法華経のかたきを見て 
世をはばかりて恐れて申さずば 
釈迦仏の御敵 


(妙法比丘尼御返事 日蓮)





しばらくの苦こそ候とも 
ついにはたのしかるべし


(上野殿御返事 日蓮)





生命を愛すな憎むな
生くる限りよく生きよ
その永き短きは天に譲れ


(ミルトン)



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Mr.Mount-hat氏のお便りから


爾前経(法華経以外)はあなたも頑張れば得られますよ
と説く。このように外に目を向け心を躍らせるようなことを
説いている。


法華経はそうではない。

どの様な状況であろうとも、
おのれより外に存在するものではなく、
目に見えるもの・感じるもの・
思ったりするもの全てが
すでに自分自身の心なのです。


先ほどの例を言うと、
嫌な人に出会ったとする。
その相手を好人物だと思っている人も
いるので、
嫌な奴だと思っているのは
自分自身であって
相手その人じゃないのです。


全ては自分の一念なんです。

そういう心に仏が住まわれているのです。

そのような心は、
日々の信心修行を怠りなくするところに
生じてきます。


御本尊様への毎日の御給仕・
お水を供え樒を供え、
灯明を灯して香を田焚き・
仏飯を供えて読経唱題する。
月に一度は御本尊さまへ
仏膳を供えて御報恩の誠を尽くす。

これらはみな仏様へ信心の志を
供養するすがたなのです。
その信心の志こそが
仏の心を生じさせる尊い信心なのです。
その信心のところには
日蓮聖人からの血脈も法水も流れて
いるのです。



昔から伝えられている歌に、
「法華経を我が得しことは 
 菜摘水汲み仕えてぞ得し」とある。

御本尊様に御給仕を重ねて
唱題することこそ大切な信心修行です。


そこで私たちを取り巻く
教団の姿を見るとき、
創価学会は日蓮大聖人・日興上人を
忘れ、
池田大作氏中心の現世利益を求める
新興宗教教団に
成り下がってしまっている。


では大石寺宗門の姿はどうか。

法主の云うことを聞かなければ
信心じゃない、
法主に随わなければ大御本尊を
拝ませないと法主自らが述べた。

大聖人からの御内証は
御法主上人が受け継いだのだから、
御法主上人は現時における大聖人である
などと、高僧や取り巻き連中が言って
憚らない。

阿部日顕師や早瀬日如師は、
そういう取り巻きに煽てられて
日興上人を越え、
今日蓮気取りで権威をかざしている。


また宗門と云う教団運営ばかりに
力を注ぎ、信徒の倍増こそが折伏だと
檄を飛ばしているが、
結局は宗門寺院の運営、
僧侶と寺族の生活の為だけのことと
なっている。

信徒倍増をすることが
法華経を讃めることとおもっているのだろうが、
還って法華の心を死している。
その証拠には、
総本山の建物を地震対策だといって
改築ばかりに終始している。

それらの資金は誰が工面しているかと
云えば、宗門側の信徒に他ならない。

大石寺に行って大御本尊参拝という名目で
供養集めに躍起になっていることを見れば
一目瞭然。
度重なる登山の強要と供養集めに
信徒は疲弊しきっている。
そのような宗門、そのような総本山に
日蓮大聖人の御魂は
住まわれてはおりません。


お会式で奉読される申状に
明記されているように、
二祖日興上人は大聖人が御入滅後も
御本尊を生身の聖人と拝して
常随給仕をなされたお方だし、
歴代の貫主は
「日蓮聖人の弟子日興の遺弟○○」の
お立場で日興上人の御振舞を手本とし、
御本尊を仏大聖人と仰いで
お給仕を続けてこられました。
正信会の僧侶も
そのお立場を継承しております。


転載以上





Mr.Mount-hat氏。


彼はひょんなことから偶々御縁を頂いた
正信会の御僧侶だ。


私が会に属する意思が無いと知っても、
変わらず仏の教えを真摯に教え
伝え続けて下さった
純真で稀有な御僧侶。

だから、ご本人は
「恩師なんて・・・もっと気楽に」
と笑っていらしたが、
私は仏道の恩師だと思っている。

そしてこうも仰っていた。
「若し会が日蓮大聖人の教えから
逸脱すれば、
いつでも会を離れるつもりだ」と。


あれから工作員達の干渉や嫌がらせが
エスカレートし、
当方の至らない点も多々あって
連絡を断ったままだが、
今はどの様な決断をなさっていることだろうか。

遠い空の下で今、
仏天に祈念申し上げている。
法を護る方をお守り下さい、と。




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創価脱退後、親が性懲りもなく
今度は正信会という、
創価を脱退した僧侶の寺院の集まりに
入信した。

私はもうすでに
組織や人の集まりといったものを
信用してはいなかったが、
それでも法の勉強になればと思い、
社会人になってから暫くの間、
近くの正信会寺院の講に
参詣していた時期がある。
私がそちらでどのような位置づけなのかは
今もってよく分からないが。


