齋藤理玖くんの様な犠牲になる子供達を出さない為に……児童虐待防止ブログ

齋藤理玖くんがこの世に居た事を忘れないでください。















神奈川県の厚木市下荻野アパートで亡くなった。齋藤理玖くんの追悼アカウントです。

宝石赤アメブロ
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宝石赤ツイッターアカウント
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2度とこの様な悲しい事件を起こしてはなりません。
やっと孤独から解放されたりく君に貴方からメッセージを贈ってあげて下さい。

2014年5月30日 
神奈川県厚木市という静かな町で起きたとても痛ましい事件…
2006年10月頃から2007年1月頃までの間、厚木市下荻野のアパーㇳで
斎藤理玖くんは必要な食事や水分を十分に与えられずに目張りされた真っ暗でゴミの山の中に監禁され衰弱し孤独な死を遂げてしまいました。

これは、この子の父親である斎藤幸裕容疑者の保護責任者遺棄致死による「殺人」である事は
明白な事実ですが、理玖君が小学校に上がる頃の厚木市教育委員会の責任とも言い難い、
何故なら…一部のマスメディアでは「県警は06年10月ごろから07年1月ごろに死亡したとみているが、
市教委が十分に調査していれば理玖ちゃんの安否を早く確認できた可能性があり」という
見解を示しており、その事が事実なら、そういった法体制を許している
日本国民の世間感覚や倫理観が根本的な問題だと言えるからです。

こうした私たちが持っている感覚を正していかなければ、第2、第3の犠牲者を
生み出してしまう事に為るでしょう。

このままで良いとお感じですか?

また、こうした事件が一度でも発生してしまうと、その物件を管理している管理会社は
もちろんの事、その物件のオーナーさんは大変な危機的状況に陥ってしまいます。

同じ物件内にお住いの方の連鎖転居が起き、その物件のイメージが回復する数年間以上
新しい入居者が入らない恐れがあります。賃貸物件は管理費用がそれなりに高く、
入居率が高くない物件は維持するだけでも年間数百万の維持費かかる場合があります。
入居者がないから収入が確保できない状態で、物件を解体する事も出来ません。
解体しその土地を駐車上にするのにも莫大なお金が掛かります。

一度でも、誰かが「通常とは違う死因」でお亡くなりになった場合、そうした物件は
「事故物件」として扱われ、本来…通常で入るはずだったお家賃の半分以下になるケースも
ありえます。

一瞬で収入源を奪われた上に見込み収入も一切絶たれたオーナーさんが
全く予期しない出来事により、資金繰りが出来なくなり、それが原因で莫大な借金を作り
「連鎖的に自殺されてしまうケースもある」のです。

そうした悪い連鎖を起こさない為にも、このブログ内に
「この物件の管理会社への連絡先を明記します」ので、
皆様のお心とお呼びかけしたいと思います。

このブログを立ち上げた目的に共感しご協力いただける方はコメントを残されてください。
皆様の温かいお心とご支援をお待ちしています。

また、齋藤理玖くんの追悼アカウントを公開しています。
2度とこの様な悲しい事件を起こしてはなりません。
やっと孤独から解放された「理玖君」に…
皆様から温かいメッセージを贈ってあげて下さい。

赤ちゃん児童虐待のない社会を目指して!!赤ちゃん

Action For SmileのHP

URL2 『 http://a4-s.net/


◆あっ!虐待だ、と思われる子どもや家庭を知った人へ◆


体に殴られたようなあざや切り傷をつけた子どもがいる、汚れた衣服を着て食事を与えられていないような子どもがいる、子どもが厳冬期に戸外に長時間出されている、子どもの姿は見たことがないけれど火がついたように泣いているのがいつも聞こえる、小さな子どもを残して両親がいつも外出し食事や世話を十分にしていない...。このように、著しく様子がおかしい、適切な養育を受けていない子どもがいるようだ、と気づいた方は地域の児童相談所に通報してください。事実を目で確認しなくても、匿名でも通報することができます。
    

         

    ◇◆◇  児童相談所 全国共通ダイヤル ◇◆◇







20年の求刑が

19年に!


