源(みなもと)濁りぬれば 
流(ながれ)浄(きよ)からず

身曲りぬれば 
影直(なお)しからず

(一谷入道御書 日蓮)



譬ば破れたる船に乗つて
大海に浮び

酒に酔(よえ)る者の 
火の中に臥せるが如し

(一谷入道御書 日蓮)



今末法は
南無妙法蓮華経の七字を弘めて
利生得益有るべき時なり。

されば此の題目には
余事を交へば僻事なるべし。

此の妙法の大曼荼羅を
身に持(たも)ち・
心に念じ・
口に唱へ奉るべき時なり。

(御講聞書 日蓮)


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昨日正信会について触れたが、
他にも不審点があるので
殺される前にこちらにも記しておく。

私がMr.Mount-hat氏と
御縁させて頂くきっかけとなったのは、
地方で一人奮闘していた時、
このまま黙って死ぬわけにはいかない。
何かの形で仏様のお役に立てないか
考え、思い立って寺院に本を差し上げ
始めたことだった。

その当時、イングリッド・ベタンクール著
「それでも私は腐敗と闘う」
深く感銘を受けていたので、
彼女の熱い思いが
一滴の波紋になればと思った。
そこで全国の正信会寺院の中から、
県内に一つ・二つしかない寺院を選び、
予算に合わせて
少しずつ本を寄贈し始めた。

突然の寄贈に驚かれたのか
全く返信もないお寺もあったが、
幾つかの寺院の御住職から
お礼のお便りや丁寧な感想を
頂くようになった。

そんな中で、
「一人一人に送っていたのでは
大変でしょう?
それに必ずしも本の内容に
共感できる方ばかりではないでしょうから、
記事にしてこの本を紹介されては
如何でしょう。
そうすれば、
自ら読みたいと思ったかたが
本を手に取って下さるでしょう。」
と仰り、
機関誌の継命新聞社の編集長を
紹介して下さったのが
mount-hat氏だったのだ。

特段信徒という立場でもなく、
また活動にも一切参加していなかった
私だが、
以来親の妨害が入るまで
(是も同和工作員の根回し)
記事を連載させて頂くことができた。

何しろ妨害工作への対処や仕事のかけもち
などで汲々としていた折のこと。
本当にハードだったが、
大いなる励みとなったし、
何より師や編集長の温かい励ましや助言が
心に沁みた。
読者様の反響も嬉しかった。

ところがだ。

記事の掲載を断念してから
数年経った頃、
継命新聞社の社屋が都内から横浜へ
移転となった。
そのことを伝え聞いた私が
事情も知らずに編集長に
「ご栄転!増々のご活躍を」といった内容の
お便りを送ったところ、
思いつめたようなお返事が
返ってきたのだ。

詳しい事情は仰らなかったが、
「捲土重来という言葉もありますし・・」
というお言葉に、
並々ならぬ事情を察した。
会からは全く離れていたので
何が起きているのか知らなかったが、
その頃、法人格を取るか否かで
会内で内部分裂が起きていたようだ。

その後、とてもお元気だった編集長が
突然体調を崩され、
「半年ほど」の闘病生活の末
亡くなられたと伺った。
晴天の霹靂だった。
はっきり言って、経緯がおかしい。
彼は殺害されたのではないかと
思っている。


工作員はやりたい放題だ。
どこにでも入り込んで、
人々の分割統治に余念が無い。

20代前半の時、
近くの寺院の住職から
人が足りないからと連絡を受け、
正信会の全国大会の受付を
頼まれたことがあった。
親が引き受けたので出向くことになったが、
私にとっては
心の世界のことでお金や時間を費やして
大会などするのは無意味だと思っていたし、
第一、御顔を見ることが何に成りますか、
心こそが大切なのですと仰った
日蓮聖人の御心からも逸脱している。
そんなことをするなら、
地元でもっと法を説いて下されば良いのに、
と感じていた。
検索すれば分かるが、
今法華経の原典について扱った出版物は
極々僅かで、
一般人が法華経経典を手に取る機会は
実に稀だ。
法華経原典に触れられてはマズイ勢力が
出版を統制しているのではないかと
勘繰ってしまう。

