肥田舜太郎 氏(4)-生き延びた人 | タイ語、単語帳の素材?

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備忘録。

2015年5月下旬にタイトル変更。
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 肥田氏は、ただちに死ななかった人についても、いろいろ語っているので、著書「内部被曝の脅威」から少し引用すると、

 2005年の今年、生き残っている約二十七万の被ばく者の多くは二つ、三つの病気を持ちながら、様々な不安や悩みを抱えて生き続けている。

 彼らの多くは被ばくの前は病気を知らず、健康優良児として表彰までされたのが、被ばく後はからだがすっかり変わり、病気がちで思うように働けず、少し働くとからだがだるくて根気が続かずに仕事を休みがちになった。医師に相談していろいろ検査を受けても、異常がないと診断され、当時、よく使われたぶらぶら病の状態が続き、仲間や家族からは怠け者というレッテルを貼られたつらい記憶を持つものが少なくない。
(同55-56頁)

その特徴は、複数の病気と、いろいろ検査を受けても異常がない(ぶらぶら病の状態)だろうか。

 肥田氏自身も、被ばくの数日後に激しいだるさを感じた、とフライデーの記事で語っている。その一節を同記事を紹介したブログ「一輪の花」の記事(「『内部被曝』に立ち向かう 肥田舜太郎医師に聞く。」 2012/1/30(月) http://blogs.yahoo.co.jp/erath_water/63499720.html)から引用すると、

「当時の私は、広島市郊外の戸坂村の農家で、看護師7人とともに20000人にのぼる被ばく者を診察していました。
すさまじいだるさに襲われたのは、診療を始めてから4~5日後です。
最初は疲れが出たのかと思いましたが、症状はひどくなる一方で、しまいには立っていられなくなりました。
一度横になってしまうと起き上がれず、39℃近い高熱にうなされ、kる地や鼻だけでなく、目からも出血し始めたんです。
幸いだったのが、8月15日の終戦後に四国や九州の部隊から100人ほどの軍医や衛生兵が助けに来てくれたことでした。毎日輸血を受け体内の地が入れ替わると、見違えるように元気になったんです。」


 また、いろいろ検査を受けても異常がない状況について、より詳しい説明を著書「内部被曝の脅威」から引用すると(なお、このテキストは、ブログ「院長の独り言」の記事「東北でぶらぶら病出現か。」 2012年03月28日 http://onodekita.sblo.jp/article/54669454.html から概ね借用。リンクはココ)、

 1989年にアメリカ、ニューイングランド地方を遊説して歩いたとき、私[肥田氏]はボストン近郊の[医師ドンネル・ボードマン]宅をたずね、被ばく者医療について話し合った。私は広島・長崎原爆の被爆者の多くに起こったぶらぶら病症候群を話し、彼は病名のつかない不定愁訴を訴える多くの被ばく米兵がいることを話した。彼は「未完だが、アメリカの若い医師に読ませる低線量放射線被害者の診察の手引き書にする」と、タイプで打った"Radiation Impact"を差し出し、私はぶらぶら病の記載のある民医連の国連への報告書を差し出した。彼はそれを持って部屋を出て行って、しばらく帰ってこなかった。私は疲れが出てうとうとしていた。

 突然、わーっと言う大声に驚いて目を開くと、ボードマンが私の渡した報告書を高く掲げて、「ここあった!私の欲しいも気が広島にあった!」と声を出しながら部屋に入ってくると、いきなり私に激しく抱きついた。彼は報告書の「原爆ブラブラ病」の項を指差し、「広島の原爆被害に、今までの医学書に記載のなかった『ブ、ラ、ブ、ラ、シンドローム(症候群)』がはっきり書かれている。私はこれが欲しかった」となかなか興奮が収まらなかった。参考の為、報告書のその部分を抜粋して示しておく。

『広島・長崎の原爆被害とその後遺-国連事務総長への報告』
II-2 被害の医学的実態
(2)後障害
(g)原爆ぶらぶら病(当時はまだ症候群とは読んでいなかった)

 原爆症の後障害のうちで、とくに重要と思われるものに「原爆ぶらぶら病」がある。
被曝後30年を超えた今日まで、長期にわたって被爆者を苦しめてきた「原爆ぶらぶら病」の実態は、次のようなものである。

 i. 被曝前は全く健康で病気ひとつしたことがなかったのに、被爆後はいろいろな病気が重なり、今までもいくつかの内臓系慢性疾患を合併した状態で、わずかなストレスによっても症状の増悪を現す人びとがある(中・高年齢層に多い){中略}
 ii.簡単な一般健診では異常が発見されないが、体力・抵抗力が弱くて「疲れやすい」「身体がだるい」「根気がない」などの訴えがつづき、人なみに働けないためにまともな職業につけず、家事も十分にやってゆけない人びとがある(若年者・中年者が多い)。
 iii.平素、意識してストレスを避けている間は症状が固定しているが、何らかの原因で一度症状が増悪に転ずると、回復しない人びとがある。
 iv.病気にかかりやすく、かかると重症化する率が高い人びとがある。

 以上に示すように「原爆ぶらぶら病は」その本態が明らかでなく、「被爆者の訴える自覚症状」は、がん固で、ルーチンの検査で異常を発見できないばあいが多い。{後略}
  (「内部被曝の脅威」109-111頁から)

最後に、この点に関して肥田氏が語っている短いインタビュー動画を一つ。どういった状況なのかを説明し、そのような状況で持つぺき心構えを語ってくれている。 

肥田先生のお話② 原爆症の人たちとどのように接したか
http://www.youtube.com/watch?v=G4slypTq2lw