予が教相・観心は

理即・名字・最悪愚見の為なり

(本因妙抄 日蓮)



此の功徳は

日蓮は之を知る可からず

併(しかし)ながら 

釈迦仏に任せ奉りおわんぬ

(観心本尊得意抄 日蓮)


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Mr.Mount-hat氏のお便りから
一部分を簡単にまとめた上で
転載させて頂きます。


<創価学会破折>


池田創価学会時代


池田大作氏は昭和三十五年五月に
会長職に就任しました。
「池田創価学会」と題しましたのは、
牧口・戸田両氏の時代の創価学会
とは名称は同じでも全く違った
異質な創価学会に変貌したからです。

その原因は唯一つ、
池田氏の日蓮正宗信者としての
分限を弁えない「増上慢」と、
学会内における「独裁」にありました。

彼の慢心・独裁の振舞は
止まる処を知らず、
先に述べた宗門側の提示・要望した
三カ条などはいつの間にか
反古同然となっていきました。
その所業を挙げたら
際限がありませんが、

一、内に向かっては、学会内で
絶対者として君臨していくこと
  (有力幹部を閑職に追いやる等の
  いわゆる批判的な人人への粛清)

一、外に向かっては、
同じ宗教法人の長として、
  日蓮正宗の管長(貫主)と
同格になること


一、更には宗教法人創価学会の
傘下に日蓮正宗を
  包括すること
  (日蓮正宗国際センターの
   設立を画策)

等々です。

これ等の野望を遂げる為には、
兎にも角にも創価学会員の
宗門離れ・僧侶離れを計らなくては
なりません。
そこであらゆる手段を用いて常に
学会員を洗脳し続けたのです。

その為の数ある池田氏の
指導の中から
二三列挙してみましょう。


一般の新聞などに出ている
葬式の合理化運動。
この形式だけの葬式を改善しよう
という動きに大賛成だ。
僧を呼ばず、
死亡通知だけで構わない。
私達自身が事の一念三千の
当体なのだから、
必ずしも僧侶を呼ぶ必要はない
という旨の発言がありました。
(昭和四十三年十一月度・
 本部幹部会)


日蓮正宗の貫主並びに
全国の僧侶が参席した
かつての戸田前会長の大葬儀や、
池田氏自身が多数の僧侶を招いて
彼の母堂の葬儀を盛大に行った
こと等、
これらの事実を知る者からすれば
何とも空々しい指導です。

池田氏は日蓮正宗の葬儀も
世間一般の亡者の冥福を祈り、
永遠の別れを告げる為のもの、
所謂告別式と同次元で述べています。

しかし日蓮大聖人の葬儀も、
弟子檀那が集まって厳かに
奉修されましたし
(御遷化記録)、
また化儀抄に

「霊山への儀式なるが故に云々」
とありますように、
日蓮正宗の葬儀は形式的に僧侶が
読経して亡者を送り出す
だけのものではなく、
「即身成仏」
「師弟相対の信心」を根本に置いて
執り行われるのです。即ち
「師弟相違せば何事も成す
べからず(中略)
常にかたりあわせて、
出離生死して同心に霊山浄土にて
うなづきかたり給へ」云々
(華果成就御書)
と示されますように、
師僧(住職)が仏界の立場で
祭壇(亡者・弟子・九界)に向かい合って
座し(師弟相対)、
ただ余念なく
南無妙法蓮華経と唱える処に
「妙法経力・即身成仏す」云々
(妙一女御返事)
「今本門の即身成仏は当位即妙・
本有不改と断ずるなれば、
肉身を其のまま本有無作の
三身如来と伝える是なり」等云々
(妙一女御返事)
との仰せ通り、
亡者は妙法の力によって
十界互具し、
「無作三身の仏」となるのです。

この様に霊山の儀式
(霊鷲山での法華経説法の儀式)
は亡者の冥福を祈ると共に、
御本仏・日蓮大聖人の御生命に
冥合して無作三身の仏となった
亡者を讃嘆し、
供養・焼香等を捧げるのです。

「事相の化儀の上に、
宗旨(教義の主要な趣旨)
立つる宗なり」云々
(有師談諸聞書 富要二巻)

※・・事相の化儀とは
「事実」の相に顕した
法の教え方ということ。

という日蓮正宗の葬儀の
意義を見る時、
池田氏の「死亡通知だけでよい」
「死んで誰にお経を読んでもらう
必要がありますか」
等の指導は慢心の極みであり、
日蓮正宗の教えではありません。

池田氏が極一部の世論を
巧みに利用して、
学会員たちへの僧侶・日蓮正宗離れ
を計った実に巧妙な指導です。


末法の御本仏日蓮大聖人も
一生涯、既成仏教のような
寺院は持たれずに生涯
草庵暮らしだった。
すなわち学会の会館・研修所も
近代における寺院というべきだ、
との旨の発言がありました。
(昭和五十二年一月二十五日
 仏教教史観を語る)

この指導も世の失笑を買った
デタラメなもので、
日蓮大聖人が晩年、身延山に
久遠寺という立派な寺院を
令法久住の為に建立されたことは
世人のよく知るところです。

※筆者注・ご寄附によるものです。

即ち、寺院不用・寺院否定
日蓮正宗の否定
という図式のもとに、
学会員の宗門離れを
意図している指導です。

また寺院否定の受け皿として
「創価学会の会館は近代の寺院」
と位置づけ、
この指導より以後は会館での
学会員の先祖供養や
お盆・彼岸・結婚式等の法要を
大々的に全国で
独自に営むようになりました。



維摩経には維摩詰が
在家の身ながら供養を受けた
事実が記されている。
これは一つには
真に仏法流布に挺身して
民衆の救済に励む者には
供養を受ける資格があるという
思想が底流にあるから。

