最近、テレビの質が低下している、といったことを聞くようになってきた。

これは主にネット経由だろうか。

テレビの情報は偏っている!
とか、
視聴率稼ぎやら政策費削減やらでクオリティわろし!
みたいなことを聞く。


僕はテレビをそこまで見ないし、偏ってる!とかクオリティ低い!って自分でわかるほどに教養やマメさがないので何とも言えないが、
芸人の使われ方、報道番組のアカデミックさ、報道する出来ごとの観点を見ると、違和感を感じなくもない。


では何故、質が低いのか?


テレビを報道する側(=テレビ局)は、NHKを除いては企業などの広告収入で成り立っている。
テレビ局は、お金を払ってくれる人の言うことを聞く。それはそうだよね。

じゃあ企業はテレビに広告費(しかも莫大)を投入するか。
たくさん人が見てるからだ。
広告枠の価値は視聴率で決まる。


そして、
謎の若手芸人が、学芸会レベルのネタをしても、視聴率が取れる。
政治の内容じゃなくて、政局を劇的に見せる方が、視聴率が取れる。
被災地やその周りで必要な情報ではなく、被災者を感情的に報道する方が、視聴率が取れる。

そしたら企業はその番組の枠の中にCMを入れる。


そしてある人は番組の質が低いと嘆く。

でもこれって、見る人がその質を望んでるってことになる。
それが視聴率だから。数字に出てしまっている。


消費者の行動によって供給する側の行動が変わるってこと。
資本主義の常識。

質の低い番組を見続ける限り、テレビ局が変わることはない。
クレームを数件言ったって、彼らには視聴率という根拠があるのだ。


まず視聴者のテレビの見方が変わらないとそうならない。
たとえそうなったとしても、無料で見られるチャンネルが限られている今のうちは
視聴者としても選べないけれど。


長い道のりだ…。



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地震:メディア

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また地震ネタ。



こういうことが起きると、多くの人が思うだろう。


情報の価値。

ひしひしと感じる。



情報の価値は、やはり「正確さ」と「新しさ」だ。


情報の価値は、時間とともに下がっていくし、
正確でない情報は、価値がないだけでなく有害であることすらある。



しかも、
価値ある情報は刻一刻と変わってくるし、人によっても違う。


地震とそれに伴う被害についても、

地震の被害
津波の被害
炊き出しや避難場所
原発
停電 
etc...

と、必要な状況が時間によって増えたり変わったりしている。




で、そんな中思うのは、


ツイッターすげえ。


ってこと。




ある程度の人をフォローしておけば、必要な情報がどんどん流れこんでくる。


ツイートをしている人それぞれが発信媒体だから、
速攻性と情報量がすごい。


きっと今まで災害時は、ラジオとテレビが頼りだっただろう。
おそらく今もそうだろうが、今回のツイッターの役割は凄かったと予想される。



そりゃテレビの価値も問われるようになるわ。

テレビ局の人が現地に行って報道するだけでは、情報量、速攻性で分が悪いもんね。

加えて、ネット上の動画サービスも追い打ちをかける。




そうなるとどうなっていくか。

既存のメディア(テレビ・新聞等紙媒体)は、
市場原理によって淘汰されたり役割が変わっていくだろう。


テレビより早い媒体が出てきたことで、
テレビはその情報の「質」が問われていく。


新聞はさらに、事実から何を導くのか。
「知」の集合体としてのメディアでないと必要とされないだろう。



一般人が媒体となれる新規メディアだって万能ではない。

スポンサーや視聴率・部数を気にする必要はない代わりに、
フィルターの無い情報は、玉石混合。どんな情報でも流れてくる。

使いようでは諸刃の剣だ。



これから、それぞれの役割がはっきりしていって、
必要のないメディアは消えていくだるう。



どうなっていくのかね。
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地震:日本人の習性

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久しぶりの更新。


そして、研修と関係ないことを書くのは初めてかもしれない。

そんなことはとりあえずは良い。

自分のとってのブログの意味なんかはまたどっかで書こう。




3月11日に大規模な地震が発生した。


揺れによる建物の倒壊などもそこそこに、
津波の被害がものすごかったらしい。


揺れか津波か、そのせいで原子力発電所に被害が及び、
今まさに関係者が頑張っているところ。


一方でその影響は関東地方にも及んで、
地震直後から交通機関が乱れ、そして今日(昨日)から輪番停電を実施したりと
今んところ普段の生活を送れない状況になっている(ちなみにここは東京)。




そんなこんなでカオスな日本だけれども、
良く聞くのは、日本人のすごさである。

(別にここでは日本人すげーって言いたいわけじゃないです)


被災地では、食料品・日用品の配給の際はしっかりと並び、
特に混乱も起きることなく配り終える。

電車が止まったカオスな東京でも、
甲州街道を人々がそれぞれの我が家に向かって淡々と帰っていく。

少ない本数で運行している電車も、
ちゃんと並んで乗る。
めっさ詰め込むけど、前から順番という秩序は守られる。

被災地の治安も悪くならないらしい。
多少はあるみたいだけど、ね。



・・・なんでだろう?





一つには、「信用」があると思う。

「この電車に乗れなくても、次の電車が来る」
「順番に並んでいれば、必ず自分の分が残る」

といったものだ。
これは、普段から勤勉でマメな日本人が作り上げた社会の諸々のシステムのおかげではないだろうか。

でも、数に限りがあって全員分配られない場合でも、
おそらく被災地の皆さんは並ぶと思う。




僕はここに、「我慢の文化」があるのではないかと思う。

僕がナイジェリアに行った時もそうだったが、
自分は慣れない環境に対して、出来るだけ「我慢する」傾向があった。

これは、日本が資源の乏しい島国だったから、あるもので何とかするなど、
現状の不満に対して外に働きかけることがあまりなかったから、とか聞くね。
ホントかはわからないけど、なんとなく納得できる。




んで、一番大きいのは「社会の目」をものすごく感じる傾向があるからじゃないかな。

でもこれってよくわからない。
もちろん、自分自身もそれとなく、でもものすごく意識しながら生活している感はある。
ただ、何で?と言われると・・・。
限りある土地や資源で生き延びるためには、他人と協力して生きることが不可欠だっからかな。
それが遺伝子に染みついているんだろうか。





とまあ、こんなところが挙がったんだけど、
たぶんこれは自分とか比較的若い人とかの話であると思う。多数ではあるけど。


田舎のおばあちゃんとかは本当にモラルが高いんでないかな。
自分の行動による周りの影響なんかに敏感であるとか。





他にもいろいろあると思うけど、
きりないし、勉強もしていないしでこの辺で。




とりあえず思ったことは、


①地震があったとしても日本に住みたい。

日本人って、たぶん人と助け合ってくの好きだよ。というか、危機の時とかに生まれる妙な連帯感が好きなんだと思う。
自分もそうだから、例え日本で災害大国でも、日本で暮らしたいと思う。

さすがに、半年後に本州沈むとかなったら逃げるけど。


②社会学とか心理学好きかも。

ついでに言うと、心理社会学科の意味がわかった気がする。
ん?社会心理学とは違うのか・・・?(たぶんあまりわかってない)



ってこと。
次は地震の報道のことなんかを書こうと思います。
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