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「古代の叡智の幼稚園」
エデュケーションとセッションが一体化した新しいスタイル、エデュ・セッションで、魂が導く本来の自分の力を取り戻していくセラピーをしています。

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宝石白石の瞑想宝石白


晴れ汗出しドームデトックス晴れ

パー筋肉反射を使った「古代の叡智の幼稚園」セッションパー



オラクルカード無料リーディング【約10分】 限定数


サロン所在地は、


神奈川県座間市です。

 


最寄駅は、相鉄線 「さがみ野」駅

から徒歩7-8分。

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あさはら さとみ


全日本カウンセリング協議会

2級カウンセラー

何で神様が救いに来てくれないの?

あんたが救いに来た神だからよ。




タイムカプセルや漂着するボトルに込められたメッセージというのは、何となくロマンを感じるものですね。


愛や優しさ、思い遣り、励まし、鼓舞することば等、言霊の力が発揮しやすい仕掛けのように思います。


もしそれが、人を嘲笑うことばや、見下すことばだったら。


鏡の法則や波動の法則など、受け取るものは発したもの、とも言われます。(今世だけの短いスパンだけで見ると、優しくない言葉にも聞こえます。

でも、魂の自分がここをキレイにしたい、と思っているなら、顕在意識には辛くとも甘受しますね。)


確かに完璧ではないどころか、至らぬばかりの自分を見つめて生きて来た人生ですが、何十年もの時を経て受け取るメッセージとしては、悲しみがつのります。


青天の霹靂が何度か続いています。


この痛みで、どれほど魂が磨かれているのでしょうか。弱っている時ほど、平手打ちをくらいやすいのかしらね。


この事象を一段上から見たら、悲しみの体験をバネに、この者は愛や優しさを心底生きる者になっていくでしょうか。




「鬼滅の刃」の柱稽古編の主題歌「夢幻」の歌詞が耳に入ってきて、驚いてしまった!


♪永遠の意味 知らぬ君に

♪答えを示す時だ

♪夢幻に続く螺旋の先へ

♪夢幻に続く螺旋の先で

♪待つのは誰


歌詞の最初と最後だけ書きました。

音で聞いた時は「夢幻」を「無限」と聞いていました。


誰に降りて来た言葉だろう、と思って、作詞者を見ると、MY FIRST STORY, CHIMERAZで、作曲と編曲も同様でした。


アニメ本編も全編にわたって示唆に富み、細部までとても深掘りされている場面が盛り沢山で、その味わいが随所に散りばめられているすごい作品だなぁ、と思っていました。


この言葉は、誰か一人におりたのか、グループにおりたのか、ポリシーで全てをバンド名義の財産としているのか、またはアニメの作者等から一部のフレーズやイメージを渡されて作ったのか…等々、興味が湧きました。


最初と最後が特に、開示なのか、正しい教育の時代が来たのか、貴い真実がこういう形で明かされてくるんだな。


先日お天気の日に、近くの湧水を巡って散歩していた時に、目の前を通り過ぎた小学校低中学年生くらいの男の子が、わたしの頭の中に流れていたこの歌詞を

♪永遠の意味 知らぬ君に

♪答えを示す時だ

と口ずさんでいました。


ああ、いいなぁ、と思いました。

種は撒かれたなぁ、と。


因みに、♪待つのは誰?

あなたの仮説は立てましたか?


この歌をパフォーマンスしているのは、前述のMY FIRST STORYさんとHYDEさんです。


以前、と言っても、何十年も前ですが、テレビの歌番組かバラエティー番組にHYDEさんが出ていて、好みの女性の話をしていました。

タレントの大石恵さんが好きです!結婚したいです!とまるで公開プロポーズのように熱烈にアピールしていました。


番組のホストは、業界の大物だったと思います。

この若さで、ビジュアル系バンドなんて先行きの分からないことで、妻子を養えるのか、みたいなコメントをしていたように記憶しています。


恐らく、両者正しかったのでしょう。

HYDEさんは、現に大石恵さんとご結婚されましたし、今や彼自身が大御所の立ち位置を確立していると言っても良いでしょう。独自の歌声で唯一無二を作り上げ、廃れることなく磐石な存在感があります。


当時コメントしていた大御所は、既に亡くなっている方だと思いますが、SNSや YouTube等も無く、そんな時代が来るなんて想像すらつかない当時に於いて、その時は業界はコメント通りになる可能性もあったかもしれません。

しかし、時代は確実に変わりましたし、その変化に予想すらつかないことは、誰にとっても無理はありません。


何だか答え合わせでもしているような、時代の目撃者のような氣持ちになりました。


ちょっと蛇足ですが、


♪君さえいなければ


という歌詞のところで、禰󠄀豆子が胸を掻きむしるシーンがあるのは、言葉(歌詞)と感情と身体性を丁寧に作っているなぁ、と思いました。






当初わたしは、この感覚を「魂が起き上がった」体感として捉えていました。力強さ、ポジティブな意思、悦び…言葉にしてしまうとどれも陳腐でしかありませんが、その力は自らが語っている力でした。


