東大和市行ったり来たり

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古文書の楽しみ

 

 江戸時代の文書の解読が進み、まだ、難しいとは云え、活字化されて、目に触れられるようになりました。東大和市の南端に野火止用水があって、東大和市と小平市の境界となっています。ここから水が引けて、飲み水や農作業に利用できたら、村人達はどんなにか助かったことでしょうが、一滴の水も利用は許されませんでした。

 

 ところがです。東大和市の旧家にこんな文書が残されています。

里正日誌・安政6年


「野火留用水大浚之義ニ付廻文

 略儀ながら、廻状を以って御意を得ます。いまだ春寒甚しいですが、各様方お揃ろいで御勤のこと、賀寿たてまつります。

 当用水堀は十年目毎に大浚(おおさらい)を致してきましたが、当年がその年に当たります。よって、先例の通り、その筋へ願書を差出しますので、堀附の御村へ御支配の御領主、御地頭の御姓名をお問い合わせ致します。ご面倒様ですが、別紙帳面へ御記入下されたくお願い致します。已上

         安政六年正月四日

                       野火止宿名主 庄右衛門印

 さすがに丁寧な文面です。しかし、使えもしない用水堀なのに、何で、堀附(堀に接している)の村と云うことで、村人が大浚いをしなければならないのか疑問がわきます。当然、東大和市域の村ばかりでなく、同じように恩恵を受けない村々の人々は腹立たしかったと思います。

 やがて、「御領主、御地頭の御姓名」の野火止宿名主から報告を受けたのでしょう、今度は、東大和市をおさめる熊本藩の役所から次のような命令が来ます。

 松平右京亮様御領分・武州新座郡野火留用水堀、当年、拾年目につき、大浚をいたすので、その村々地先、左右用水堀縁、土砂置場、雑木萱茨等当月下旬迄に伐払うべく申し候。この廻状は早々に順番に従って回し、お返し下さい、已上

 未二月朔日 肥後御預役所

  小川村 蔵敷分 奈良橋村 高木村 廻り田村 野口村 上清戸村 中清戸村               


             『里正日誌 第七巻 p316』(ブログ筆者が意訳)

 こうして、野火止用水の水を使えなかった、東大和市域の蔵敷分 奈良橋村 高木村では、村々地先にある用水堀左右縁、土砂置場を整備したり、雑木やカヤ、(いばら)伐払(きりはら)ったようです。小平市や東村山市、清瀬市の村も同じように作業をしたのでしょう。どうしてこんなことが行われたのか、吟味したいです。

 名前のあがっている村に関係するところが、総合的に古文書を解析して、付属資料があったら連絡し合って、その上できちんとした事実がわかってくれば、楽しみが倍加します。古文書冥利ってことでしょうか。

野火止用水