20年でも軽すぎ、甘すぎる!

と思ってたのに


今日のニュースも

あの理玖くんの写真が
出ましたよね?


あの写真見たら
また
涙がでてしまいました。



裁判で斎藤が


「あれは、事故の様なもの」だとか、
言ってたと


突然の事故で亡くなった訳ではないのに

救える命だったのに


良くもそんな事が言えるな!




ニュースん見ていて


怒りと悲しみで


胸が苦しくなって・・・


涙が出てしまった。


こんな鬼畜
死刑でも甘いわ。て思ったけど・・・








理玖くんの事がずっと
ずっと、頭から離れず忘れることはなかった。







何の為に理玖くんは
生まれて来たのか・・・






これからも理玖くんの事は
ずっとずっとずっと
忘れない・・・






男児衰弱死、父親に懲役19年 殺意認定
  


 粘着テープで目張りされた真っ暗な部屋で衰弱死した男の子。横浜地裁は、その父親の殺意を認め、懲役19年を言い渡しました。「あなただけが頼りだった子の最期を思うと、涙を禁じ得ません」、裁判長はそう述べました。

 つぶらな瞳で写真に写る、齋藤理玖ちゃん。2007年、神奈川県厚木市の自宅アパートの部屋で十分な食事を与えられず、5歳で死亡したとみられ、去年5月、白骨化した遺体で発見されました。死因は栄養失調でした。

 「被告人を懲役19年に処する」(裁判長)

 22日、横浜地裁は、殺人などの罪で起訴された父親の齋藤幸裕被告に、懲役19年の実刑判決を言い渡しました。裁判の焦点となったのは「殺意」があったか。齋藤被告は「殺していません」と殺意を否認、弁護側も「保護責任者遺棄致死罪にとどまる」と主張していました。

 判決では、理玖ちゃんが衰弱し始めた2006年12月中旬には齋藤被告は、理玖ちゃんにほとんど食事を与えなくなったと認定。治療を受ければ救命可能だったにもかかわらず、病院に連れて行かず放置したとして、「殺意があった」としました。

 裁判長は判決を言い渡した後、齋藤被告に「あなただけが頼りだった理玖ちゃんの最期を思うと涙を禁じ得ません」と話しかけ、「にもかかわらず、あなたが事故死のようなものと言ったときには耳を疑いました」と、異例の発言をしました。齋藤被告は終始、うつむいてうなだれた様子で聞いていました。

 「理玖には申し訳ない気持ちでいっぱいです。それしか言いようがありません」(齋藤幸裕 被告)

 今月8日、最後の意見陳述で理玖ちゃんへの謝罪を述べた齋藤被告。一方でこんな発言も・・・
 「殺意を否認しておけば、あとは弁護士が何とかしてくれると思った」(齋藤幸裕 被告)

 こうした発言に、検察側が「反省が全く足りない」と厳しく指摘する場面もありました。裁判には理玖ちゃんの母親も出廷。母親は2004年頃、3歳の理玖ちゃんを残して家を出ました。

 「理玖を引き取りたいと言ったけれど、齋藤被告に拒否されました」(理玖ちゃんの母親)

 母親は「被告の暴力が怖く、自宅に近寄れなくなった」と釈明、理玖ちゃんを引き取ることはありませんでした。

 また、児童相談所の対応も焦点の一つとなりました。児童相談所は、3歳のとき、裸足で外を歩いていた理玖ちゃんを一時保護しましたが、「虐待はない」として自宅に戻し、担当していた児童福祉司は、一度も家庭訪問をしませんでした。

 「1人で150件くらいの案件を抱えていました。緊急性も要する案件も多く、理玖ちゃんまで手が回りませんでした」(元児童福祉司の男性)

 増え続ける虐待事案にどう向き合うか。この事件は大きな問題を投げかけています。(

厚木5歳児白骨遺体事件 弁護士の切り札「被告のIQは69」

週刊女性PRIME 10月22日(木)16時0分配信

 

