mixiとかtwitterとかいろんなとこでも書きましたが、昨年は10月に心筋梗塞で死にかけました。


おかげさまで大した後遺症もなく退院することができましたが、やっぱり死と直面した、という恐怖は体に染みついており、ちょっとした痛みや運動による脈拍の増加など、細かなところで、ドキッとしてしまい、どうしても何かにつけておとなしく控えめになっています。


ただ、悪いことばかりではなく、人とのつながりとか、温かさを感じることもできました。


お見舞いにいらしてくれた方、お見舞いは無理でも、SNSやFacebookやTwitterでコメントをくれた方々がたくさんいらっしゃって、ほんとにそういったメッセージなどが力になるんだな、ということを感じました。


普段僕も言葉を扱う商売をしておりますが、特にお母さんには、中途半端なテクニックを使うよりも、まずは子どもとしっかり話す時間をとることの方が、ずっと大切です、ということは伝えておりますが、図らずも今回、それを自分の身を以て体感することができました。


ブリッジフォースマイル で知り合ったボランティアや事務局の仲間たち、施設を出た若者たち、学生時代の友人たち、いたばし若者サポートステーション の方、前の会社の同僚、カウンセラー仲間、めんたね の方などなど、あらためて自分がいろんな人の中で生きてきたんだなあ、ということを感じさせられました。


昨年は東日本で大きな地震もあり、そういうことを感じた方もきっとたくさんいらっしゃったんだと思いますが、僕はどうしても自分事という実感が薄かったのですが、自分事になって初めてそうした関係性の大切さを知ることができたかな、と思います。物質的な財産だけではなく、関係性の財産というものを身を以て体感できたということかな。


後、まあ命が助かったから言えることですが、このタイミングで心筋梗塞になってよかったな、とも思いました。


このままダラダラと健康に気を使わない生活を続けていたら、もう少し歳をとってから、取り返しのつかないことになっていたかもしれません。でも、今回こういうことになったおかげで、自分の健康についてもっと気を付けないと、と感じさせられました。


別に死にかけたからと言って、生まれ変わったり、人生観が変わった、なんてことはありませんが、今までよりもう少し健康に気を付けて、今までよりもう少し周りの人を大切にして、今までよりもう少し自分の人生を大切にして生きていけたらいいな、と思います。

昨日は、ブリッジキャリアのキャリア準備講座でした。


この講座は3回シリーズで、5月、6月、7月と3カ月連続で児童養護施設の高校生を対象に行ってきました。


ここ数年ブリッジフォースマイルなどで施設の高校生や退所者にたくさん会って話をしてきました。


そして、結構たくさんの子が仕事、進路、キャリアについて悩んでいました。今のままでいいのか、もっとこういうふうにできたらいいのに、もっとこうしておけばよかった、とか。

もちろん、道を選ぶのに遅すぎるということはありませんが、そうは言っても、18歳で施設から社会に1人で出ることを義務付けられることが多い、という現状を考えると、彼らは、違う道を選ぶということについて、世間一般のいざとなれば親を頼れる、という子どもに比べ、大きなハンデを背負っているのは事実です。


そんなこともあり、彼らが少しでも早い段階で、自分の将来について考えてほしい、将来の夢や目標に向かって第一歩を踏み出してほしい、という思いから企画をした講座でした。


5月、6月はどちらかというと夢を膨らませる方向で考えてもらい、昨日行った講座は、夢をかなえるためにはどうすればいいのかを考える、ための講座でした。


実際問題としては、1回のセミナーで目標が決まったり、明日から何をすればいいのかが明確になる、なんてことはたぶんないのですが、それでも、この講座が、彼らの人生に何らかのスイッチを入れた講座になってくれたら嬉しいな、と思いました。


後、今回既に卒業して何年かたつ先輩にも来て話をしてもらいましたが、その中で、「最初は自分のためにお金持ちになりたかった、だけど、たくさんの人が進学を応援してくれたり、奨学金をいただけて、自分もお金持ちになって、他人のためにお金を使えるような人になりたい、と思った」という話をしてくれて、ちょっと感動しました。

苦労してきた分、どうしても自分のためだけに、と思ってしまうこともあるのかな、と思う一方で、他人の助けを素直に受け入れて、それを感謝に変えて他人のために、と思えるその素直な心が、本当にすばらしい、と感じました。

1950年代後半、デンマークにおいて、大規模収容施設で生活する知的障害者が、地域から隔離されている問題を打破するために生まれた理念。


バンクーミッケルセンがは知的障害者法(1959年)の中で、「知的障害者の生活を可能な限り、通常の生活状態に近づけるようにすること」と定義。


ノーマライゼーションは、知的障害者をいわゆるノーマルな人にすることを目的としているわけではない。


1967年スウェーデンののニィリエは、知的障害者援護法で、「すべての知的障害者に対して、社会生活の通常の環境や方法にできるかぎり近づけるような生活のパターンや日々の暮らしの条件をえられるようにすること」とした。

ニィリエはその暮らしの条件として、

 ①1日のリズム

 ②1週間のリズム

 ③1年間のリズム

 ④ライフサイクル段階を通したノーマルな生活

 ⑤自己決定

 ⑥結婚する権利を含む異性といる関係

 ⑦住環境的水準

を提示した。


後、1972年にヴォルフェンスベルガーは、「可能な限り文化的に通常である個人的行動や特徴を維持したり、確立するための、可能な限り文化的に通常となっている手段の利用」と説明。

1984年にノーマライゼーションが「障害者をノーマルにすることを目指す」と誤解を招くことから、社会的役割の実現=ソーシャル・ロール・バロリゼーションに転換することを提案。