父の葬儀、10日に無事終わりました。
父の会社を継いでくれた社長さんのご厚意で、代表取締役会長としての社葬だったので、とてもとても立派な式でした。父が知ったらきっと喜ぶだろうけど、それを父に知らせる術がないのが、とても悲しい。

7日の夕方、父はほんとうに静かに息を引き取りました。
朝から呼吸が浅く、血圧も低くて、危ないと言われていたけど、今までも何度か危ないと言われていても持ち直していたから、なんだかんだと今回も大丈夫だと思っていた。少し落ち着いてきたように見えたので、看護師さんが体を拭いてくれて、妹が耳掃除をして、わたしが歯を磨いて口の中を綺麗にして潤いジェルを塗ったら、呼吸が少し深くなったように見えて、口もむにゃむにゃしたりしていたから、これはやっぱりまた大丈夫だな、って思って、父の手を握りながら妹と父の妹である叔母と雑談をしていた。そして、ふと父の顔を見ると息をしていなかった。慌ててナースコールをした途端息をしたから、また無呼吸だったのか(健康な時から無呼吸症候群でした)とこんな場面なのになぜだか安心してたら看護師さんが部屋に来た。「息は大丈夫でした」と言った途端また息が止まって、少しするとまた息をする。同じ階の洗濯室に行っていた母を走って呼びに行き、わたし、妹、母、叔母に見守られて、父の息は静かに止まって、もう吹き返すことはありませんでした。

7日が仮仮通夜、8日仮通夜、9日通夜、10日告別式という日程でした。会社側が土日に通夜告別式をしたかったとのことで、葬儀場に3泊しまし、すた。正直、長いなあと思ってたけど今思うと1日でも長く父といられて良かった。

ほんとうに優しい父でした。
なんでも父を頼っていた。家族だけじゃなくて、親戚みんな父を頼りにしていた。
そんな父がもういない。頼れないし話もできないなんて信じられない。ほんとうに父が大好きだった。なのにわたしは優しくない娘だった。ずっとそばにいて手を握っていてあげれば良かった。ずっと足をさすってあげれば良かった。同じ部屋にいても、そばにいないと父は不安だって知ってたのに。ずっと寝ていて天井ばかり見てつまらなかったのに。謝りたいけどもう父はいないし、謝ったってもう父の手を握れないし足もさすれないのに。
病院に泊まり込んでいた時はまともに眠れなくてきついと思ってたけど、父のきつさつらさに比べたら比べ物にならないくらいちっぽけなきつさだったのに。もう病院に行っても父がいないなんて。もう病院に泊まらなくてもいいなんて。
思い出そうとしても、病気になって弱って痩せた父しか思い出せなくて、元気だった頃の父を思い出せない。可哀想でたまらなかった父しか思い出せないのが悲しくて、元気だった頃の父を思い出そうとするけど思い出せない。

たった5ヶ月の闘病だったけど、主治医が言うには、「発見した時すでに肝臓、骨、リンパに転移していたのにここまでもてたのは抗ガン剤が効いていたということだと思う」そうだ。
こんなに効かないのなら、治療なんてしなけりゃ良かったと思ってたけど、したからこそ、苦しんだのはほんの短い期間だけだったって思えばいいんだろうか。父はどう思ってるんだろう。効くにしろ効かないにしろこんなにあっという間なんて想像もしてなかっただろうし、どっちにしても、さぞ無念だっただろう。

優しい人は早く逝くって言うから、とたくさん言われた。早く逝くなら優しくなくて良かったのに。ほんとうにほんとうに優しいお父さんだった。親孝行したかったのに。


考えがまとまらないのでこれで終わります。
コメントくださった方、ありがとうございました。申しわけありませんが、まとめてお礼申し上げます。