ともあれ、
受けたものは誠心誠意勤めようと
静岡まで出向いてお手伝いさせて頂いた。
当時の私は受付業について、
一流の先輩方からみっちり仕込んで
いただいていたので、
評判が良かったのは当然のことだが、
それを覚えていらした御住職から数年後、
また寺院での受付のお手伝いを頼まれた。
親がお世話になっているのでと快諾したが、
ちょうど同和のストーキング被害が
顕著になり始めた頃でもあった。

当日、
年配の女性と2人で受け付けに立ったが、
創価に疑問をもったのでこちらに来てみた
・・とか言う2人組の男性に
早速嫌がらせを受けた。

2人は受付に来るなり突然大声で
「あ~、俺、こっちの子の方がいいなあ~!」
ともう一人の女性の前に並び、
私に嘲笑を浴びせかけたのだ。
別の男も
「あ~、俺もこっちの方がタイプだな~」
と叫びだす。

厳格な雰囲気をぶち壊しまくって
笑って寺に入っていく雑で汚い気を放つ
怪しい男性たちを、柔和な(笑)氷の微笑で
やり過ごしながら口の中で呟いた
「飲み屋でやんな!」

その後、彼らの様な輩が
私の態度が悪い等告げ口したらしく、
住職からの連絡は途絶え、
以来邪険な態度で
あしらわれるようになったのだ。

この手の下種な嫌がらせが同和は得意だ。

ある財閥系企業で受け付けを
していた時には、
訪問してきたIBMの営業にこれをやられた。
勿論工作員だ。汚いオーラですぐ分かる。
元JALのスッチーだという
企業マナー講師には、
部署の上司に意味不明な告げ口をされた。

こんな下らない嫌がらせの例は
枚挙に暇がない。

当該財閥系企業に買収されたばかりの
ある製薬会社の若い社長は
非常に気骨のある方で、
取り込まれることを心底嫌っていた。
社員も明るくて、皆で頑張って行こう、
仲間どうし仲良くやっていこう、
という雰囲気が溢れていて、
仲間として温かく接して下さる方
ばかりだった。
ていうか、それって普通だと
思うんだけれど(苦笑)。

財閥企業の社員(工作員)から
プチ嫌がらせを受けていたりすると、
そちらの社員が庇ってくださったり
励ましてくださったり。
全く健全な体質だった。


特に私が縁した財閥系企業や
大学病院の陰湿な雰囲気は、
工作員の多さも関係しているのでは
ないかと思う。

彼等工作員の豹変ぶりは筋金入りだ。
まあ普通は顔色や雰囲気などで
ちょっとおかしいと判断できるものだが、
相手によって態度が全く違うので、
経験値の浅い人が騙されてしまうのも
無理はない。

例えば以前、
身内所有の建物の前の私道に
車を停めた時のこと。
所用を済ませて車に戻ると、
その近所に住む川崎市の
「水道局局長」のおっさんが
仁王立ちして私を睨んでいた。

「お前、こんな所に車を停めたら
迷惑だろうが!」と一喝。

・・・???そうかなあ?

「あ、失礼致しました。すぐにどけます。」
と返答すると、
「ちょっと待ってろ!警察を呼んだからな!」
と叫ぶ。

仕方ないので待っていると、
到着した警察官に対してそれこそ
別人のように柔和で謙虚な態度で
「ああ、お忙しい所をすみませんねえ、
どうもどうも・・。」
とかなんとか頭を下げている。

気をよくした警官が
「君か?この車の持ち主は・・」
と高圧的に言うので

「いえ、ちょっと待ってください。
ここの部分は私道ですよ。」
と言いかけると
局長が突然こちらを振り返り、
「うるさい!お前は黙っとれ!!」
と怒鳴り散らし、
再び警官に向き直って
「どうもどうも、すみませんねえ。」
とペコペコ。

何て恥知らずな!
あんた、悪玉同和でしょ?

流石にこの男はおかしいと感じたのか、
警官が態度を改めその場を収めて
立ち去った。
未だ若かりし時のことだ。
黙ってやり過ごしたが、
今ならただじゃ済ませない(笑)ところだ。

まあ、今となってはこんなプチ嫌がらせなど
可愛い可愛いもの。
何せ、平気で生命を殺めることの出来る
連中だ。
この類の病人は早急に隔離すべき。
でなければ
マトモな生物が際限なく
餌食になってしまうだろう。



お付き合い下さり
有難う御座います!

南無妙法蓮華経