればよいか
 http://saitama-hokeni.com/shinbun/201104.html (リンク先(ココ)に同記事のPDFファイルあり)
 (いろいろ書いてあるので是非これだけでも見て欲しいところ)

 放射性降下物による内部被ばくには治療法はまだありません。

・・・放射能物質は何種類もあり、ストロンチウムは骨に沈着する。広島ではストロンチウムが被爆者の骨の燐を放射性燐に変え、骨髄の中へ放射線を照射して血小板貧血を起こし、多数が死んだ。このことを発見した東大の都築正男名誉教授は、日本を占領した連合軍総司令部に研究を中止させられ、資料は全部没収された。

 一番マークしなければならない症状は、「非常にだるい」「仕事ができない」「家事ができない」という、原爆症の中で一番辛かった『ぶらぶら病』だ。
 「ぶらぶら病」という概念にあたる、原因の分からない後遺症。治療法は分からない。命が危険になる病気ではない。周期的に来る。大部分はその人特有の現れをする。ぜんそく発作のように、始まると四~五日止まらないとか、何週間、何カ月も続くとか、その出方も症状もみんな違う。いろんな検査をして、広島ではぶらぶら病の患者に対して「病気じゃない。原爆にあったショックの精神障害だからだんだんよくなる」というと、他の医療機関を受診し、同じことの繰り返しになる。これが特徴だ。

 白血病はまだ出ない。三年以降で、白血病はピークが五年、癌が七年だった。これは必ずピークは出る。

 内部被ばく者診療の重点は二つ。第一は主訴が「頑固な倦怠感」の場合は、患者の話をじっくり聞くこと。聞くだけで患者の不安はかなり癒され、医師への信頼が強まる。第二は、「患者を励ますこと」。患者は被災による社会生活からの転落に加えてヒバクシャになり、差別の対象になって、極端な無力感に陥っている。何より重要なのは強烈な「生きる意志」である。


(2)2011/4/24の広島講演

 【拡散希望】被曝医師・肥田舜太郎さんが語る『真実の原子力』
 http://www.youtube.com/watch?v=3p73GY19ZrY



(なお、テキストはブログ「ざまあみやがれい!」の記事(「『福島で被ばく初期症状が始まっている。今年秋から来年たくさん出てくる』被ばく医師肥田舜太郎氏の演説(文字おこし)(後編)」 2011年05月10日 http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65732741.html)から借用 )

 [17:03辺り~]ところがこの放射線が人間にあたったときに、それが人間がどんな変化を起こすか、ってのは何にも知らないんです、彼等は。だから直ちに心配なことはおこらない。そりゃそうですよ、今日被ばくしたら明日病気になる、そんなことはないんだ。

 でももう現に東北では、下痢が始まっています。さっき此処に出られた被ばく者の方が、お母さんも、妹も、弟も自分も下痢が始まったとおっしゃいました。最初の症状の一つに下痢が始まります。でこれは今の普通のお薬では止まりません。だからあたくしが一番心配してるのは、・・・元気なものも含めて、放射線の病気が始まってくるのは、おそらくこの秋から来年[2012年]の春にかけて、たくさん出てくるだろうと、わたくしは想像しています。

 でも、ま、仮に病気になった人を私の病院に入れて、この人の今の下痢は放射線の影響ですということを証明する学問がまだないんです。これが泣き所です。だから人をああいう目にあわせて殺した側は、完全犯罪だよね。30年後に癌で死んで私はあの時にあの被ばくをしたから、この病気になったんだ、なんぼ言っても、証拠を挙げられないんだ。今の医学は、それを見つけるところまでまだ行ってないんだ。

 理由は、簡単なんです。あの放射線のつぶの大きさはね、皆さんが持っている定規の一番小さなメモリは1ミリメートルです。その1ミリメートルの60億分の1というのがウラニウムの粒の直径なんです。これが体の中に入って悪さをする。今の医学は、人間の体を分解して細胞という一番小さな命の単位のところで病気を見つける。これの60億分の1のところで今病気を起こしてるということは、それを見つける方法を持っていない。だから治す方法もなければ、消すことも出来ないという、特別なエネルギーをなんで選んで日本人の国の中で電気を起こさなきゃならないのかということなんだ。[~20:23辺りまで]


