教え子が留学体験をブログするようになり、私の知らないところでどんな経験をして、どんなことを思ったのか、成長の過程を楽しみに読んでいます。
彼女は中学生の時、1学期間私の英語のクラスにいて、気配を消していました。文字通り「当てられないようにひっそりと」座っていました。実は教壇からは意外と丸見えなのですが、そういう子は必ずクラスに存在して、却って私の目を引くことになります。笑
聞けば家族で海外旅行とかもするようで、英語が嫌いというか、英語の勉強が嫌いなんだろうな、という子でした。
私は授業開きで必ず、どんな趣味を持ってるかとか、英語が好きかどうかとか、将来英語をどんな風に使いたいかとか、とか、部活は何かとか、必ずアンケートを取ります。担任でないクラスでは生徒の情報が少ないので、それは例文を作る時に使われることもありますし、英語に興味を持てない子に、その話題について英語と結びつけることもあり、あるいは単に少しでも親しみを持ってもらえるように、話題を振ることもありました。
彼女が書いてきた趣味は三線。その頃私は八重山民謡にハマって、家に転がっていた三線を持って習いに行ったりもしていたので、興味津々で呼び止めました。すると、本島まで旅行をしてはアーティストに習っているとのこと。「英語わかなくても、三線持っていけば、あなたならすぐ友達が出来るわね。」などと、英語の教師らしからぬ事も言いながら、授業が終わると教卓に来る彼女とおしゃべりするようになりました。
英語が出来ないのではなくて、明らかに勉強から逃げている様子で、やってみもしないのに「出来ない」という子に厳しかった私は、よく相談されると、「家でやればいいや、とか、後でやればいいや、って思うから辛くなる。授業中だけまずは頑張ってみたら。」と言っていたわけですが、彼女はその「授業中に頑張る」が全く性に合わない、人前で一生懸命やるのはイヤ、という子でした。何て言ったか忘れていましたが、彼女のブログによると、ちゃんと向き合え、みたいなことを言ったようです。今もYes, but…な人のお尻を蹴飛ばす時にはそういうことを言っている気がします💧
その後、授業で巡り会う事もなく、1年以上経った頃か、次にやってきたのは中学3年の時。
「アメリカに高校留学したいから、推薦状書いてください!」と来たのですが、「ええと、何の?」と聞き返した (つまり、英語の、なのか、知り合いとして、なのか…) ほど、彼女のことは授業とおしゃべりした程度のことしか知らず、今教わっている先生とかじゃダメなのかと再三聞いたのですが、うん、と言わず、どうしても私に書けと。
推薦状、って、「この人を推薦します」だけではないのです。そんな簡単に書けません、担任にはちゃんと言った?などとと説教しつつ、取り敢えず、外国人教師に彼女の授業態度を聞いてみると、「気配消している。」笑。
部活の顧問のところに行き、「上級生としてリーダーシップ取っていますか」と聞くと、「頑固だけれど真面目に頑張っている」。いや、もうちょっと詳しく、と様子を聞き出し、他の教師にもそれとなく聞いて、教えていた時の資料を引っ張り出して色々書いてみました。
「彼女は授業中もあまり積極的ではないタイプですが、他の子にはない着眼点があります。また強い信念があり、自分の能力を伸ばしたいという意志があります。非常に残念ですが、当校のリソースは限られており、彼女の様々なスキルや潜在能力を伸ばすプログラムがありません。貴校の優れた環境では、彼女は恐らくもっと伸び伸びとリーダーシップを発揮できると確信していて、私は彼女を応援したいのです。」
A4一枚分を要約するとこんな感じですが、外国人教師に読んでもらうと、「いや、これじゃあダイレクト過ぎて身も蓋もない。表現を変えろ。」と言われ、わかっているけれど、じゃあどうするよ、と言ったらその先生も困って、どう書いたらいいか、2人で唸りながら仕上げました。
もう1つの問題は、彼女が志望しているのがボーディングスクールで、1年間の腰掛け留学は認めない、という事です。つまり、きちんと編入学する、つまり学籍を移すことが前提でした。しかし実際には休学扱いで保険をかけておき、向こうでやって行けるのか見極めたところで退学、という方法を取りたいわけです。ダブルで正式に学籍を置くということは、本来は許されていませんが、日本の高校を退学してから移るのは、当然リスクが伴いますので、そこは海外なのでムニョムニョ…と見ないふりをしつつ、推薦状は相手校に正式な学生となることを前提として書かなくてはなりません。
その辺りも含めての確認と、彼女についてどの位の率直さを持って書いても合格するのか、これはお世話になっているというエージェントの担当者に聞くしかない、と電話をかけてお尋ねしました。「それで大丈夫です。」と言われ、安心して仕上げ、「試験頑張りなさいよ。」と言って渡した覚えがあります。
さて、その後の詳しいことは今になって彼女のブログで知るわけですが、これまで知る限りでは、高校を卒業する時は、「最も成績が向上した学生」として表彰され (学校まで見せに来てくれました)、特技のゴルフも学生生活で活躍する場を作り、日本の学校では理系は諦めろと言われていたのが、留学先ではロボコンに出場したり、大学で海洋気象学を目指したりする事になるわけです。私が知らないところで、どんな努力をしていたのかな、と考えを巡らせるとともに、絶対に自分から努力したとは言わないのもわかっているので、勝手に想像しています。
私はそこまでの活躍を見通していたわけではありません。何分にも、彼女の才能を知るところまでは接点がなかったのですから。それでも何とかなると思えたのは、「人に頼れるオープンさを持つ人は、世界中どこでもやっていける。誰かが必ず味方になってくれるから。」ということと、「自分が本気で目指したら、行きたいところまで行ける。」ということです。
彼女だけではなく、どの生徒にも対しても。「医療の研究で貢献したい。」「芸能人と知り合いたいから広告代理店に勤めたい。」「ミュージカル女優になりたい。」「独りで留学して、ともかく自分の可能性を見つけたい。」「アニメーション映画を作りたい。」「CAになりたい。」「お母さんと同じ看護師になりたい。」「演奏家になりたい。」「デザイナーになりたい。」「小説家になりたい。」 etc., etc.
たくさんの夢を聴きながら、本人が本気で目指せば何らかの形や方法で到達できるはず。まずそう信じることが、教師の仕事だと私自身が信じていて、相談して、諦めようとしている人にはいい迷惑でしょうが、「やってみたら出来ることが見えてくるわよ。」としか答えません。子どもの成長を信じることができなかったら、なぜ教育に携わるのだろう。正論のような、その答えを持ち続けるにはとてもエネルギーが要る。だから教師ってタフだな、と感じるし、コーチもそこが一番大事だと思っています。