卒業から7か月後の出産予定日を大幅にオーバーし、

無事に第二子となる長女を、春に出産しました。

 

長男の時にはなかった、食べづわりに苦しんだものの、

毎回の検診でも、一度も問題なしの順調な妊婦生活でした。

 

予定日を超えたことで管理入院で陣痛促進剤となりましたが、

分娩時間7時間の安産でした。

 

そうして生まれた娘は、

息子をはじめ家族に溺愛されながら、

すでにハイハイ・つかまり立ちまでマスターして元気いっぱいに育っています。

 

あわただしくも、穏やかな育休が間もなく終わろうとしている今、

仕事に復帰する前に、どうしても自分の不妊治療期を書いておきたいと思い、

絵文字も写真もない、本当に記録だけの内容ですが、

ブログに綴ってきました。

 

理由は2つあります。

 

それは、自分のような低空飛行な数値でも、

出産につながる事例があるということを伝え、

今、まさに同じような状況にある方に、希望を持ってほしかったからです。

 

私自身、他のたくさんの皆さんが

アップしてくださるブログを、

何度も何度も読んで、励まされてきました。

 

そしてもう一つは、

仕事をしていてもNAC日本橋に通うことをあきらめないでほしいということ。

 

私ももちろん大変でした。

転院を決めてから、何度、仕事のスケジュールの調整をしたかわかりません。

仕事上にかかわる人には、最後の安静期間に入るまで、

治療のことをカミングアウトしていませんでした。

(今となっては、伝えてもよかったのに、、と思うこともあります)

 

・通院日になりそうな日の午前中は、すべて「作業」と題してブロックする(ミーティングや外出アポを入れない)

・電話でのやり取りを極限まで減らし、メールで対応する(待合室から携帯で連絡できる)

(きっと不快に思われた方もいらっしゃったかもしれませんが、

待合室にPCを持ち込み、メールをしながら順番を待っていたこともありました。)

・常に自分の仕事の状況を上司や部下にホウレンソウをこまめに行い、急に代打をお願いする場合でも、

トラブルなく実施できるようにする

 

など・・・。

 

私はフレックス勤務なので、柔軟に仕事の調整がしやすいほうだとは言え、

通院回数が多く、日程も読めないNACは、

過去の通院に比較すると格段に大変ではありました。

 

それでも、、、何とかなりました!

結果的に、NACに転院してからのほうが仕事をさばくスキルがあがったかもしれません。苦笑。

 

何よりも、

この最後の砦と言われる病院でだめなら、もう年齢的にも後がない。

だけど、まだ、仕事はやめたくない。。

頑張るしかない、、と覚悟を決めたことが大きかったかもしれません。

 

なので、通院のしにくさややりくりの大変さを理由に、

ここに通うことをあきらめないでほしい。

 

NAC日本橋は本当に本当に素晴らしい病院です。

365日、欠かすことなく、開院し、患者の体の周期を一番に治療をしてくれる。

寺元先生はじめ、すべての先生方、看護婦の皆さんがプロフェショナルです。

 

ピリリとした雰囲気も、全員が結果にこだわり、プロの仕事をしているからだと思います。

 

杉山産婦人科の、採卵部屋のホテルのような雰囲気に癒されることもありました。

その前に通っていた病院は、明るくて元気な女医さんでした。

だけど、結果は出なかった。

 

もちろん、治療の方針が合う合わない、ということはあると思います。

だけど、いろいろなことを試してみて、最後あきらめる前に、

NACの門をたたいてほしい、そう思います。

 

 

さて、久々に綴ってきたブログも、いったんここでおしまいにしたいと思います。

たくさんの方に読んでいただき、とてもうれしく思っています。

 

もし、個別にご質問などあれば、お気軽にメッセージください。

赤ちゃんを望むすべての方が、赤ちゃんに恵まれますように・・・!!

