子どもが学びの場を選ぶという選択 ○みんなにある 選ぶという選択○
Normal 0 10 pt 0 2 false false false EN-US JA X-NONE $([\{£¥‘“〈《「『【〔$([{「£¥ !%),.:;?]}¢°’”‰′″℃、。々〉》」』】〕゛゜ゝゞ・ヽヾ!%),.:;?]}。」、・゙゚¢ /* Style Definitions */table.MsoNormalTable {mso-style-name:標準の表; mso-tstyle-rowband-size:0; mso-tstyle-colband-size:0; mso-style-noshow:yes; mso-style-priority:99; mso-style-parent:""; mso-padding-alt:0mm 5.4pt 0mm 5.4pt; mso-para-margin:0mm; mso-para-margin-bottom:.0001pt; mso-pagination:widow-orphan; font-size:12.0pt; font-family:Century; mso-ascii-font-family:Century; mso-ascii-theme-font:minor-latin; mso-hansi-font-family:Century; mso-hansi-theme-font:minor-latin; mso-font-kerning:1.0pt;}こんにちは、今井愛です。今井家の子たちが、公教育ではない学び場を選んだ事を機にここまで数回に渡って「子どもが学び場を選ぶという選択」について、書いてきました。今日は、一旦のまとめにしたいと思っています。『学びの場を選ぶという選択』というのは子どもにとっても大人にとっても生きている限り常に、今にあります。言ってしまえば子どもも大人も、親も先生方もその他の誰にとっても人生そのものが「学び」であり「選択」の瞬間の連続だからです。今回は、今井家の子どもたちが公教育の学校に行かないという全身全霊の行動を起こしてくれたお陰で私と私の家族のみんなの人生にとって「今に、本当に大切な実感から行動を選ぶことの大切さ」をあらためて実感しました。こうして、私たち家族が経験していると同時に読んでいただいている方々におかれましても、大切な命の営みとして日々一刻一刻と動いている事を感じます。教育関係のことに限る事なく自然災害という出来事やいろんな人間関係においての経験なども含めて今を生きるみなさんが、決して楽に感じる経験ばかりでないこともある事を私なりに解釈しながら、日々感じています。私から言えるのは今もし問題と感じる出来事があるとしたら、そう認識している『だれかが』ではなく『みんなが』。また『一緒に同じように』ではなく『それぞれの人生において本当に大切な実感から、ひとつひとつの行動を選ぶ事』の経験を重ねて行くことの大切さを強調したいと思います。今回の今井家の子どもたちが、公教育の学校に行かないことを私たち親が受け止める事が出来るまでに子どもたちは生きる上で本当に大切に感じている実感が経験できていないように感じた場面がどれほど積み重なっていたことでしょう。それでもめげずに「生きる上で大切な実感が今得られていないよ〜」と声なき声で、いろんな場面でいろんなやり方で訴え続けてくれたのでしょう。そんな、子どもたちの生きる情熱を決して無駄にはしたくない!と、私は思います。今井家の子どもたちに限る事なく、多くの子どもたちと大人の方々の人生経験においてもありえる事情についても、同じ思いでいます。今井家の今回の事情に限ったとしても目の前にある様々な現状を機に自分と家族の心もどれほど激しく動いて崩壊と再構成を繰り返してきているかわかりません。日本や世界の事情についての出来事を思うと、私ひとりでどうにか出来る事でもありませんから、少なくとも自分の身体を持って生きている人生において100%責任を取りきろうと、いつも心に思うのです。でも、そうしながらも大切な実感を選んで実感して感じながらひとつひとつ行動を選択していると周りにもそのような選択をする生き方をしている人たちが前からずっと、わりとすぐ側にも結構いた事に気付くことに繋がっていきます。何度も、繰り返しますがもしも、何かの事情において大変に感じている時には、まずは『生きる上で本当に大切な実感から、ひとつひとつの行動を選ぶ事』を自分の人生において実践する事が最優先だと私は思います。大切な実感からいて自然に優先する行動は、何も大きな事ではなく深呼吸をする事だったりひとりの時間を持つ事であったり誰かに会う事だったり話す事だったり怒りの気持ちを表現する事だったり泣く事だったり身体を動かす事だったり自然に触れる事だったり大好きな何かをする時間を自分に許可する事だったり大好きな音楽を聞く事だったりどうであっても今感じている気持ちを、今感じているね〜って、自分に言う事だったり・・・・・・・まずは、自分自身が大切な実感を優先すると自分が今どうであるかに気付くので、それを周りの人に伝える事が出来ます。そこから、ひとりひとりが選ぶ行動がそれぞれに違ってもひとりひとりにとって本当に大切な実感から選んでいる行動だという事が解るからお互いに理解し合い、尊重し合います。また、家族のような社会的集まりでひとつの行動を選ぶ場合には自分にとって本当に大切な実感が明確であれば大抵は自然に、その実感から対話をしてお互いの思いをより理解し合っていきますのでみんなの大切な実感の共通からひとつの行動を導くことができます。さらには、家族のような集まりとかあるいは家族と学校という関係性においての対話で大切だと思うのはひとつの行動を選ぶ場合に、誰かの大切な実感が消えてしまわない事です。『みんなが本当に大切な実感を大切に出来ていると感じる行動が必ずある実感』からそこにいる事です。その実感を保つようにすれば、自然にみんなの視野は広がって行くので目の前の人が大切にしていることが、だんだんと感じられて来るし自分と目の前にいる人とそれ以外の人たちが大切にしている実感の共通も、感じられてきます。みんなに共通の大切な実感がそこには存在して、共有されているのでこれまでには、思いもよらなかった素晴らしい解決となる行動に繋がることが多いです。そんな一瞬一瞬にある選択の一歩一歩が今の時代にみんなで行っているシフトの時代をより楽にそして調和的に生きることになるのではないかなと私は感じています。このシリーズのはじめに、私は「今後、子どもとそのご家族が義務教育の期間にも学びの場を選ぶということが、どんどん一般的になるだろう」と、言いました。その意味が自分として生きる上で大切な実感から行動するということのたったひとつの例えに過ぎない事が今は、お解りいただけるかなぁと思っています。この度、今井家族の人生のタイミングで遭遇してしまった(笑)学校の先生方はたくさんの事を熟慮して下さっていることと想像します。そして、今回は校長先生がデモクラティックスクールに通う日を登校扱いにするという決断をして下さった事に繋がった背景にはここまでお話ししたように、今井家の子どもとその家族のひとりひとりが真摯に自分の人生にとって本当に大切な実感から家族も学校もそれ以外のみんなが、大切な実感の共通から優先する行動がみんなそれぞれに必ずある実感から選択した行動の積み重ねからの、ひとつの結果だったと言えるでしょう。誰ひとり欠けることない、みんなにとって大切な実感からの選択を誰が否定することが出来るでしょうか?ひとりひとりが真摯に行う『人生において本当に大切に感じる実感から選ぶ行動の重なり』は知らず知らずのうちに、大きな見えないうねりとも言える時代の流れを、今も常に生み出していることでしょう。毎回、長文をお読みいただきありがとうございます。