 わが子を餓死させたとして殺人罪などに問われた元トラック運転手・齋藤幸裕被告(37)の裁判員裁判は22日、横浜地裁で判決が言い渡される。

 死亡推定5歳の理玖くんは、ゴミ屋敷同然の部屋で白骨遺体として見つかった。なぜ悲劇は起こったのか。

 法廷で居眠りする姿からは想像できないが、運送会社勤務時代の元上司によると「週1日しか休みがなく1日10~11時間働いていました。まじめで無遅刻、無欠勤。評価は上位20%のA評価でした」と仕事はできたようだ。

 しかし、職場では悩みごとを話すことはなかった。親しい同僚もいなかった。私生活では20代前半でデキ婚。妻の妊娠を喜んだという。

「お互いに子どもが好きだったし、妊娠はうれしかったです。結婚式はお金がなかったので、身内だけで挙げました」

 そのとき、お腹にいたのが理玖くんだ。被告の父親は法廷でこう語った。

「妻が家を出て、頭の中が真っ白になったと思う。働きながら養育し、疲れ果てて育児を放棄してしまったと考えています。良識ある処罰を望むしかないです。(ひとりで子育てした2年間は)本人にとっては長かったのでは。よくやっていたと思います」

 被告の妹も、こうかばった。

「よく頑張ったと思います」

 現在も通院中という母親は出廷せず、弁護士によって上申書が読みあげられた。

《2人暮らしになったのに、助けを求めなかったのは、私の身体の調子が悪かったからだと思う。とても残念です》

 言葉こそ多くない。しかし、わが子のやさしさを信じ、自分のふがいなさを責める母親の心情が込められていた。

 法廷での被告は根っからの悪人には見えない。殺人罪の裁判で居眠りするのは信じがたかったが、むしろ、弁護士がたしなめようとしないのが不思議だった。一般市民から選ばれた裁判員の心証は悪くなるからだ。

 弁護側尋問に対しても、なんでもかんでも妻のせいにしたり、ときに自分を責めたり、ちぐはぐな印象を受けた。エロ雑誌を細かくちぎって紙吹雪にして理玖くんを喜ばせたエピソードや、妻が家出した後は自慰行為で我慢したことを訴えるなど不謹慎な発言も。

 どういう弁護方針なのかわからなかった。しかし、弁護士は裁判長に「これだという核心をつくものがある」と話していた。

 その狙いが明らかになったのは8日の結審だった。検察側は「親の意識が欠落した自己中心的で無責任な行動。情状酌量の余地はなく、最も重く処すべき事案」として懲役20年を求刑。弁護士は最終弁論で、裁判官と裁判員にメモを配って言った。

「被告は覚えていない。被告のIQは69である」

 メモの詳しい内容はわからない。しかし、IQの低さを理由に情状酌量を求めるものだった。

 IQとは知能指数。『辞林21』(三省堂)によると、平均値は100。一般的に70~130の間に95%の人がおさまり、50~70は軽度知的障害とされる。被告のIQをいつ、どのようにテストしたかは傍聴席には明らかにされなかった。メモには書いてあるのかもしれない。弁護士は言う。

「事件当初の報道で、児童相談所が悪いなどと言っていたが、私は“(被告の)自己責任じゃないか”と思っていた。しかし、彼は家族からも周囲からも孤立していた。地域の助けもなかった。この法廷でつじつまの合わないことを言っているのはIQが低いからです。彼だけに責任を負わせていいのでしょうか」