 

 

とうとうこの日がやってきました。

BT51、卒業診察です。

 

E2:1271(やっと最後の最後で1000を超えてくれました)

心拍:178

胎児の大きさ:32.5(目安30-34)

胎嚢の大きさ:44.8×24.7

 

寺元先生が丁寧に胎児の大きさをはかってくださり、

無事に大きさをクリアしました。

最後に、たくさんの方のブログで拝見した、内診の際の「ピカ―!」をやって終了。

皆さんのブログで勉強していたので、驚かずに済みました^^;

 

寺元先生はいたってクールに

「はい、今日で紹介になります」と言って

過去の既往歴などを細かく確認し、それを丁寧にカルテに記載。

 

これまでの経緯や、移植した凍結卵の写真なども併せて

丁寧に紹介状を作ってくださるのを、隣でじっと見ていました。

 

初めて、1番診察室の様子に目を向ける余裕すらありました。

 

これまで先生の言葉や話を聞き漏らすまいと、

震えそうになる手でメモを書き、

必死で診察時間を過ごしてきたので、

最後の日は、なんとも穏やかな、ゆっくりとした時間のように感じました。

 

BT4で2.4という数値、BT7、12ではさらに絶望的な数値でしたが、

最後の最後は、

心拍も、胎嚢も、胎児の大きさも、

いたって標準で卒業することができました。

 

受付で会計を済ませ、外に出ました。

寺元先生にもいつもお世話になってきた看護婦さんにも

直接のお礼は言えなかったので

エレベーターホールで、お腹に手を当てて振り返り、

小さく一礼をして、NAC日本橋を後にしました。

 

 

 

BT44です。

体外受精をしていると

一般的な週数のカウントを見逃しがちですが

ふと経過観察の表を見ると「9w0d」とあります。

 

今日、順調だったら9週の壁が突破できるんだなと

思いながら、

タクシーに乗りました。

 

絶対安静を言われてから、常に移動はタクシー。

それでも長男の保育園の送迎があるので、

完全に安静にはできず、、、

しかしそれまで乗っていた電動自転車をやめたりと

何もかもがゆっくりのペースです。

 

少しずつつわりの症状なのか、

タクシーの移動自体も、つらくなってきました。

 

さて、血液検査と内診、診察です。

 

前回、下がってしまったE2の値が気になっていましたが、

あがってくれていました。

 

E2:721

心拍:178(目安160-190)

胎児の大きさ:22.5(目安21-24)

胎嚢の大きさ(37.5×25.0)

 

赤ちゃんは見るからに大きく、そして

いびつではなくなってきた胎嚢の中で、元気に心臓を動かしていました。

 

診察では、次回の紹介に向けて

病院を探しておくようにという指示がありました。

逆にそれ以外は何も言われませんでした。

 

移植後、毎回寺元先生の診察で、

しかも毎回、「安静」とか、「まだわからん」とか、言われ続けてきましたが

ようやく、その領域を抜けたようです。^^

 

 

 

 

 

 

ホルモン補充周期なので、

経過観察はフルで通院です。

 

このまま継続すればあと4回で卒業です。

 

BT32は、血液検査、尿検査のみ。

心拍や胎児・胎嚢の大きさがものすごく気になりましたが、

検査されない=見なくても大丈夫

ということだろう、

と前向きに解釈^^;

 

BT32は

E2 648

で、

寺元先生からは「E2がなかなか上がってこないな」とブツブツ言われながらも、

診察は瞬殺で終了。

 

そしてBT37。10日ぶりの内診です。

 

自分の目にもわかるほど、心拍は速く、

そして、赤ちゃんはすっかり二頭身になっていました。

 

杉山産婦人科で6回移植して、妊娠せず、

HCGがBT4で2.4、BT7で16.5だった私が

ここまで来ました。

本当に、すごい。

 

BT37

E2 525

心拍 174(目安160-190)

胎児の大きさ 15㎜(目安14-16)

胎嚢 35.2×16.4

 

寺元先生からは

「E2が下がっている。これは胎嚢がはがれかかっている証拠。

胎嚢の形もいびつやし、まだどうなるかわからん。

とにかく安静に。ベッドから動いてはならぬ」

というようなことを言われました。

 

二人目を授かりたいと願って数年。

やっとここまで来て、授かった命を、

大切に守らなければ・・・。

 

上司に事情を話し、

部下にも、リーダー格の数人にのみ事情を話し、

ベッドの上でのリモートワークが始まります。

 

会議は電話で。

資料確認は携帯で。

便利な時代です。

 

どうしてもどうしても出勤が必要な日のみ、

タクシーで出勤しました。

(理解のある上司が、タクシー代を会社負担にしてくれました。。。感謝( ;∀;))

