デトロイトから帰って来て広島の高校へ編入した時、
「アメリカの教育なんてデタラメだから日本に帰ってきたらく苦労するぞ」
 こう言われた時の心臓が止まるほどの驚きを忘れる事が出来ない。
そんな時あの二宮正治は私の涙を拭いてくれて、
「駅弁ポンキチ大学出身者の言う事なんか聞き流せ。あいつらは大馬鹿なんだ。俗に言う『ウスラ馬鹿』なんだ」
 こう言ってくれた。
私の心は怒りから笑いに変わった。
二宮正治は私の勉強をずっと見てくれた。東京大学が射程距離に入ってきたが父がデトロイト生活で体を壊してしまったので、広島を離れる事ができなかった。駅弁ポンキチ大学に入学する以外に手はなかった。
地獄の四年間だった。四年生の時に父が亡くなった。私は東京に私立に入りなおした。
あれから二十年以上の月日が経ったがあの時に胸をえぐるような事を言った教師は許せない。
そして私は、
「駅弁ポンキチ大学が広島をだめにする」
 この考えは変わらない。