ソマリアの涙
今日はNHKの「地球ラジオ」に電話出演しましたが、途中、電波が切れてしまい、声が聞こえなくなったそうですね。
ごめんなさい。 やっぱり、ソマリアは遠いね。
でも、ソマリアの子供たちの声もラジオで聞こえたようで、うれしかったです。
聞いてくれた方が多かったようで、ありがとうございました。
励みになりましたね。
感謝。
今日の朝は丘の上から街を見下ろせるところで撮影をしましたよ。
ハルゲイサは薄い砂のもやがかかってましたね。
小さい山が二つ見えました。
ソマリアの第二都市ハルゲイサは光を待っています。
家畜の市場に行きました。
羊、やぎ、らくだが売れれていました。
遊牧民の多いハルゲイサは中東に家畜を輸出するのが一大収入源です。
市場に人がいっぱい居たため、安全上、危ないので、すぐに撤収。
2008年の自爆テロ、2009年の爆破事件以来、今回のような大規模の視察団は初めてということで、
警備はとっても厳しかった。
特に、外国人が近年ハルゲイサに来ることがめったにないため、ターゲットになりやすいので、
今回は装甲車で移動、銃を持った軍隊がいつもそばに居ました。
「昔は観光しに来る人も居ましたが、今は誰も来ません」と地元の方が喚いていました。
不安定の状況が一番大きい問題ですが、それだけではないのです。
空港の滑走路が壊れて、ジェット機は降りられなくなった。
壊れた建物、ごみが散乱している街並み、でこぼこ道、栄えてた街の面影はもうない。
「観光なところか、仕事をしに来る人も居なくなった。」と現地の人はため息をつく。
現地に来ないとわからない事が多いですね。
いかに日本にはソマリアの情報がないのかが良くわかりました。
間違った情報で物事を判断するのは危ないですね。
やっぱり勇気だして、ソマリアに来る事に意味がありました。
戦争の傷跡がここまで深いとはわかりませんでした。自分の無知に恥ずかしいです。
そして、ソマリアの皆さんの強い意志に改めて敬意を覚えましたね。
長い戦争で、ソマリアの経済基盤は完全に破壊されました。
今、ソマリアは仕送りが一番メーンな収入だそうです。
国際社会、国連も含めまして、ソマリアの分裂は認めていないため、数字は国全体で統計されています。
それによると、1Billionアメリカドルを毎年入ってくるとWorld Bankは発表しています。
戦火から逃れて、今100万人のソマリア人が海外で生活しているそうです。
家族や友人に仕送りを定期的に送るので、金額は国家予算よりも大きいと言います。
国がないのに、国家予算の言葉はふさわしくないかもしれない・・・
送金会社を見に行きました。
ソマリアには銀行がないのです!
送金会社だけです。
産業は携帯電話と送金会社が一番大きいセクター。
そのほかには遊牧民の家畜と自供自足ができなくなってる農業。
経済学者が「外国に行った今の世代はソマリア人の助け合い精神を持っているので、送金しますが、次世代の子供たちはきっと送金してくれません。送金に頼る経済は脆い」といいました。
戦いする派閥はどこから、いつまで支援をもらえるのか?
いつになったら、和解して、国の復興に向けるのか?
その答えは人に合うたびに聞きましたが、答える人は一人も居ませんでした。
今日も避難民のキャンプに行きました。
ユニセフの学校にも行きました。
避難民のなかに子供たちを学校に行かさない人も居ます。
特に、女の子は家のお手伝いすればいいという見方は根強い。
ユニセフの学校は130人くらいの子供たちが居ましたよ。正式な学校ではないが、みんな熱心に勉強していると先生は言いましたね。
FGMの話をホーダンに深く聞いてみました。
ホラー映画のような現実を聞いてしまいました。許せない!悲しい!本当にかわいいそうと思いましたね。日本に帰ったら、ゆっくり書きますね。
今日で、ホーダンとお別れ。泣きそうになった彼女を抱きしめた。離れたくなかった。私の手にキッスをして、いつまでも手を振ってました。
8ヶ月前に南部から移住して来た家族に会いました。
お母さんは今日か明日か出産する大きいなお腹を抱えていました。これで、9人目!でも、お金がないので、病院ではなく、家で産むそうです。大丈夫かな?