学びたい一心で月一度参詣して
みたものの、
檀徒仲間の談話は創価の悪口や
批判ばかり。
大体、若い人がいない。

申し訳ないががっかりして、塔婆供養
(亡者の卒塔婆を建てて頂く)だけ
毎月申し込みに訪れるのみとなった。


それでもお金を取る訳でもなく、
檀徒という位置づけでもない私の訪問を
許容して頂いていた点で
感謝申し上げていた。


しかし気になるのは、
気の向いたときに供養の申し込みに
訪れるといつも、
仏壇に埃がかぶっていることだった。

誰もいない時ばかり参詣していたので、
そっと仏壇周りを拭き掃除して
帰っていたが、ここに
御心を垣間見たような思いでいた。


決定的だったのは、
私の友人が若くして弟を亡くして
悲しみにくれていたので、
お母様にも声を掛けて
彼の卒塔婆を建てて頂こうと
その寺院にお願いしたときだった。

御住職は快諾して下さったものの、
寺院に訪れた際の母娘への応対には
心底驚かされた。
傷心の人に対して、
常人には考えられない非情な態度を
とられたのだ。
まるで厄介事をあしらっているかの
様だった。此の僧侶には、
親に所用を頼まれて寺院を訪れた際に
「法事などでとても忙しくて」と、
(こちらも多忙の中必死で時間を作って
訪れたことなど理解できよう筈もないが)
無下に対応されたこともある。



mount-hat氏「三顧の礼で」
と勧めて頂きお願いしたお曼荼羅下賜の
際にも、
非常に手短で軽侮した様な態度だった。


師に勧められて、
ある正信会寺院に尋ねた時も衝撃だった。

はるばる車で数時間かけて
知らない道を辿り、
暗くなってやっとたどり着いたそちらで、
今日はもう遅いからとそっけなく
参詣を断られたのだ。
もちろん、夜7時になってしまってからの
訪問の無礼は分かっていたが、
それでもちょっと落胆した。


もう一つ御紹介頂いた寺院に
やはり車で数時間かけて訪れた時も、
(勿論アポを取ってから)
会って頂けたものの、
これから他の檀徒さんとお食事会だから
と云うお言葉で早々に席を辞した。
此の時は確か、
曼荼羅を下賜して頂けないかと
打診させて頂いた時のことだった。



もともと曼荼羅自体、
聖人御在世のころには
一般信者が眼に出来る機会など
ごくごく僅かで、
皆聖人のお便りや御心を頼りに
信仰を深めていたのだ。


それで決めた。
もう正信会の寺院にも参詣しないと。


そのころにはもう同和のストーキングが
激しくなっていたので、
今思えば行く先々に彼らの陰謀が
張り巡らされていたのかもしれない。
その点は申し訳なく思う。

今会は内部分裂しているそうなので、
もしかしたら魔界人の工作が
功を奏しているのかもしれない。

にしても、そこに何らかの心の隙や
過誤が全く無かったとは
言えないだろう。


御尽力頂いたことには
心から感謝申し上げている。
特に会の他県のお三方の御僧侶には
本当に心を尽くして頂いた。
その御恩を忘れることはない。


しかし結局、自分の心こそが大切なのだ。



家を出て極貧の生活をしていたころには
仏壇など買う余裕はなく、ましてや
御曼荼羅など、
所属している寺院が無い私が
頂ける訳でも無かったので、
天を拝し、太陽に月に向って
経を唱えた。

曼荼羅を頂き簡単な仏壇を
備えられたのはほんの数年前のことだ。


それでも心はいつも仏を感じていたし、
信心に揺らぎはなかった。

何もなくて泥の御団子を作って
仏に供えた幼女が仏になった
譬え話にもあるように、
そこに込められた見えない思いを
汲めるようになることが
功徳の一つではないかと思う。




法に依って 人に依らざれ
義に依って 語に依らざれ


(法四依より)

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今末法に当つて
日本国計りに叡山有り
三千界の中の
但此の処のみ有るか、
定めて悪魔一跡に
嫉を留むるか、
小乗権教の輩も之を妬むか、

随つて禅僧・律僧・念仏者・
王臣に之を訴へ
三千人の大衆は我が山・
破滅の根源とも知らず
師檀共に破国・破仏の
因縁に迷へり、

但恃む所は妙法蓮華経
第七の巻の
後五百歳・於閻浮提・
広宣流布の文か、

又伝教大師の
「正像稍過ぎおわって
末法太だ近きに有り 
法華一乗の機・今正しく
是れ其の時なり」の釈なり、


滅するは生ぜんが為 
下るは登らんが為なり、


三門繁昌の為に是くの如き
留難を起すか、


(御輿振御書 日蓮)





有難うございました。
南無妙法蓮華経