今日は、長居競技場で、セレッソ大阪対FC東京戦を観戦した。
特別にセレッソが好きだったわけではなく、どちらかと言えばガンバの方が好きなのだが、サッカー好きとしては、優勝が決まるほどの試合のチケットが手に入って行かない訳はない。
優勝争いに絡みだした最近は特に、ガンバの試合をテレビで好んで見ており、ガンバに関して少しはわかるようになった。
例えば、今年は大黒が日本代表でブレイクし、私自身も彼をかなり推したものだが、リーグ戦を見ていると、ポストやパスの選択に難があることがわかり、代表で90分通じて使うのは厳しいかもしれないといったことはわかった。
もちろん、スペースへの動きは熱心に行うし、よい特徴はたくさんあるのだが。
ただ、フェルナンジーニョはアラウージョをパス先に選択することがほとんどで、大黒の動きはなかなか報われないなというところもある。
話は脱線したが、それにしても、ガンバの熱心なサポーターからすれば、ただテレビだけの俄かファンもはなはだしい。
自分自身、阪神やロッテの俄かサポーターぶりには、若干覚めてみていたくせに、こうして俄かファンが誕生するのかと、身をもってわかった次第なのだ。
今日の試合はもちろん、セレッソ大阪を応援した。
大阪にJリーグに優勝を持ち帰るためには、セレッソが一番近いところにいたことは確かだからだ。
ガンバには悪いが、ここ数試合を見ていると、勝てるかどうかは期待半分で、それよりも鹿島や浦和などの関東勢に優勝をさらわれるのは、もうたくさんなのだった。
優勝を狙うチームの中で、特に浦和は得失点差の上で有利な立場にあり、セレッソとガンバが引き分け以下ならば優勝できた。
もちろん、心の中では、ガンバが勝っていればとの思いはあったが、どうしてもそれを信じることができず、それよりも、他の関東チームが優勝をかっさらうのを恐れるばかりからのことであった。
セレッソの試合は一進一退だったが、後半も44分まで2対1で、もはやセレッソの優勝はカウントダウンの状態であった。
しかし、そこは1点が重いようで軽くもあるサッカーだった。
セレッソは勝利を目前にしながら、あっさりと同点ゴールを許してしまう。
どんなにきれいな形で相手を翻弄して得点しても、あるいはどんな偶然で得点しても、1点は1点。
今日の今野の同点ゴールはよいゴールだったけれども、セレッソは1点を守ることができなかった。
1点とは重いようで軽く、やっぱり重い。
隣にいた奴はtotoでこの試合を引き分けと予想して喜んでいた非国民な奴だった。
この同点ゴールに喜んでいやがるのがかなり鬱陶しい。
そして引き分けのまま試合は終了。
セレッソは、勝てば問題なく優勝であったが、引き分けだと勝ち点で並ばれた時に、得失点差が比較して少ないので、優勝はなくなってしまう立場であった。
試合が終わった選手たちは、泣いている者もいた。
他会場の結果はまだわからないのだが、引き分けでは優勝はほとんどないことを知っているからだった。
他会場の試合の結果を私も固唾を飲んで見守っていた。
ガンバが勝っていれば優勝だからだ。
アナウンスが流れて、他会場の結果が電光掲示板に示された。
ガンバは川崎フロンターレに4対2で勝っていた。
鹿島も浦和も千葉も勝っていた。
それぞれが優勝を目指して最善を尽くした結果であった。
ただ、セレッソは引き分けた。
今日の試合も含めて十何戦か負けなしであったが、今日の引き分けは負けを意味した。
ガンバは優勝するにふさわしいチームだった。
世界的な趨勢を見ても、攻撃的だと言われるチームが目立っている。
バルセロナしかり、チェルシーしかり。
もちろん守備の重要性は、1点が重いサッカーの特性上攻撃以上なのであるが、一時期目だった守備偏重の戦術はサッカーのおもしろさを奪うものでもあった。
ガンバの優勝もその流れにあるものとして位置づけることができる。
優勝おめでとう!

gamba