子供たちは男の子だけが学校に行っている。
住んでいる小屋にも10ドルの家賃を払っているという。
食べられない、病気になっても、病院に行けない、子供たちは学校にも行けない。
「ふるさとに居た頃は、就学年齢な子をみんな学校に行ってました。でも、戦争が激しくなりすぎて、逃げるしかない。でも親兄弟がまだ激戦地に居る」そういうと、泣き出した。
あ~平和はいつ来るのだろう?
いっぱいな出会い、たくさんの悲しみ・・・このミッションは胸にどっしりと重い影を残しました。
でも、かわいすぎるたくさんの子供たちは懐いてくれました。
いっぱい遊びました。いっぱい笑ったね。子供たちと手を繋いで、たくさん歩きました。
私の一番好きな時間です。子供たちと一緒に居ると本当に幸せでした。
微笑みありがとう。
明日は7時に、ナイロビに飛び、ドバイ、関空、そして羽田と帰国します。
今回たくさんのすばらしいJournalistが精力的に取材してくれたので、記事がとっても楽しみです。
制約の多い、危険も承知のミッションに来てくれて、本当に感謝、感激です。
「見てきたものをみんなそれぞれの立場で日本の皆さんに伝えよう!がんばりましょう」とみんなで誓い合いました。本当にありがとうございました。
帰国したら、もっとゆっくり報告しますね。
ソマリアの皆さんとお別れするのはつらいですが、一生懸命大使としての役目を果たせるよう、日本に戻ったら、休まずにがんばります。
胸はホーダンの涙、母親たちの涙であふれてます。でも、ソマリアの皆さんのたくましい行動に光も見えています。
願うのは平和。
平和が戻れば、きっとソマリアの涙は乾くでしょう。
その日を夢に見て、活動を続きます。
それでは、
帰ってくるね。
おやすみなさい、
アグネス
ごめんなさい。 やっぱり、ソマリアは遠いね。
でも、ソマリアの子供たちの声もラジオで聞こえたようで、うれしかったです。
聞いてくれた方が多かったようで、ありがとうございました。
励みになりましたね。
感謝。
今日の朝は丘の上から街を見下ろせるところで撮影をしましたよ。
ハルゲイサは薄い砂のもやがかかってましたね。
小さい山が二つ見えました。
ソマリアの第二都市ハルゲイサは光を待っています。
家畜の市場に行きました。
羊、やぎ、らくだが売れれていました。
遊牧民の多いハルゲイサは中東に家畜を輸出するのが一大収入源です。
市場に人がいっぱい居たため、安全上、危ないので、すぐに撤収。
2008年の自爆テロ、2009年の爆破事件以来、今回のような大規模の視察団は初めてということで、
警備はとっても厳しかった。
特に、外国人が近年ハルゲイサに来ることがめったにないため、ターゲットになりやすいので、
今回は装甲車で移動、銃を持った軍隊がいつもそばに居ました。
「昔は観光しに来る人も居ましたが、今は誰も来ません」と地元の方が喚いていました。
不安定の状況が一番大きい問題ですが、それだけではないのです。
空港の滑走路が壊れて、ジェット機は降りられなくなった。
壊れた建物、ごみが散乱している街並み、でこぼこ道、栄えてた街の面影はもうない。
「観光なところか、仕事をしに来る人も居なくなった。」と現地の人はため息をつく。
現地に来ないとわからない事が多いですね。
いかに日本にはソマリアの情報がないのかが良くわかりました。
間違った情報で物事を判断するのは危ないですね。
やっぱり勇気だして、ソマリアに来る事に意味がありました。
戦争の傷跡がここまで深いとはわかりませんでした。自分の無知に恥ずかしいです。
そして、ソマリアの皆さんの強い意志に改めて敬意を覚えましたね。
長い戦争で、ソマリアの経済基盤は完全に破壊されました。
今、ソマリアは仕送りが一番メーンな収入だそうです。
国際社会、国連も含めまして、ソマリアの分裂は認めていないため、数字は国全体で統計されています。
それによると、1Billionアメリカドルを毎年入ってくるとWorld Bankは発表しています。
戦火から逃れて、今100万人のソマリア人が海外で生活しているそうです。
家族や友人に仕送りを定期的に送るので、金額は国家予算よりも大きいと言います。
国がないのに、国家予算の言葉はふさわしくないかもしれない・・・
送金会社を見に行きました。
ソマリアには銀行がないのです!