二つには、その供養が
民衆・仏法の為に還元されるならば、
仏法の本義に適っているということ。
受けた供養が仏法流布に
役立つならば、
在家の身でも供養を受けられる
という思想がある、
との趣旨の発言をしています。
(同・仏教史観を語る)


この指導ほど卑劣にして
狡猾極まりないものは
ありません。
仏教とで有りながら、
己の慢心と欲望の為に
仏典までも利用し、更には
無智な学会員に経文の意を
歪曲してまで洗脳する、まさに
仏敵・魔の所業と云うべき
ものです。

確かに維摩詰は断りきれずに
止む無く供養を受けたことが
維摩詰経に記されていますが、
それは
「自分は仏様ではなく菩薩である。
受くべきお方(仏様)が受けた
供養ではないが故に
その供養の半分を貧しい民衆に施し、
残りの半分を仏様にお供え奉った」
というのが
経文の意なのです。

即ち
「供養は仏様しか受ける資格がない」
ということを教えた経文です。
そして池田氏自身が、
このことは百も承知の上で
この指導をしているのです。

それ故、この指導もまた
日蓮正宗を否定すると共に、
いずれ学会員からスムーズに
供養と称して
金品を搾取できるよう、
その下準備として
用意周到になされたものでした。

転載以上 


続く

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もともと借金の取り立て屋だったことは
今や有名よね?ソ・テンチャク君★

アチラ側勢力に煽て上げられ、
傀儡として君臨してきたものの、
末端まで調子に乗って
やり過ぎてしまって
今やその悪事ったら露呈しまくり。

嘘は長くは続かないものね~。
残念!!!


葬儀については私には
はっきり言って
未だよくわからない部分が
多いのですが、
形式化してしまった背景には
心の廃頽があるのでしょうね。

私の心に刻まれたお別れは、
私が24歳の時の、
親戚中から厄介者扱いされていた
叔父のものだ。
若いころはマジメでハンサムで
仕事熱心だった彼だが、
お人よしが仇となり、
騙されてお金を貸しては裏切られ、
の連続で
結局独り身のまま
社会的にも落ちぶれていった。

でも偶に会う彼の心は
非常に純真で、その優しさ故に
社会について行けなかった弱さが
私にはよく理解できた。

落ちこぼれかもしれないが、
私は彼が大好きで、
もう一人の仲の良い従兄弟も
彼を好いていた。

だから、彼が亡くなる前夜に、
二人に同じ夢で
叔父が自らの死を知らせたのだ
と思う。

その不思議な夢から覚めた時の
空気感・
現実を覆うような寂寥感は、
今でも忘れられない。

一人アパートで亡くなっていた
叔父の死は警察から知らされた。

でも彼の為に集まった親族は
極々僅か。
早急に手配できた葬儀場は
非常に立派で高額な所で、
豪奢でだだっ広い控えの間に
ぽつねんと集ったのは
私を含めてたったの七人。

通夜といっても
特に僧侶を呼ぶ訳でもなく、
身内が皆に声をかけて、
寝台に乗せられた叔父に向い、
皆で読経を捧げたのだ。

曇天の、
しんと張った糸の震えが
伝わるような空気感の中、
それぞれが思い思いに
心を込めて読経する。

次第に読経の声が揃い始め、
がらんとした部屋に温もりが戻り、
荘厳な調べとなって部屋を満たす。

そのうち、歓喜に似た情感が
一体感となってあふれ出てきた。

あれだけ馬鹿にされ、
社会的にも落ちぶれた生活をし、
最期は血を吐いて
一人旅立った叔父。
けれどもその顔は真っ白で
もちもちしていて
まるで今にも
起き上がりそうだった。

法華経信者ではない親戚も
共に南無妙法蓮華経と
手を合わせるうち、
叔父の顔がどんどん白く美しく
神々しくなっていく。
本当に不思議なことだ。

叔父が私たちに
合掌させて下さっているんだ。
有難さに胸が満たされていく。

思うぞんぶん唱題して
皆が満たされた表情を浮かべて
眠りについた。
叔父さん、有難う。


翌日、
周りは大勢の参列者で賑わい、
葬儀とは思えないほど
寧ろ華やいだり盛り上がっている
集団を尻目に、火葬に列した。

場に似合わぬ貧相な参列人数の
私達に向って
奇異の眼や蔑んだ眼を向ける
集団もいたが、
私たちの心は
大いに満たされていた。

おそらくあの場の誰よりも
亡者の死を悼んでいたし、
敬虔な思いでいたし、
仏の慈悲に満ち溢れていたと
自負している。

最後のお別れの時、
私は大切にしていた人形を
棺に納めて頂いた。
親は「そんなもの、
みっともないからやめなさい」
と云ったが、
親戚が
「いいのよ、彼は
ひとり身だったのだから、
お嫁さんの代わりだと
喜ぶわよ。」
とフォローしてくれた。

叔父の美しくて柔らかそうな
真っ白な顔を見た時、
初めて涙が頬を伝った。
それを見ていた葬儀屋の
御兄さんが、精一杯の
無言の優しさの詰まった所作で、
私の人形を丁寧に
叔父の顔元に収めて下さった。


さよなら、おじさん。
ありがとう、おじさん。

素晴らしい教えを、
ありがとう、おじさん。

またね。

私にとって、
宗教界の争いや葬儀の形式の
云々など、実に下らないと思える。
みんな、本心を失っているから
こんな下らない争いや間違いが
惹起されるのだ。

私にとって、
死ぬとはどの様なことか、
祝福に満ちた旅立ちとは
どの様なものかを教えてくれた
叔父や、参列した身内・親族は
全て、
大切な仏の導きだったと
確信している。



有難うございました。
南無妙法蓮華経