「寿司テロ」はなぜ起きるのか?悪ノリがなぜエスカレートしてしまうのか?
なぜ彼らはそれほどまでに承認されたいのか?(「いいね」がほしいのか?)

ここからは、持論を交えて検証したいと思う。前回の記事はこちら→「寿司テロと承認欲求」1/3

皆さんはマズローの「欲求段階説」をご存知だろうか?最近はメディアでも「承認欲求」という言葉が使われることが多くなった。この言葉の提唱者だ。

全体像を示しておく。図は、「うつ」の効用 -生まれなおしの哲学-(泉谷閑示著) 2021 - p158 から引用した。「欲求段階説」を詳述することは避けるが、大雑把に言えば、人間の欲求は、最低次の「生理的欲求」から最高次の欲求である「自己実現の欲求」と移行し、欲求の段階が高次化していくことが人間の成熟だとマズローは考えた。

 



つまり、彼らの成熟段階は、「認められることへの欲求」つまり「承認欲求」で止まっており、「自己実現の欲求」にたどり着けない状態だと言えそうだ。

先の米の報告書によれば、「自我が形成される青年期には他者承認が特に重要になる。だからあえて過激な行動をして目立とうとする。感情を制御する大脳の前頭前野が成熟するには20代半ばまでかかる。」と結論づけられているそうだが、僕には、もっと根深いものがありそうな気がしてならない。

なぜそう僕は思うのか?それは僕の経験に裏打ちされているからだ。次回、更に検証を深めよう。

毎日新聞 2023/2/28 朝刊の「火論」という大治朋子さんのコラムで(「すしテロ」の背景には)という検証記事があった。寿司テロとは、回転ずしの店で客が迷惑行為(犯罪)をして、自らその様子を収めた動画をSNS(ネット交流サービス)上に流すという例のアレだ。

 



「なぜそんなことをするのか。議論を深める必要がありそうだ」と彼女は言う。僕も同感だ。なぜなら、ここに社会構造的な問題がありそうだからだ。3回に分けて考えていくことにしよう。

彼女は、この検証に「米平和研究所」の報告書(2010年)を引用している。テロ組織に入った経験のある若者2000人余りに米陸軍幹部がインタビューした結果を分析したものだ。報告書によると、彼らには4種の欲求が見られるという。「スリル・冒険欲求」「承認欲求」「アイデンティティー欲求」「報復欲求」。

最初の三つは「すしテロ」にも通じる。動画を見る限り、彼らにはスリルを楽しむような、浮かれた感じがある。「いいね」やフォロワーが欲しいという承認欲求も強い。それを満たせば自分らしさ、つまりアイデンティティーを確立できるような気もするのだろう。
 

ではなぜそれほどまでに承認されたいのか?

 

次回、検証していこう。

 

1.あるモノ作りが好きな人がいて、自らの美意識に基づいてこの椅子を作った。好きが乗じて作品が増えた。周囲の人に「良いモノだから欲しい人に分けてあげたら」と勧められて、バザーに出したところ人気となり、良い値で売れたことに感謝した。だが、実はこの椅子を好きだと言ってくれる人にしか譲りたくはない。

2.あるモノ作りが得意な人がいて、必要に迫られてこの椅子を作った。機能性とデザインが人気となり、「他人の役に立てて、生業(なりわい)となるなら、自らの責任が及ぶ範囲で数を作ろう」と仕事にした。しかし、仕事にしたために不満も生じた。商品となった自分の作品の完成度に妥協せざるを得なくなったからだ。

3.あるお金儲けが得意な人がいて、この椅子を見て「売れる」と思った。採算のベースに乗せるには大量に作らなければならない。だから、製造工程を分散して、労働者を募った。労働者は各パーツを検査基準に基づいて懸命に製作した。商品となったこの椅子は売れ筋となり、販売を企画した者は利益を出し、次の「売れる」商品を物色した。

