「ダンガル(DANGAL)」

テーマ:

「映画を観に行こうか」と僕は妻を誘った。「予告編見てみる?」と尋ねたが、「観に行くんだから見る必要はない」と妻は笑った。僕は、妻を愛おしいと思った。
 
鑑賞した映画は、アーミル・カーン主演のインド映画「ダンガル(DANGAL)」
http://gaga.ne.jp/dangal/
 
映画館を出て、二人で感想を語り合ったが、想いを馳せるたのは、私たち二人の子どもの事。おそらく妻もそうであったろうと思う。そして、僕たちが築き上げた28年間の歴史だ。
 
「ダンガル(DANGAL)」とは、「闘う」という意味のようですが、僕たちは誰と闘うべきなのでしょうか?それは、この映画を観て考えて下さい。おすすめです。

今朝の毎日新聞「余録」に約1世紀前に滋賀県で発見された「菅浦文書」が国宝に指定されるとあった。この文書は庶民が記したもので、庶民が残したものが国宝になるのは極めて異例だそうだ。
 
「菅浦文書」は、菅浦(長浜市)で鎌倉から江戸時代までの村落の様子が記されているそうだ。中でも「惣(そう)」と呼ばれる自治組織の活動があり、その内容が現在の社会福祉に繋がるものであったようだ。
 
さて、今、私は、私の住む町の自警団に所属している。ご多分に漏れず団員不足である。なので、一人で団員募集をしている。
 
なぜか?
 
豊かに暮らしたいからだ。
 
では、「豊かさ」とは何か?
 
自分だけでなく、周囲の人も笑っているということだ。「豊かさ」とは何かを語り、ともに分かち合える仲間がいることだ。
 
私は、すべての人に「個」を大切にしてほしいと希(こいねが)っている。しかし、これは「自分だけよければいい」ではない。社会の中で「個」きらめかせるためには、他者の「個」を大切にする必要がある。
 
内閣府が2018年4月6日付けの「社会意識に関する世論調査」結果を発表した。この世論調査で、社会志向か個人志向かを聞いたところ、「個人生活の充実をもっと重視すべきだ」と答えた人は前年比1.7ポイント増の42.2%で、この質問を設けた1971年以降、最高となったそうだ。
 
私は、現在の動向を見ていて、「個を大切にする」というより「自分だけよければいい」という風潮がはびこっているように感じて仕方がない。
 
社会の中で「個」を輝かせるためには、他者の「個」を大切にしてほしい。「無駄だ。やめろ」「何の得があるねん?」そんな外野の声には耳を貸さない。豊かに生きるために、豊かさを他者と共有するために、私は私の信じる道を行く。

 

昔の人も悩んだんだろうなぁと「菅浦文書」の記事を見て心をはせたのです。

 

「ハレオ(Jaleo)」

テーマ:

ハレオとはフラメンコの中で使われるかけ声です。曲の途中でアーティストたちが使ったり、観客が使ったり、踊り手が自分自身に対して使うこともあります。
 
お馴染みのものに「オレ!(¡Ole!、素敵!)」がありますが、実は頻繁にかけられるハレオではありません。最高級のハレオだと僕は思っています。
 
他にもハレオはあります。
 
エソエ!(¡Eso es!、その調子!)
ビエン!(¡Bien!、いいぞ!・素晴らしい!)
グアパ!(¡Guapa!、いい女!)
バジャ!(¡Vaya!、そうだ!・行け!)
 
私は、妻とフラメンコの舞台を観に行きます。アーティスト達が観衆を「意識しながら」「越に入っていく」すると不思議なことが起こります。
 
「越に入っていく」感覚が音叉のように観衆に共鳴します。そこで思わず出てしまうのがハレオです。この思わず出てしまうというのが大切です。「お決まり」だからするのとは違うのです。
 
普段の生活の中でも、相手の「こころ」を感じることがあります。そんな時は、ハレオをかけてあげて下さい。「ええぞ!」「いったれ!」なんでもいいです。心が動いたらそれを表現してあげてください。ハレオをかけるあなたの勇気が共鳴を起こすのですから。

 

レシピというのは、その当時に思いついたアイデアメモのようなものです。これを頼りに今に合った新しい味を出すベースです。僕はそう考えています。
 
僕は、クックパッドにマイキッチンを持っていて、幾つかのレシピもアップロードしていますが、それは、ある意味、完成形ではありません。
 
「おウチで簡単煮玉子」
https://cookpad.com/recipe/1254961
 
これを作る時、僕は、今だに試行錯誤を繰り返しています。熱の通し方から卵の殻の向き方、季節による湯で時間の加減、鍋の大きさや素材によっても調整が必要になります。つけ汁には、ニンニクと昆布は必須ですが、その他はいまだに変えています。
 
要するにあえて固定しないということです。即興性こそが停滞した今を打ち破るヒントなのですから。気づいたら勇気を持って「こころ」のままに。

 

こちらもお読み下さい。

 

「レシピを見て作った料理は、なぜ美味しくないか 『アンダー・コミュニケーション』が大切な理由とは」

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/022300058/040600004/

 

 

 

京都銀行のCMで「おばあちゃん 何になりたい と孫がきく」というのがあります。かわいいCMですよ。
https://www.youtube.com/watch?v=Qcl0AbYvQAI&feature=youtu.be
 
さて、私たちは一体、何がしたいのでしょうか?
 
若者はともより、働き盛りの三十路、四十路の人の中にも、この漠然とした疑問を抱えている人は多いのではないでしょうか?そして、半世紀も生きると焦りと伴に諦(あきら)めの気持ちも……
 
私は、「何がしたいのかわからない」は、当然抱える疑問だと思うのです。この疑問を持つからこそ私たちは進めるとも思います。「私は何がしたいんだろう?」と自らに問うのは、必要なことだと私は思います。ただし、考え過ぎもいけません。停滞するからです。「あたま」でグルグルと無限ループを彷徨(さまよ)うことになります。経験者談。^^
 
こんな時は「こころ」が本領を発揮してくれます。ほら、斉藤和義も「歌うたいのバラッド」の中で歌っています。
 
----------
 
嗚呼 唄うことは難しいことじゃない
ただ声に身をまかせ 頭の中をからっぽにするだけ
 
----------作詞 斉藤和義
 
人生を謳歌するためには「頭の中をからっぽ」にして「身をまかせ」るですが、ここで恐怖が湧きます。それじゃただの「アホ」やん?デタラメちゃうの?
 
それがね。大丈夫なんです。人生を正面から見つめて「何をしたいのだろう?」と真摯に向き合っている人は大丈夫なんです。人生を斜めから見ている人はダメですよ。ナゲヤリになっている人も。「人生に意味なんてない」という人を私は悲しく思います。
 
「何がしたいのかわからない」と感じてしまった人は、とてもラッキーな人です。「答えのない旅」に出発する支度をしましょう。メンタルパートナーはそのお手伝いをしましょう。