世界の経典や、神話の中に

神が、孤独であった

との記述が、数多くある。

 

天と地が、いまだ、別れる前

時間も、空間も存在しない

源初の存在であった始原の神は

孤独だったという。

 

始原の神が、『さみしいな』と思われ

この宇宙が、生まれ

生命が生まれ

様々な次元の宇宙が生まれたという。

 

自らの、分身として

高次元の存在を創り

さらに、人間の魂を創り

人々を、つなぎ、結び付ける為に

 

愛が、あるという。

 

 

休日の都会の電車に乗ると、

くつろいだ、様子の人々が、

 

時には、家族と

時には、友人と

小さな声で話しながら乗車している。

 

おおぜいの人が、吊革につかまったり

椅子に腰かけたり

それぞれの、帰宅への道を、電車に乗っている。

 

この車両の中、電車の中に、数百の人が乗っているのだが

 

それぞれには、帰る家があり、自分の寝床があるのだろう。

それぞれには、職場や、家庭や、学校があり。

それぞれの、人生があり、その中で、様々な人間関係が、展開されているのだろう。

 

それぞれの、課題や、悩みがあるのだろう。

 

仕事が、うまくいかなったり、子育てに悩んだり、学業が進まなかったり

また、それぞれの、楽しみや、喜びがあるのだろうと。

 

そうして、それら、全てを知りたもう存在があるということに

不思議を感じる。

 

霊能力に『観自在力』というものがある。

 

遠く離れた人の、心境や状況を、手に取るように、理解する能力。

同時に、多くの人間の、心を読み取る能力など。

 

『観自在力』のもとに在るのは。

 

全てを、知りたもう、神と同通する能力だそうだ。

全てを、見守り、全てを、手の内に見ることができる、

神の意識と同通することで。

 

神の観じている事を、観ることができるそうである。

 

電車の乗客の、人生を、私が、想像するのは、単なる想像に過ぎないが、

 

実際に、見守っている存在が、あるということだ。

 

『神が孤独であったので、自分の分身としての、人間を作り』

 

『自由意志を与えて、いろんな経験をさせて、その経験を、神自信が、経験することで、楽しまれている』と様々な経典には、説かれている。

 

信仰が、必要なのは、孤独な人々にとって、神仏が、自分を見守っている、そば近くにいてくれると、思うことができることにもある。

 

よく言われる、たとえだが、人生の苦難の時、神に見放されたかと思うようなときには、

本当は、神は、その人を、背負って歩いているのだと。

 

あなたが、孤独の中にある時、神もそば近くに在る。

 

永拓