しかし、今現在から見ると、それは確かに物理的に「在った」ものでした。

例えて言うなら、胸に妊娠して胎児が居たように確かに存在していました。丁度2年間の妊娠期間でした。


その存在は、映画「ハウルの動く城」に登場する炎のようです。

そして、わたしはその悦びの炎を周囲の仲間となってくれる人々にキャンドルサービスか、オリンピックの聖火のように渡そうとしました。


その存在は、じんわり始まり、じんわり去りました。やる気が無くなったとか、燃え尽きたというものではありません。

物理的にあったものが、今は無いのです。


その存在は、天と繋がっていて、色々言葉を発しました。わたしにも、聖火を渡す人にも。

在る時も、無い時も、天の見えざるゲームプレイヤーのようにわたしという駒を動かす存在を感じます。それはわたし本体なのかもしれません。


今は自転車の補助輪を外したようにその“ランナー”は去り、セカンドステージ、2年生になったみたいです。

パワーアップして戻ってくるのか、どの様に変容するのか、さっぱり分かりませんが、直後は産後鬱のようになりました。幸せホルモンが出ていた胸の妊娠期間が終わったようでした。


そして、体が地球に生まれた時のデフォルトに戻りました。重く疲労し易く、憑かれ易く、朝ネガティブな思考がダウンロードされることもあります。

しかし、その様子をつぶさに観察している視点は消えずにあります。

地球仕様にカスタマイズするには、必要みたいです。


あの存在が胸に在った時は、スーパーマリオのスターって言うのかな?無敵状態のようで、疲労回復も比較的早く、風邪もひかず、霊障も軽かったです。肉体の体調不良は、ちょっと氣をつければ大丈夫でした。


わたしの周囲には、所謂霊能力者の方々が、職業にしている人もしていない人も合わせて、ゆうに片手以上はいますが、誰一人として、この存在自体を感知した人はいませんでした。

そのときわたしは理解者を強く求めましたが…


さて、最近の學びのメモをしておきますね。


自分も他人も責めていると「反省」ができないものなのですね。

運氣を良くするには「反省」が必要です。

性根、心根が綺麗にならないと運氣は変わらないようです。

愛と恐怖は共存しないように、どちらかがあると、どちらかは存在しないものってありますね。

責める心と感謝も共存しないのでしょう。


欲しいものや良いものを貰って感謝するのは当たり前。必要なことをやってもらって感謝するのも当たり前。得して感謝するのも当たり前。

えてして感謝されないような善行は、見えづらいものです。


気付きと理解を伴わない「反省」は無いし、冷静な自己観察、自己をより深く知ること無しに反省は起こらないでしょう。


「悔い改めよ」と反省を促す言葉がありますが、これは叱責ではありません。「ここで靴を脱いでください」という案内と同じようなもの。そうしないと先に進めませんよ、というご案内。


「でも、世の中悪い人でも上手くいっている人っていますよねー」

確かにそうです。地球で何をしようとして来ているか、人それぞれ違います。悪の経験を意図した魂もいるでしょう。

わたしは魂を綺麗に磨くのを人生に意図したのなら、他と比較はできません。


自己憐憫や被害者意識も、極に振れている点で、責めの一種かもしれませんね。陰謀の事実を知った時の心理とかも。

今の社会は、そういった心理が無料オプションで抱き易い構造、システムになってますから、用心が必要ですね。


第一段階、頭での理解はここまで。

第二段階、心での理解。運氣が答えを見せてくれる。そのための人生。

さあ、いきますか!

「つまらない」なぁって言葉になる時って、詰まってる時なんだなぁ、と思いました。

何が詰まってるかと言えば、いわゆる天と繋がっているパイプとか、地(マザーアース)と繋がっているパイプかもしれない。

「痛いの痛いの飛んでいけー」と同じように、詰まったら、即座に「詰まらないよ」と応急処置しなければならない程、詰まるのは一大事なのね。

バシャールにワクワクしなさいね、と言われるような悠長なものではなくて、呼吸を止めたら数分しかもたないような緊急案件なのでしょう。

だから詰まるか詰まらないかのうちに、「詰まらない、詰まらない」とおまじないで回避しなければならないのかもしれません。

心や魂を活かしている生命ラインが詰まってしまわないように、言葉が免疫力を発揮する時の様だな、と思いました。

春分過ぎてから、「葬送のフリーレン」をイッキ見しました。

非常〜に良かったです。


動画一覧で、タイトルは目にしていましたが、見ようとは思っていませんでした。

他の方がブログで良かった、と書いてあったので見てみたら、当たりでした🎯


今日のわたしの仕事は、多分つぶやくだけで良いのでしょう。

前回の投稿以来、久々です。


卒論の時、資料にアダムスキーの本と漫画を引用し、まぐれで卒業してしまいました。わたしにとって黒歴史でしたが、今になってみれば、あながち時代の先読みにズレはなかったとも言えそうです。


漫画やアニメは、図象やことば、音などを総合的に駆使して実相に直感的にアクセスして表現された、日本人の非常に優れた特異分野だと思います。

一大産業でもありますから、経済を支える一分野として、精神性・創造性・実用性・娯楽性など多岐にわたって統合された側面を持つ現実的な活動分野です。


読み返して味わいのある本のように、何度も見返したい作品です。

有難う。


追記

そう言えば、見ている時にデジャヴを感じました。2回。

デジャヴる時って、連続することが多いです。


追記

フリーレンに共鳴したのは、似ているところがあるからかな。

ミミックにハマるところとか…