 

 

 

最初の判定日から、

ジェットコースターに乗っているような気持ちで

この日まで来ました。

 

前回の診察から、

少しずつ、今回の妊娠を、

ちゃんと信じよう、

きっと赤ちゃんは、へばりついていてくれる、

頑張ってくれている、と

思えるようになっていました。

まだ全くつわりなどの症状はありませんでしたが、

とにかく安静に過ごしていました。

 

診察の結果、

125bpmの力強い心拍が確認できました。

前回はよくわかりませんでしたが

私にもピコピコと揺れる画面がわかり、

内診台の上で、涙があふれました。

 

E2 589

心拍 125(経過観察表にある目安:110-130/分)

胎嚢サイズ 15.5×13.0(目安 15-20)

 

感動のさなかではありましたが、

診察ではきわめて辛口の寺元先生。

 

尿検査に潜血が2+あり、

「安静にしておかないといつどうなるかわからん」

と言われ、嬉しさ半分、ドキドキ半分で帰宅しました。

 

 

 

ホルモン補充周期でもあり、

値が微妙な推移をしていることもあり、
移植後の診察は5日おき。
でも、細かく見ていただいたほうが助かります。
 
BT22の診察では、
胎嚢の周りに、リングが見えました。
 
同時に、心拍も測ってくださり、
109と、小さな命が力強く、
心拍を打っているのがわかりました。
 
胎嚢サイズ 10.8×8.5
HCG 8131
 
信じられないことに、
胎嚢から心拍確認までできました。
 
あんなに低かったHCGの値が、
こんなに大きくなりました。
 
ここにきて、ようやく、
今回の妊娠は、今までと違うかもしれない。
ひょっとしたらひょっとするかもしれない。
赤ちゃん、生きたがってる!!
 
と思うことができました。
 
それまで、
どうせ流れるなら、痛みのないままに、、と
思っていた自分を恥ずかしく思い、
この命を信じて応援したい!と
やっと気持ちを切り替えることができました。
 
それほどに、トクトクと心臓が動く画面を見たのは、衝撃的な嬉しさでした。
 
自分でもどんな気持ちで過ごして良いのかわからないまま、
BT17 胎嚢確認の日を迎えました。

気持ちを落ち着けて結果を受け入れるために、
自分の中で、想定されるパターンを
想像しながら病院へ行きました。

1.値が下がって、手術が必要ないパターン
2.値が中途半端に上がり、流産手術宣告パターン
3.値がまあまああがり、小さくても胎嚢が見えるパターン

1か2だろう。そう思っていました。
それならば、1であってほしい、、、


この日から、内診も始まります。

今回の移植後の通院の中で、最も緊張し、
そして、最も驚いたのはこの日かもしれません。

内診室で、機械を入れられ、
自分の目でも分かる、
小さな胎嚢が見えました。

息子のときは、自然妊娠だったので、
妊娠検査薬をして、最初の内診で、
お腹の中にあった小さな黒い丸。

本当に信じられませんでした。

台から降りる足が震えていました。

胎嚢の大きさは、5.2×3.8
HCGは1488。

BT17 にしては、とても低い値だと思いますが、
前回の数値からは10杯以上に
大きく伸びてくれていました。

8割以上、諦めの気持ちで診察に来たので、
本当に信じられない気持ちでした。

BT12を迎えました。

BT7の数字を見て、頭の中の9割はあきらめの気持ちでした。

 

あきらめの気持ち、というよりは

結果に一喜一憂しないように、

自分の中で必死に、折り合いをつけていたという感じでしょうか。

 

BT12の数字は

「137」

微妙に上がっている。。

前回よりは大幅アップの数字。

しかし、ブログなどで拝見している別の方の数字を見ると、

BT12でこんな低い数字の人はいません。

心のどこかで「ああ、あがってしまった。微妙に上がり続けて手術になるのかな。」

と思っていました。

 

先生からは、「数字は上がってます。でもまだ何とも言えませんな。薬は全部継続で」とのこと。

 

こんな少ない数字なのに、まだ「何とも言えない」なんて。。。

だめならダメと、早くいってほしい。。

またもや気持ちがどんどん不安定になっていきました。

移植してからの日々は、

仕事や上の子の育児に追われ、

あっという間に判定日を迎えました。

 