(3)ゲンダイネットの記事(2011年6月21日 掲載)

 元広島陸軍病院医師 肥田舜太郎氏が警告
 http://gendai.net/articles/view/syakai/131117 (リンクはココ

・・・将来の『内部被曝』の影響は分かりませんが、広島の場合、およそ3年後に体が疲れやすくなる原因不明の『ブラブラ病』患者が出始めました。白血病の患者も3年ほど経ってから確認され、7~8年後にがん患者が目立ち始めました。『内部被曝』は少量の放射性物質でも影響が出る。ここが恐ろしいところです。人間だけではありません。放射性物質は動植物すべてに影響を与えるのです。・・・


(4)ゲンダイネットの記事(2012年1月31日 掲載)

 内部被曝の症状は「3月にも出始める」
 http://gendai.net/articles/view/syakai/134894 (リンクはココ

・・・将来、広島と長崎の被爆者が経験したことが、そのまま起こってくると考えるほうが常識です。(今回も)おそらく3月以降、(放射線の影響を受けた住民の中に)医師が診ても診断がつかない、非常に不思議な症状で苦しむ人が出るでしょう

(なお、記事で言及された「市民と科学者による内部被曝問題研究会(内部被曝研)」のサイトはhttp://www.acsir.org/ (リンクはココ))


(5)マガジン9のインタビュー記事(2006.8月頃)

 この人に聞きたい-肥田舜太郎さんに聞いた その1
 http://www.magazine9.jp/interv/hida/index.html (リンクはココ
 (時系列ではないけど、原爆症認定集団訴訟に関する記事。上記の記事での肥田氏なりの将来予想は、6000人の被曝者の診察経験に裏打ちされているものと見受けられる)

 画期的だったのは、原爆症と認定された原告のうち、大阪地裁では9人中3人、広島地裁では41人中2人が、原爆投下後に広島に入った、いわゆる入市被爆者だったということです。この人たちはこれまで、投下の瞬間に広島にいなかったということで、原爆症認定についてはまったく問題にもされていなかった。それが今回、初めて認められたんです。・・・

 ・・・もちろん被爆者援護法ができたときはみんな申請したけれど、その中で認められたのはたった0.7%。ほとんどが駄目だったわけです。それで、相手は政府だし、みんなあきらめてしまっていた。
 でも、あきらめてずっと来たけれど、今、被爆者のほとんどはもう80歳前後になっています。そこで、もうじき自分は死んでいくけれど、その前に自分の体をこんなふうにしたのは原爆なんだということをどうしても公に認めさせたいと考えたんですね。彼らは被曝する前は、健康優良児だったんです。それなのにあの日を境に、原因不明のだるさに悩まされ、白血病、肝炎、癌など、次々と重い病気にかかっていったわけですから。でも訴訟は、ひとりでは無理だからみんなでやろうと、集団訴訟に踏み切ったんです。・・・

 たしかに、今回の裁判でも、国の側に立った医者や科学者はほとんどいませんでした。大部分の人は、原告の主張は正しいと感じている。しかし、だからといって原告側についてくれるかというとそれはない。「証拠がない」からです。
 僕[肥田氏]は今まで6000人の原爆症患者を診てきましたが、そのうち4000人は直爆を受けていない被曝者でした。でも、それは説得力はあっても学問上の「証拠」にはならないんです。たとえば、僕が今まで診てきた被爆者全員のカルテをとってあって、被曝と症例との関連性を統計学的に証明できるとか、ガンが放射能の影響であることを実験で証明できたとか、そういう学問のルールにのっとった形で証明されていないと。
 今回、僕はあえてそれを破って証人に立ったわけですが、それはなぜかと言えば、実際に「見てきた」からなんです。ひとりやふたりではなく、6000人診察したうちの4000人が後から入ってきた人で、その人たちに共通の症例がある以上、「原爆と関連性がない」とは僕は言えない、と。だから、理論ではなくただ自分の見てきた事実を証言したんです。裁判官は、それを採用してくれたわけですね。