この椅子を取り巻く「モノ作り」と「生産」と「販売」という人間の活動を多角的に見てみた。どれが良くてどれが悪い、どれが正解でどれが間違いという話ではない。

ただし、想像し得るのは「モノ作り」の動機は、多くは2から始まっているだろうということだ。おそらく2から始まって1へと昇華されるのが多数だろう。僕はその過程とその葛藤を知っている。

今は亡き印刷屋の大将がいた。彼の作る名刺は美しい。その名刺には黄金比があり、その様式美を崩すことはなかった。縦型と横型は客の求めに応じたが、それ以外は客の要望に応じなかった。しかし、彼は彼の名刺が消耗品であり、決して「この椅子」のように作品とはならないことも自覚して仕事として印刷業を営んでいた。

今、製造業に従事する労働者は、3の労働者だろう。かくして仕事は、分業を経て、労働となった。労働とは「賽の河原の石積み」のような人間の活動の重要な一部だ。

あ。書き忘れた。初めから「モノ作り」の動機を1から始める人が現れる時がある。その人をおそらく天才と呼ぶのだろう。そのような作品に出会いたければ、毎年秋に開催される奈良の正倉院展に行けばいい。https://shosoin-ten.jp/

 

年末に掃除機を買い替えました。充電式のハンディークリーナーです。とっても軽くて、吸引力も半端ない。おまけにヘッド部分にライトが付いているので、ホコリが良く見えます。お掃除が楽しくて仕方なーい。あれ?

ここでハタと気づきます。僕にとって掃除とは労働(Labor:レイバー)なんですね。賽の河原の石積み(さいのかわらのいしつみ)と同じ。必要なことなんだけど、これを突き詰めても残るものがほとんどない。

なるべく時間短縮したい作業。だから、最新式の掃除機を買ったのに、掃除に同じ時間をかけていたら、意味ないじゃん!なのです。

家事労働にかけている時間をより影響力が長続きする仕事(Work:ワーク)に置き換えていきたい。僕がしたい仕事とは、文章を書いて新たな価値観に気づいてもらうことであったり、チャリティーを企画して、お金儲け以外の歓びがあることに気づくキッカケづくりをしたりすることなんです。

労働も仕事も「働く」という意味合いでは一緒ですが、明確に線引をしておかないと、あくせくしているだけで、一度しかない人生に何も残せないようで……

さぁ、今日も生活の改善「VE(Value Engineering:バリュー・エンジニアリング)を目指しましょう。きっとそこに幸せのヒントがあるはずです。

 

28年前の今日、当時、私たちが住んでいた奈良県香芝市でも大きな揺れを感じました。午前5時46分、僕は生後半年の娘をベビーベットからおろし、抱きかかえて、落ちてくるかもしれないモノから守るのに必死でした。幸い香芝市の震度は4でさして被害はなかったけれど、恐怖を感じた初めての揺れでした。

その一週間後、娘は痙攣発作を起こします。震災の映像を見ていた妻が、娘の異常に慌てふためく状況が当時の育児日記に残されています。泣きながら病院に走ったそうです。当時、僕は香川に出張で、震災の影響で陸路が使えないので、高速艇で帰ってきました。

この時から僕たちの試練が始まりました。原因不明の痙攣発作、免疫異常、ホルモン異常、長期入院、3時間毎の授乳、つまり生後間もない赤ちゃんのような生活を3年間も続けて、妻は倒れてしまいました。

しかし、あの時の地獄のような日々さえも、僕たち夫婦に学びと出会いを、新たな価値観を与えてくれました。それだけ十分だったのに、28歳になった娘は、生存に欠かせない4つのホルモンをお薬によって補充している娘が、赤ちゃんを産んでくれたのです。そして、優しい旦那さんがそれを支えています。

今、妻は、そのキセキの子、結衣(ゆい)を抱いて眠っています。さあ、仕事に行こか!人生は「これでいいのだ!」^^