「ブラック・スワン」で知られるダーレン・アロノフスキー監督の最新作。旧約聖書に登場する「ノアの方舟」を扱ったもの。ラッセル・クロウ、エマ・ワトソンら有名キャストの出演もあり、アメリカでは1億ドルを超える興行収入を得た。

ストーリー:神が世界を作り、アダムとイブが楽園を追放されてから何年もの時が経った。人類最初の殺人事件と言われる、カインによるアベル殺害の後、カインの子孫が世の中にははびこっていた。そんなある日、ノアは予知夢を見る。それは、多くの人が大洪水の中で死んでいく夢だった。ノアは夢で出てきた祖父に出会うため、妻のナーム、息子のセムとハム、ヤペテと共に旅に出た。その道中、イラという少女を助ける。彼女は腹に大きな傷があり、子どもが生めない身体になっていた。ノアは彼女を家族の一員として旅を続ける。祖父と出会ったノアは方舟を作ってこの洪水を乗り切れ、という神からのメッセージを受け取る。

キリスト教徒の少ない日本でもよく知られているノアの方舟のエピソードを大作映画として作った本作。ただ、この辺りの宗教的知識は持ち合わせていないので、読む方はそれを前提に読んで頂きたい。

まず、本作で扱われていることは「人間は絶滅すべきか否か」という問いである。世の中には悪がはびこり、それを一掃するために神が洪水を起こす。その中で描かれていくのはノアの葛藤だ。神のお告げによって方舟を作り、動物を一つがいずつ入れることにするが、人間はノアの家族以外誰も入れない。この選択には罪悪感が伴う。だが、ノアはそれに対して信仰心と確固たる意志で洪水の日まで準備をしていく。

このテーマは面白いし、向こうでは当たり前なのかもしれないが、「ノアは方舟を作って洪水を乗り切り、新たな世界で子孫を残した」程度の知識しかなかった僕にとってはノアの抱える罪悪感というのは斬新なテーマだった。ノアの家族についても様々な葛藤があり、人間的な側面が与えられている。

構図としてはイエス・キリストの苦悩を描いたミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」に似ているだろうか。

だが、この人間的な掘り下げがただただ暗い側面をあぶり出すだけなのがきつい。「ブラック・スワン」の時も思ったが、この監督の作品は圧倒的に暗い。そして、その暗さが僕にとっては何の面白さにもつながらない。ただただ陰鬱なだけに感じるのだ。

そして途中で出て来る家族の問題があまり共感出来ない。それはセムと恋愛関係になったイラが子どもが生めない身体だから他の妻をセムに与えて欲しいというもの。

はっきり言ってどうでもいい。というか、そもそもカインの血を引くであろうイラを方舟に乗せること自体いいのか?と思ったり、家族として暮らして来て、そんな普通の恋人のような関係性になるのか?といった疑問がどんどんわいてくる。そして、このイラの不妊が後半の物語に大きな影響を与えるのだが、「これ必要だった?」というくらい微妙な物語だ。
これによってノアの罪悪感を増幅させようという意図があるのだろうが、何だかこのエピソードがあるため、「他の人間全てを見殺しにする」という大きな罪悪感がぼやけてしまう。旧約聖書に登場しないイラという人物を監督が膨らませたというが、正直言っていなくていい。このオリジナルの登場人物は「ノアの方舟」という大きな物語とそこにあるノアの人間的葛藤を矮小化してしまった。そして、このセムとイラの恋仲によって引き起こされるもう一人の息子、ハムの嫉妬も説得力がない。これだけ長く家族として一緒にいる時点で恋心を抱くのか?という疑問もあるし、それで嫉妬なんかするか?と思う。それでいて、できたてのカップルみたいな振る舞いをする二人は頭おかしいだけだし、それに嫉妬する弟も頭がおかしい。

こんな実感が全然わかない三角関係を描くよりも、もっとしっかり方舟建設や、預言について描いて欲しい。前述の「ジーザス」では「民衆のために死ね」という神からのメッセージを受けたイエスが「死にたくない」と葛藤するシーンがある。それをそのままやれ、とは言わないが、もっとノアの苦悩を描いても良かったのではないかと思う。

方舟伝説を映画化した際にエンタメ性を加えようとして、スケールダウンしてしまった感がある。
まあもちろん、映画としては暗いことを除けばそれなりに迫力のある映像だし、ひどいと言えるほどではない。だが、ちょっと浅い物語になってしまったし、何だかこれを観ても得るものが全然ない作品になってしまったのは宗教的なテーマを持つ映画としては致命的だと思う。

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