卒業式というものがなくなってから
早○○年。
それでも
「想ひ出が走馬灯のようによみがえってくる」時が
あります。
訃報が届いた時です。
わたしが初めて「バンド」というもの中に身を置いた時
鼻歌で作った『地図』という曲を
音楽らしい形にしてくださったドラマーHさん。
かなり年上で
ちょっとコワそうな
「おじさま」と呼ぶには少し失礼な気がするクールでお洒落な男性でした。
音楽を共に紡いで行く中で
そんなにコワイ人ではなく、むしろかなり優しい方であることは分かりましたが
それでも、最後まで、本音は言えなかった程
威厳のある方でした。
わたしが
「プロになりたい。」
と話すと
「一緒にプロになろうよ。本気でやろうよ。」
と応援してくださいました。
それでも、何となく、だんだん一緒にやる機会が減り
自然消滅的な感じで
会わなくなりました。
ライブのお知らせも送りずらくなり
そのうち、連絡しなくなりました。
そんなドラマーHさんに
久し振りに連絡をしてみようと思ったのは
2013年11月に行った
恵比寿ガーデンホールでのツアーファイナルでした。
理由は、ただ一つ。
小田原 豊 さんが、ドラムサポートをしてくださるから。
すぐに、ドラマーHさんの顔が浮かび
連絡しなくなってから、かなりの歳月が過ぎていましたが
ドラマーHさんなら、来てくれるような気がしました。
コンサート終了後
沢山のお客さんの列に混じって
やはりいらっしゃいました。
ドラマーHさんの変わらぬ威厳のある姿。
本当に一言だけ
「早川さん!本当に嬉しい!」
と・・・。
昔から、感情をあまり表現しない方でしたが
キラキラした目を見て、小田原 豊 さんとの共演を誰よりも喜んでくださっているのが分かりました。
それが、わたしにとって、ドラマーHさんと話す最期となりました。
通り過ぎて行って、今はここにないような気がする景色も
全ては「今ここ」にあって
わたしを支えてくれているのだと
今、心から実感しています。
2/11に旅立たれ
2/14ご家族でお葬式を行われたそうです。
あの不思議なほど暖かい日に
ご家族に見守られ、旅立って行かれたのかと思うと
きっとスムーズに天国の入口を通り
今も幸せにドラムを奏でていらっしゃるような気がします。
安らかな眠りをお祈りいたします。
あえか