 弁護士の切り札に、法廷は一瞬で凍りつき、そして静まり返った。判決は22日に言い渡される。

斎藤理玖ちゃん(5歳)放置死 父親、斎藤幸裕被告に懲役20年求刑 横浜地裁 2015/10/8

2015-10-08 | 社会

5歳児遺体:父親に懲役20年求刑…放置し死亡 横浜地検
毎日新聞 2015年10月08日 13時01分(最終更新 10月08日 13時13分)
 神奈川県厚木市内のアパートで死亡時5歳とみられる斎藤理玖君の白骨遺体が見つかった事件で、殺人罪などに問われた父親、斎藤幸裕被告(37)の論告求刑公判が8日、横浜地裁(伊名波宏仁裁判長)であり、検察側は「親としての自覚が欠如している」と厳しく非難し、懲役20年を求刑した。弁護側は殺意を否定し情状酌量を訴えた。判決は22日。
 検察側は論告で「食事を与える回数が減ったことで理玖君はひどく痩せていた。死に至る可能性が高いと認識し、殺意があったはずだ」と指摘した。
 弁護側は「被告は『自分なりに頑張って育児をしていた』と主張している。殺意はない」と反論した。
 起訴状によると、斎藤被告は妻が家出した2004年10月ごろから2人で生活していたが、適切な食事を与えず、理玖君を部屋に閉じ込めて放置し、07年1月中旬ごろ栄養失調で死亡させ殺害したとされる。【松浦吉剛、水戸健一】
 ◎上記事は[毎日新聞]からの転載・引用です
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毎月5~10万円の生活費、風俗店で働くことも
厚木5歳児白骨遺体事件、母親が裁判で証言した夫の”性行為強要”
 2015年10月08日(木) 05時00分 〈週刊女性10月20日号〉
 餓死して7年以上とみられる齋藤理玖くん(死亡推定当時5歳)の白骨遺体が、自宅で発見されたのは昨年5月のこと。殺人罪などに問われた元トラック運転手の父・幸裕被告(37)は、理玖くんを置いて家出した母親(33)に責任転嫁するような証言を繰り返した。その母親が裁判で語ったのは……。
 「事件はニュースで知りました。気が動転してしまって、ひとりではどうしていいかわからず、お世話になっている知人のところへ行って、弁護士さんと一緒に警察の方に会いに行きました。(息子が餓死するのなら)迎えに行きましたし、こういうふうにはならなかった。……私に責任があると思います。後悔しています」
 横浜地裁で厚木事件の第8回公判が開かれた10月1日、理玖くんの母親は証言台で声を詰まらせ、涙ながらにそう語った。18歳で高校を中退し、デキ婚で齋藤幸裕被告の子どもを産んだ幼妻だった。
 証言台の周囲には巨大な衝立が用意され、傍聴席からは母親の姿は見えない。しかし、被告や裁判員からは確認できる。裁判員は食い入るように母親の姿を見つめた。
 そして……理玖くんの父親で夫の幸裕被告は、あろうことか被告人席で寝ていた! 午前・午後にわたる公判のほぼ半分近い時間を寝た。わが子に満足な食事を与えず餓死させた疑いがかかっているのに、よく眠れるものだ。背もたれに体重をあずけ、足を伸ばしてリラックスしていた。
 9月28日の第6回公判でも居眠りしている。刑事や検察の取り調べを録画したDVDが流されたとき、被告は計約30~40分は眠っていた。それに気づいた60代ぐらいの女性裁判員は、何度も被告の様子をうかがっては、露骨に眉間にしわを寄せていた。寝不足なのか、興味がないのか、妻の顔を見たくなくてふて寝を決め込んだのか。
 被告は本人尋問で妻に対するDV疑惑を「夫婦ゲンカだ」と否定した。しかし、妻は反論した。
「彼が一方的に殴ったり、蹴ったりしました。交際当初からそうでしたが、結婚してさらにひどくなりました。セックスは家出直前までほとんど毎日、ムリクリやられていました。イヤでイヤでしょうがなかったのですが、抵抗すればまた殴られるので……」
 夫に内緒でコンビニや風俗で働いたこともあったという。
「彼の給料は知らなかったのですが、手渡される額が毎月5万~10万円ぐらいでしたから、それだけでは足りなくて、理玖に新しい服も買ってあげたかったし、自分でも自由になるお金が欲しかった」
■「元気だから」と会わせてくれず…
 アルバイトの間、理玖くんは託児所に預けた。早朝に預けて、夜中に迎えに行く生活がしばらく続いた。なぜ、実家を頼らなかったのか?