こういう時、

忙しくしていてよかったと思います・・・。

自分の症状に敏感になり、ついつい気になってしまうので。。><

 

BT4はいつも通り、

朝いちばんの診察に向けて並びました。

 

受け付け後、間もなく採血に呼ばれます。

この血液は、すでに着床の結果を知ってるんだ・・と思うと

注射の針にも祈るような気持ち。

 

そして、しばらく待つと、

1番の寺元先生の診察室へ呼ばれます。

どうやら私の前後は皆さん、同じ日に移植をした人たちのようでした。

 

どきどきしながら置いてある紙を見ると、、

HCGは・・・・「2.4」

 

うーーーん、なんとも微妙な数字。

 

「まだ何とも言えませんな。次また」で診察も終了。

 

帰りにたくさんのブログでBT4の値を検索しましたが、

2.4は相当厳しい様子。

杉山産婦人科で、陰性の結果に慣れてはいたものの、

初めてのNACでの判定日に、涙目で帰りました。

 

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そこからBT7までどうやって過ごしたのか覚えていません。

また判定日がやってきました。

 

BT7のHCGの数字は、、

「16.5」

 

伸びてる。でも少ない。少なすぎる。。

移植日にいただいた紙を見ても、

BT7でのHCGが10-20以下の場合、「生産」つまり妊娠にたどり着く可能性は、30%くらい。

 

寺元先生からも、

「厳しいね。前回の数字から、今日BT7でのベストは36。少なくとも19は欲しかった」

と言われてしまいました。

 

ああ、これはこのまま妊娠が継続すると流産手術とかになってしまうのかな、

それであれば、次回くらいには早めに数字が下がったほうがいいんだろうな。。

悲しい気持ちと、どこか冷静な気持ちとが入り混じった気持ちで帰宅しました。

 

その日は何度ため息をついたか覚えていません。

ああ、転院しても、寺元先生のところで万全にホルモン補充しながら移植をしても、

だめだったのか、、。

この後どうすればいいのかな、

やはり二人目を迎えることはできないのかな、

何度考えても仕方のないことがぐるぐると頭を回って、

しばらく何も手につきませんでした。

 

 

D14の診察で、

ホルモンの値を見て、

D18の移植ではなく、D22での移植が決定しました。

 

念のためD18の血液検査の結果は下記。

D18

E2 383

LH 2.0

P4 0.44

FSH 5.7

 

移植日が決定し、いよいよ気持ちがそわそわし始めました。

 

D22 ~移植日~

移植日は朝8時から8時半までの間に来院、

受付カウンターで、夫婦直筆の同意書をもって受け付けを行います。

 

まずは寺元先生の診察。

2つある凍結卵のうち、

よりダメージの少ない卵を選び、

融解指示がありました。

 

そこから外出し、再度12時に戻ります。

 

2時間ほどの外出時間ですが

ここでもそわそわして、、30分ほど前には病院に戻りました。

 

移植ルームに呼ばれるのを待っていると、

培養士さんからの呼び出しが。

何か嫌な予感・・・。

 

行ってみると、

「一つ目の融解指示があった卵が、

融解時にダメージがあったため、

もう一つの卵を融解することにした。

ダメージのあった卵は、今後使える可能性は低いが、

引き続き培養を続ける。

現時点では、もう一つの卵の融解は順調」

とのこと。

移植前に、心のざわつきが半端ない。

今回だめでも、もう一つの可能性があると思っていたのに、

もう、このたった一つの卵にかけるしかない。

ざわざわドキドキしましたが、

必死に気持ちを整え、移植に向けて深呼吸しました。

 

採卵に比べて移植は実にあっという間。

移植された卵はこちらです。

成熟度 MⅡ(主席は空砲だったので、そうではない成熟卵です)

凍結までの時間 143時間

栄養外胚葉の数 14個

透明帯の除去処理 有

子宮内膜 8.5ミリ

 

でした。

 

移植自体は、杉山産婦人科でも何度も経験していますが、

なんとも不思議な感じがします。

お腹が温かい感じがして、無意識に、おなかに手を当ててしまいます。

 

卵はたった一つになってしまいましたが、

移植が終わり少しほっとして帰宅しました。