あいごマンの徒然ブログ -2ページ目

昨日あったことをつづってみる

こんにちは。にゃんれっどです。


日記的なブログを書きます。


テーマは昨日あったこと。



さて・・・。



昨日は、

昼研究室に来て、

電気泳動をして、

シークエンス出して、

ふらふらして、

ブログ書いて、

後輩とおしゃべりして、

後輩をメシに誘って断られ、

後輩と将棋を指し、

寝ました。


なんか、何やってんだって話ですよ。

何か、考えの浅い生活をしている!!


今自分がすべきことを考えよう!!


長期視点と短期視点両方持って、もちろん中期視点を持って、体系的に考えて実践する!!


それができなきゃダメだな。


明日すべきことは何か、考えて行動しよう。




社会の中で殺処分がどういう位置を占めるか

にゃんれっどです。


今日は堅い文章書いちゃいます。


テーマは『動物との共生社会のなかで、殺意処分という取り組みがどういう位置を占めるか』についてです。

まあ、自論なので聞き流してやってください。


今の社会は、動物と人が共生し、生活を共にする社会といって過言ではないです。

伴侶動物はもちろんのこと、野良猫なども一面から見れば害獣ですが、共生する社会の一員とみなすこともできます。


そんな共生社会にも、必ずひずみが存在します。

そのひずみの一つとして、この社会が受容しきれない動物の存在が挙げられます。


これらの動物は、飼育されていたものが継続飼育できなくなったり、野良で繁殖して近隣住民の迷惑を買うことによって、その社会(地域・家庭・個人など)で受容しきれなくなった動物といえます。


このひずみの解決策として、現在の社会では『殺処分』という方法が多くの場合で実施されています。



ここで言いたいことは、人と動物の共生社会のひずみに対し、現在の社会は『殺処分』によって対応しているということです。


今の社会の中では、このひずみの対応策として『殺処分』が存在するといえます。



では、以前の社会ではそのひずみにどのように対応していたのでしょうか?

狂犬病予防法施行以前では、野良犬がうろついているという状態であったと推測されます。

これは、余剰個体が存在するという社会のひずみ以前の、公衆衛生的なひずみが存在していたといえます。

つまりは、この公衆衛生的なひずみの解消策として、狂犬病予防法が用いられたということになります。


『殺処分』は、現在の社会では余剰個体のひずみの対応策という立ち居地ということができますが、同時にそれ自体がひずみでもあるといえます。


今、余剰個体が存在すれば、一般的には『殺処分』という解決方法が思い浮かぶことでしょう。

この、解決方法に関して殺処分でない何かが思い浮かぶような社会の方が、より誠実な社会ではないかと考えています。


普通の人がそれ(殺処分に代わる代替案)を思い浮かべられるような社会へと導いていくことが、我々の使命なのではないか、そう考えています。

イベント告知でござる


あいごマンの徒然ブログ-ワンブルー


どうも、ワンブルーでござる。


拙者の鼻のアップでござる。


これはニャンレッドの部屋でミーティング中の拙者の接写の画像でござる。



今度のイベントは9月23日名古屋市動物愛護センターでのイベントでござる。


今回はメンバーが少し少ないでござる。


拙者も及ばずながら、一所懸命がんばる所存でござる。


どうかよろしくお願い申し上げまする!!



【イベント詳細】

動物愛護デー

場所:名古屋市動物愛護センター

時間:13:30~14:00(あいごマンのステージ時間)

内容:あいごマンの出張授業!!

   あいごマンが命の尊さについて、熱く語ります。




あ、そうそう、なんか、ケログリーンとピョンピンクを仲間に入れたいなんて話が出てたでござる。


仲間が増えたら嬉しいでござるよ。


拙者も涙。



さらば!!