「実家は、高校を中退して結婚することに反対で、私がムリに出ていったから。里帰り出産では1か月ほどいたのですが、母親が厳しい人で、そのあとでまたケンカしたので、頼れませんでした」
 やがて風俗のアルバイトが被告にバレて、不倫関係を疑われて暴力を受けたという。
「お客さんと店の外で関係はありませんでした。暴力はそれだけが原因ではなくて、いつも些細なことから暴力になるんです。それが怖くて、怖くて。もちろん、離婚届も渡したのですが、破られてしまいました。暴力に耐えきれず家出したんです」
 家出したのは、理玖くんが3歳のとき。被告には何も告げず自宅アパートを出た。
「手持ちはわずか数万円。しばらくは女性専用サウナやマンガ喫茶で生活しようと思っていたので、理玖は連れていけませんでした。自分が自活できるようになって、アパートなどを借りられる段階になったら、理玖を迎えに行こうと。彼は仕事で忙しいので、理玖は彼の実家に預けるだろうと思っていました」
 家出して以降、残してきた理玖くんを取り戻そうとしたのか─。
「理玖のことが心配で3~4か月後、1度、アパートに戻ったことがあります。そのときは元気でした。もちろん引き取ると言いましたが、“渡すことはできない”と言われ、それ以上はまた暴力になるので言えませんでした」
 その後も頻繁に電話連絡をとった。夫と会う必要があるときは、暴力が怖いので人通りの多い駅前にしたという。
「理玖を連れてきてと言ったのに連れてこず、“大丈夫だから、元気だから。でも、お前には会わせられない”と言うだけで……」
 妻は法廷で、母親として責任を果たせなかったことを悔いた。しかし、至らない点は多々あっても、できるだけのことはしたとも訴えた。
 第三者として妻のママ友が証言に立った。被告の暴力から逃れるため、彼女と理玖くんを数日間、自宅にかくまったことがある。
「離婚して、実家に帰ることをアドバイスしましたが……。当時は彼女も若かったので、ときどき、育児が面倒くさくなるのではないかと思っていました。でも、理玖くんを抱っこしたり、連れ歩いたり、好きな服を着せたりしていたので、ものすごく愛していたとも思う」(ママ友)
 暴力を振るう夫と、なぜ正式に離婚しなかったのか。裁判官の質問に対し、ママ友は長い沈黙を保ったあと、
「結局は、愛しているからなんじゃないかと思います」
 と語った。
 夫婦間の暴力は理玖くんにも影響を与えたようだ。3歳になっても、「パパ」「ママ」以外の言葉をほとんど話すことができなかったという。原因のひとつを妻はぶちまけた。
「彼(被告)は、理玖には手を出さなかったのですが、1度、理玖が見ている目の前で、私に暴力を振るったことがあって、それ以来、理玖の言葉がさらに減ったのです」
 しかし、このときも被告は聞こえていないような表情を浮かべるだけだった。
 第8回公判では、被告が逮捕時に同棲していた女性も証言台に立った。
「被告に出会ったのは、平成17年('05年)の春ごろ。当時、アルバイトをしていたキャバクラで知り合いました」
 被告は以前、この女性とは理玖くんの死亡後に出会ったと証言している。'05年は理玖くんが生きていた。妻が家出した約半年後に出会っていたことになる。どちらかがウソをついている─。
〈フリーライター山嵜信明と『週刊女性』取材班〉
 ◎上記事は[週刊女性PRIME]からの転載・引用です 
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斎藤理玖ちゃん(5歳)放置死 被告人質問 2015.9.24 父親・斎藤幸裕「理玖の食事のために毎日帰宅した」 
厚木市 斎藤理玖ちゃん(5歳)放置死 父親・斎藤幸裕被告、殺意を否認 横浜地裁初公判 2015.9.15 
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厚木市 斎藤理玖ちゃん/父親供述「いずれ衰弱死と思った」食事は週1、2回 /母親「DVがひどくて家を出た」
斎藤理玖ちゃんは自力で立つことができず、か細い声で「パパ、パパ…」と呼ぶだけ…/父親を殺人罪で追起訴 
斎藤理玖ちゃん 生きていれば13歳 厚木の男児白骨遺体 最後の2年は暗い密室で 死後7年半顧みず

