2012年6月から2012年12月までの記録です。
今まで書いていなかった内容もありますが
ずっとブログを読んでくださっていた方々には重複する内容もあります。
それと、これだけは書いておきたいのですが…
私は初発でかなり乳がんを進行させてしまった患者です。
放置しようと思ってそうした訳ではなく
結果的にそうなってしまったのです。
以前も書いたことがありますが
がんの「早期発見・早期治療」を知らなかったわけではなく
本当に自分の中で「自分ががんに罹る」ということ自体が抜け落ちていて
病院に行くに至りませんでした。
「それは馬鹿でしょ」って思われてしまうかもしれませんが
事実なので仕方がないです。
人間誰でも、周囲が当たり前のように認識していることが
なぜか自分だけ認知度が低くなってしまっていることってありますよね。
周囲や家族にがん患者が全く居ないので
それも意識が遠のく理由の一つだったと思いますし
私はピンクリボン運動があまり好きではないので
健康なときから、10月になると殆どあの運動からは目をそむけてきました。
そのため検診への意識もとても低かったです。
で、自分の経験から言えることなのですが
がんが体の中にある状態で全く何も治療しないのは、とても危険です。
(意味があって無治療とし、経過観察をしている方は別です)
症状の発現とがんの進行具合は必ずしも一致しないため
独自の判断で「大丈夫」だと思い込むのは、リスクが高すぎると思うのです。
最近
がんを放置することの是非が色々問われていて
それについて、私も思うところのものはあるのですが
長くなるので、それはまた後日書きます。
ただ、放置・無治療を選択されている方にも、色々な方がいます。
きちんと考えてご自分の信念に基づいてそれを選択しているなら何も言えないです。
☆
2012年6月乳がん告知
初診時検査
エコー
マンモグラフィー
針生検
アイソトープ骨シンチグラフィー
頸部~胸部~腹部造影CT
左胸造影MRI
血液検査・尿検査
生検結果
ホルモンレセプター+
Her2-
ki67 25%
浸潤性乳管がん(硬性がん)
核グレード3
手術不可
初発時の転移状況
(判明している範囲=医師は細かいことを伝えない=全身多発の場合は医師も詳細を把握しない)
腋下鎖骨周辺リンパ節
骨(主に背骨に多発)
局所皮膚
肺(胸膜と横隔膜・後日談にて判明)
初発時の転移による症状についての記事はこちら
初期治療
局所療法はできないと言われる
抗ホルモン剤タモキシフェンによるホルモン療法
(ゾラデックス・ノルバデックス)
ビスフォスホネート製剤による骨治療
(ゾメタ点滴)
医療用麻薬による疼痛緩和ケア
(オキシコンチン10mg×2回・とんぷくオキノーム2.5mg)
その他ロキソニン、マグミット(緩下剤)など
治療は
投薬し、血液検査により腫瘍マーカーを測っていきます。
血液検査は最初の2か月を除いて、基本2か月ごとです。
腫瘍マーカーが下降しても画像は撮らないとのことでした。
7月
特に何もないが、CA15-3は上昇
医師は「ホルモン療法をやると必ず一度は上がります」と言ってた
8月
腫瘍マーカーがほんの少しずつ下がり始める
歯科治療(8月から12月)
歯が痛くなり、乳腺と同じ病院の歯科を受診するも「放置」と診断。
その後痛みに耐えられなくなり、乳腺の医師に相談したところ
「かかりつけの歯科クリニックに行って、どんな治療になるのか訊いてきて」
などと、言われる。
(ゾメタの副作用を考慮し、抜歯は勝手にやるなと言われる)
今まで行っていたかかりつけの歯科クリニックを受診。
10年以上前の虫歯治療付近の歯茎に水が溜まり、神経を圧迫しているとのこと。
下顎骨(かがくこつ)が壊死する副作用があるため
ゾメタをやっていると抜歯は危険とされる。
治療方法を訊いてその後乳腺に報告していると時間がかかるため
このまま治療をしてもらう。
なんとか、通常通りの歯根治療をやり、抜歯せずに治療を終える。
9月
歯科治療が中心となり、特に何もない
10月
腫瘍マーカー(CEAとCA15-3)下降傾向
痛み激減
11月
医療用麻薬減薬
12月
腫瘍マーカー下降
医療用麻薬使用終了
私が行っていた病院は主治医制をとっておらず
診察を受けた医師は全て同じ医師ではありません。
今となっては医師を特定して書くことに意味はないと考えています。
途中から判ったことですが、
主治医制をとっていなくても、担当医は決まっている患者さんが殆どでした。
私には担当医もいませんでしたが、今から思えばそれでよかったです。
初発ですでに全身転移状態で「死」を覚悟していましたが、薬物療法は思いのほか結果が出ました。
しかし、乳腺ドクターズはまるで治療が奏功するのが不満みたいな雰囲気。
感想を言うこともなく、訊かれることもなく、また若い勤務医は間違えてばかりで、治療が一気に嫌になりました。
医療用麻薬を服用しているときは緩和ケア対象の患者なので、
診察の前に緩和ケア担当の看護師さんがやってきて、色々訊いてくれて
自分のことを話す機会もありましたが途中でそれも無くなりました。
体調は日に日によくなり、病院の環境にも慣れて、医師の考えや看護師の思惑、自分以外の患者さんへ意識が行くようになり、妙な観察眼が芽生えてゆきます。
自分以外の進行がんの患者さんへの言葉で、何度かたまたま耳にしたのが
もう治りません。
今より悪くならないことを考えましょう。
がんとは一生付き合っていくことになります。
という
この3つのセリフのセットです。
私は自分からあまり質問をしないので、直接言われたことはありませんが
言われている患者さんが再発か初発進行がんなのかは分かりませんが、
医師を信頼し、頼りたくて話している患者に
「その言い方は無いだろう」と思い、心から軽蔑しました。
しかしその一方で、そのセリフは間違いなく事実であるという真実も感じ取られるものでした。
(あくまでも現代の標準医療においてですけど)
だから、仕方ないのかなと納得する自分もいました。
結果的に、自分が生きるためには、自分でなんとかしなくてはいけないのだという結論に達し、その後「局所療法」の可能性を求めてゆくことになります。
つづく…