送金会社だけです。
産業は携帯電話と送金会社が一番大きいセクター。
そのほかには遊牧民の家畜と自供自足ができなくなってる農業。
経済学者が「外国に行った今の世代はソマリア人の助け合い精神を持っているので、送金しますが、次世代の子供たちはきっと送金してくれません。送金に頼る経済は脆い」といいました。
戦いする派閥はどこから、いつまで支援をもらえるのか?
いつになったら、和解して、国の復興に向けるのか?
その答えは人に合うたびに聞きましたが、答える人は一人も居ませんでした。
今日も避難民のキャンプに行きました。
ユニセフの学校にも行きました。
避難民のなかに子供たちを学校に行かさない人も居ます。
特に、女の子は家のお手伝いすればいいという見方は根強い。
ユニセフの学校は130人くらいの子供たちが居ましたよ。正式な学校ではないが、みんな熱心に勉強していると先生は言いましたね。
FGMの話をホーダンに深く聞いてみました。
ホラー映画のような現実を聞いてしまいました。許せない!悲しい!本当にかわいいそうと思いましたね。日本に帰ったら、ゆっくり書きますね。
今日で、ホーダンとお別れ。泣きそうになった彼女を抱きしめた。離れたくなかった。私の手にキッスをして、いつまでも手を振ってました。
8ヶ月前に南部から移住して来た家族に会いました。
お母さんは今日か明日か出産する大きいなお腹を抱えていました。これで、9人目!でも、お金がないので、病院ではなく、家で産むそうです。大丈夫かな?
子供たちは男の子だけが学校に行っている。
住んでいる小屋にも10ドルの家賃を払っているという。
食べられない、病気になっても、病院に行けない、子供たちは学校にも行けない。
「ふるさとに居た頃は、就学年齢な子をみんな学校に行ってました。でも、戦争が激しくなりすぎて、逃げるしかない。でも親兄弟がまだ激戦地に居る」そういうと、泣き出した。
あ~平和はいつ来るのだろう?
いっぱいな出会い、たくさんの悲しみ・・・このミッションは胸にどっしりと重い影を残しました。
でも、かわいすぎるたくさんの子供たちは懐いてくれました。
いっぱい遊びました。いっぱい笑ったね。子供たちと手を繋いで、たくさん歩きました。
私の一番好きな時間です。子供たちと一緒に居ると本当に幸せでした。
微笑みありがとう。
明日は7時に、ナイロビに飛び、ドバイ、関空、そして羽田と帰国します。
今回たくさんのすばらしいJournalistが精力的に取材してくれたので、記事がとっても楽しみです。
制約の多い、危険も承知のミッションに来てくれて、本当に感謝、感激です。
「見てきたものをみんなそれぞれの立場で日本の皆さんに伝えよう!がんばりましょう」とみんなで誓い合いました。本当にありがとうございました。
帰国したら、もっとゆっくり報告しますね。
ソマリアの皆さんとお別れするのはつらいですが、一生懸命大使としての役目を果たせるよう、日本に戻ったら、休まずにがんばります。
胸はホーダンの涙、母親たちの涙であふれてます。でも、ソマリアの皆さんのたくましい行動に光も見えています。
願うのは平和。
平和が戻れば、きっとソマリアの涙は乾くでしょう。
その日を夢に見て、活動を続きます。
それでは、
帰ってくるね。
おやすみなさい、
アグネス