昨年春に起きた以下の事件について、二週間ほど行われた公判が終わり、判決を待つまでとなりました。
後日『新潮45』に事件ルポをまとめますが、せっかくなので、こちらで公判によってわかったことを書き記してみます。
今回は事件の経緯を書きます。

(ニュース記事http://sysj.net/atugi/

事件の容疑者は、斎藤幸裕。
神奈川県内で、三人きょうだいの長男として生まれ育ちます。
小学六年生のとき、母親が統合失調症になり、重い症状が現れるようになります。
ろうそくを部屋にいくつもともして「悪魔が来る」などといってグルグルと回るなどいった異常行動です。
幸裕はそうした母親の姿を見て育ったことによって、自分は「嫌なことをすべて忘れる性格になった」と証言しています。
実際後の裁判で、幸裕は過去のことをまったくといっていいほどおぼえていないような発言を繰り返します。

ちなみに、幸裕のIQは69と低いですが、県立高校の普通科を卒業しています。
高校時代の趣味はバイクで、友人とツーリングなどへよく行ったそうです。
卒業後は自動車関係の専門学校へ進学するも、「遠い」という理由で数カ月で中退。その後、実家に暮らしながら運送会社で仕事をはじめます。(一度ペンキ屋で働いた後に、別の運送会社の正社員となる)

幸裕は20代前半の時、高校2年だったEという女性と知り合います。
前の恋人の友人であり、飲み会で知り合ってお互いほれて付き合うようになったようです。

Eは学生の身でありながら間もなく、一人暮らしをはじめた幸裕と同棲を開始します。
高校生なのに同棲? と思うかもしれません。が、Eの親はかなり教育に熱心で、Eはそれに反抗して家族とぶつかっていたようです。
そのままEは高校を中退し、妊娠したことで幸裕と結婚することになります。

妊娠していたこともあって、両家の親からは結婚は認められることになりました。
ただ、Eの父親は家庭でうまく言っておらず、結婚の挨拶の時などで姿を現すことはなかったといいます。
(Eの両親は後に離婚)

Eは18歳で、長男を出産します。
この時生まれたのが、事件の犠牲者である理玖君です。

Eは産後一カ月ほど実家に滞在しました。
その後、二人は理玖君をつれて厚木市のアパートへ引っ越します。

結婚当初、幸裕が働いて生活費を稼ぎ、Eは専業主婦をしていました。
しかし、若い二人の生活はかなり未熟だったようで、Eは料理の方法すらわからなかったようです。

やがて理玖君が一歳になった頃から、Eは幸裕に内緒で仕事をするようになります。
早朝はコンビニでバイトをし、昼から深夜の零時までは厚木の風俗(ヘルス)で仕事をしていました。
ヘルスでありながら「本番行為」もあったとか。
コンビニの仕事の時は、理玖君をアパートに放置、昼から夜までは託児所にあずけていました。

Eは風俗で稼いだお金を生活費にするわけではなく、ホストクラブへ行っていました。
また、幸裕が「浪費ぐせが激しかった」と言うように、バッグや服などをブランド物でかためていたそうです。

それでも、Eは裁判で「自分なりにちゃんと育ててた」と主張しています。
が、実態はネグレクトとしか思えないものでした。
たとえば、早朝Eがコンビニで働いている時、1、2歳の理玖君は誰もいないアパートに置き去りにされています。
友人が家に行くと使用済みコンドームなどが散乱するゴミだらけの部屋で一人泣きじゃくっていたといいます。親を求めていたのでしょう。

一方、幸裕は運送業で忙しく、明け方から夜まで仕事でした。
Eのムチャクチャな生活態度などが原因で、夫婦間のいざこざは絶えませんでした。
二人は顔を合わせばケンカをするような状態で、しばしば手を上げることもあったそうです。

幸裕は風俗で働いていることを知るなどして「時々ケンカになってお互いに手を上げることになった」と証言しています。
一方、Eの方は「一方的なDVがあって、結婚生活に耐えられなかった」「毎日レイプのようにセックスをさせられていた」と言っています。
どちらの話にも矛盾はあるのですが、いずれにせよ、二人の関係が破綻していたことは事実なのでしょう。

その後、児童相談所が理玖君を保護するのですが、とある失敗によって保護がうまく行かない状態が起きてしまいます。