棚田から発想する日本農業の未来 


1 棚田ブームの奥にあるもの

 日本農業は、経済のグローバル化の流れの渦に巻き込まれ、存亡の危機に陥っている。しかし一方で、時ならぬ「棚田ブーム」というものが起きている。農林省が1999年7月、「日本の棚田百選」を選定してから急に注目を浴びるようになったものである。


 とかく日本人は「百」という響きが好きと見えて、深田久弥氏(1903~71)の「日本百名山」同様に、たちまちの内にファンができて、選定された全国117市町村の134のの棚田には、全国から選ばれた棚田を訪れ、田植えや稲刈りを体験したり、写真に収めたりする動きが見られるようになった。


 農水省は93年に「グリーンツーリズム」を提唱した。これは70年代以降ヨーロッパ諸国で普及した都市在住者の農村への農業体験付き旅行ともいうようなものの日本への移植の試みである。95年には農山漁村滞在型余暇活動促進法(農山漁村余暇法)が施行され、この法に基づく全国の体験民宿は年々増えているようだ。しかし、都市と農村の交流の試みは軌道に乗っているというところまでは言えないのが現状だ。


2 棚田の多面的な機能に注目する

 農水省(社団法人農村環境整備センター)のサイトを見ると、「棚田百選」選定の目的を次のように言っている。


 「我が国の中山間地域に広く分布する棚田は、その立地条件を活かした特色ある農業生産の場として国民生活に寄与しているのみならず、急峻な地形を巧みに利用した農業生産活動を通 じて、国土・環境の保全、農村の美しい原風景の形成、伝統・文化の継承等多面 的な機能を発揮しております。


 このように棚田は国民の健康的でゆとりある生活を確保する上からも大きな役割を果 たしていることから、農林水産省は、多面的機能を有している棚田について、その保全や、保全のための整備活動を推進し、農業農村に対する理解を深めるため、優れた棚田を認定することとしました」


 私は、この文書の中にある棚田の「多面的機能」というものに注目してみたい。要は、山間地にある棚田が、単なる日本人の主食である米の生産というものをこえて、他の役割を果たしているということである。具体的にこれを上げれば、棚田の貯水機能により、洪水の防止や水質の浄化機能。それに日本人の脳裏に刷り込まれている山間地独特の美しい棚田風景を作っていることを肯定的に受け入れていることである。


3 棚田が象徴する日本農業

 もしも、棚田をグローバル経済の発想で考えるならば、直ちにこれらの耕作地は休耕田にして、森林に返した方が良いということになってしまう。このように考えれば、棚田は日本農業そのものを象徴していることにもなる。もっと言えば、日本の農業は、大規模なアメリカカリフォルニア州の米作りと比較すれば、すべてが棚田的な米作りということになってしまう。


 ふと、私の脳裏にヨーロッパの田園風景が浮かんだ。イタリアの首都ローマから中世の古都フィレンツェに向かう電車に乗って、日本との違いをつくづくと感じ時の心象風景である。

私にとって、ローマという都市そのものが、自然との共生の中で、造られたような街に思われた。

何故そんなことを感じたかと言えば、ローマから電車に乗れば、車窓にはあっという間に、なだらかな田園風景が見えて来たからだ。東京の場合はどうか。東海道線でも、東北線でも、どこまで行っても、膨張し続ける都市東京が続くようなイメージがある。しかもヨーロッパの駅は、日本のように身障者やお年寄りに余計な負担を強いる階段や段差が少ないのも特徴だ。都市の造りが人間に優しいのである。


 これに対しわが東京は、自然(田園)を呑み込みながら、膨張し続ける怪物のごとき都市に思える。これは決定的な違いがある。都市を必要以上に広げないポリシーをローマ人は、歴史的に持っているのかもしれない。これはフランスでも、ドイツでも同様である。ヨーロッパの都市は、それぞれが自立した市民の自治都市の様相が強く、際限なく膨張していくことに、何の抑制もしない日本の首都東京とは、根本から違う発想で造られているのである。



4 棚田を見る権利が日本人にはある?!(棚田自決権という発想)


 そのようなグローバル経済の権化のような日本型都市東京の景観に対し、棚田が醸し出す風景というものは、まさにアンチテーゼそのものである。

 今日都会に住む人間は、私も含めて田舎からたまたま都会に住むようになった人間が多い。昨今の棚田ブームの根底にあるものは、すべてをグローバル経済の流れとして、諦念をもって受け止める日本人の思考法に一石を投じるものではあるまいか。


 棚田の美しい風景を見ながら、日本人は今こそ立ち止まって考えなければならないと思う。それは下手をすれば、人間の価値までが利益率で決められかねない殺伐としたグローバル経済の過剰な浸透と日本中が東京に為りかねないような一極集中の激流を食い止めねば手遅れになるということである。それに対し棚田が、別の発想と価値観があることを教えてくれている。これをスローガンにすれば、民族自決権ならぬ「棚田自決権」ということになる。


 私たち日本人には、日本人の故郷の風景としての棚田を見る権利があるのである。ヨーロッパ諸国の都市と田園との調和が食料自給率が軒並み80%を越えている背景にあることを鑑み、日本における棚田景観の維持と保存と食料自給率の相関関係を堂々と対外的に主張することである。もちろんWTO(世界貿易機関)においてもである。


 もっと分かりやすく言えば、私は日本農業の行く末を考える時、食料安保論や食料自給率のような農業経済学的な発想をもうひとつこえて、「棚田のある風景を見る権利」というようなものを、日本人は世界に向けて主張しても良いと思う。ヨーロッパの都市と農村とのあり方を見ると、私はつくづくとそう思うのである。(つづく)

2007/08/30