親になるにあたり、

時に行き詰まったときに
度々相談に乗っていただく、

現在テレビやラジオ、雑誌など

様々なメディアで大活躍中の
河崎環お姉さん。

(妊娠に気づかず、
ワイン三昧の幸せな夜を
共にしていただいた日の
ブログはこちら右矢印


お姉さんの最新記事が、
「まさにかゆいところを
全部かいてくれている」内容でした!

「無痛分娩や帝王切開では
良い母親にはなれませんか?」https://lee.hpplus.jp/kurashinohint/808607/



記事の中でも触れられている

TBSドラマ「コウノドリ」。


「帝王切開じゃ子供を愛せない」と


赤ちゃんも、自身も危険に
晒されているにも関わらず
経腟分娩にこだわり

自身も、医療スタッフも苦しむお話。
私もこの回、観ていました!

どうやら、多くの共感を得たと
話題になったそうですが。
残念ながら私は、


全く共感できませんでしたびっくり


ええ。全くです。笑


だって、どんな方法だろうが、
命をかけて出産するのは
お母さん自身です。

例えば、数ヵ月後に
命がけの大手術を控えている人がいて

「でも、私はこの手術法じゃないと
病気が治ったとは言えないんです!」と

こだわる人っているのかな...


命がけの手術を控えてるってだけで
十分大変なことではないのかな...

助かることが最優先なわけだし照れ


その上、劇中では

帝王切開で生まれたという
娘さんが、
お母さんの苦しむ様子を見て
悲しそうな顔をしていたんです。

自分の
科学的根拠のないこだわり、
プライドのために

すでに感情の芽生えているお子さんに
寄り添えなくてどうするのだイラッ

「産道」とかどうでもいいから、
ちゃんと親になってよと...。

ほんとにこんな方が
いらっしゃるのかわかりませんがえーん


先日参加した母親教室でも

「完全母乳で育てないと、

自分は母親失格な気がして
どんどん追い込まれて鬱になった」

と話してくれたお母さんがいました。



NO!えーん
もちろん母乳は理想的だし

お母さんからの免疫を赤ちゃんに
あげるため

しっかり出るよう最大限努力するとしても

(私も毎日マッサージを頑張ってます!笑
めちゃくちゃ理想的ですと、
助産師さんや
マッサージ師さんたちに
毎度褒められるくらい照れ


とはいえ、
ミルクだから摂れる栄養もあるというし


第一、お母さんが鬱状態になっちゃ
本末転倒!


「母乳の質の良し悪しには、
食べ物が関わっている」

という通説にも

科学的根拠がないこともわかっています。

(もちろん人として、ちゃんとした
栄養を摂る努力はしたいですがキラキラ



「母としてこうあるべき」という概念が

どこまで本当に赤ちゃんのためであるか
冷静に検証せず

「自分を犠牲にすれば」
何とかなるという思考に陥ってしまう。

だから、時に人にもそれを強要してしまう。

(度々目にする、
食器洗い機はサボり、ルンバは怠け、
お手伝いさんはだめ論なども
同じ原理でしょうか。)


それだけ、
日本のお母さんは、自ら犠牲を強いてきて
孤独なんだと...

その心中を察すると
胸が苦しくなると同時に

本当に、これは社会問題であると。


環お姉さんの記事を読んで
再認識したわけであります。



さらに言うと、
ドラマのお母さんのように
「根拠のない良い母親像」に
とらわれてしまうような
思考のクセがつくと

時代も変化し
自我を持った子供の心の機微に

柔軟に対応し
寄り添ってあげられる親になれるのか?

そっちの方が
ずっと高度な思考力が
求められる気がします。


会社の上司もそうですが

我慢を強いられた人は、往々にして

「自分は頑張ってきた」
「だから君もこうしなさい」と
「~べき論」を押し付けてしまいがちです。

自分がそうなって、
肝心の子供の心を無視してしまわないよう、

自問自答を心掛けたいと思っています。



象徴的な例として

様々な場面で耳にする

「つわりは病気じゃない」
という言葉が

「耐えよ」という意味に
変化してしまったことにも、

日本らしさを感じます。


本来は、

「つわりは病気じゃないから、
病気のように治療が出来ない。

それだけ辛いので
労りましょう。」

という意味らしいのに、

この言葉で苦しむ人が
どれだけいるか考えると、

とんでもない誤用が
広まっていることになりますガーン

(「報・連・相」の言葉の意味を
変えてしまったのと
似ていますね。

やはり日本は、
何でも個人の責任にするのが
好きな文化なのでしょうか。)


お母さんたちは、

地獄のようなつわりの後も、
味覚がなくなったり
毎日はモノクロームになるわ、

今までの自分の生きる喜びを、
根こそぎ捧げるわけです。

すべては
愛しい小さな命のために。

母親だから当たり前と腹をくくって。



そもそも、自分の意思で選んで

女に生まれたわけじゃないにも
関わらずですウインク


だから、
「頑張れ!」「耐えよ!」と言うのは

もうそれだけで、十分じゃないでしょうか。


とはいえ

働き方を変え、
名字が変わるのも圧倒的に女性です。
(今の日本では。)


社会から与えられた選択を
受け入れて、

その中で
最良の道を選ぶしかないわけです。


一方、

男性だって、
どれだけ職場がブラックでも、
働き続けるしかないという
選択を強いられて

しんどいという人もいるでしょう。

(男性は辞めないだろうという考えで

無茶な働き方を強要する組織も
多いと思います。)



だからこそ。

もっと人権を大切にした
自由な社会って何だろうと考えたら。


自分の意思で選択したわけではない
「性」に関して


世間がそれ以上、
強制的に役割を与えるのって
おかしくない?と思うわけです。


国や組織の怠慢で
人の生き方を制限しないでほしい。


「産む」以外は、
人間であれば誰でもできるはずなので


それ以外は
個々に選択の自由を与えられる

人として・親としての
自発的な愛情で子育てができる

他者からの偏見も強制もない

そんな社会になることを願いますウインク



そうすれば、
それぞれの役割に追われて

孤独に追い込まれる

お父さんもお母さんも
いなくなるはずだから...。









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