ADHD大好き!

ADHD大好き!

ADHDの子ども達へ。ADHDの子どもをもつお母さんへ。

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先日放送された、フジテレビ『GTO』(グレートティーチャ鬼塚)で、
はじめてじゃない?ADHDの子がテーマになっていた。

でも、違うのよね。あんなんじゃないし。
父親と医者が言う「発達障害の一つで何事にも我慢ができないことが問題」みたいな・・・
違う・・・問題の底辺はそこじゃない。

「なにごとにも我慢が出来ない。集中できない。」子ではない。
「興味のあることにしか」「集中しない」子なんだよね。

イラっとすると必ず、暴れる子でもない。
「苛立ち」「怒り」を押さえていられる環境とそうでない環境で差が激しいんだ。

暴力、非行、学力低下、体力低下、すべてがADHDの症状のように表現された
手のつけられない、治せない、哀れな子と言う風にドラマは作られていたけど。
違うんだよね・・・


暴力も、非行も、学力低下も、
ADHDの根幹である脳の中枢神経と刺激伝達経路に問題があるから
理解されず、上手に支援されず、「ダメな子」というレッテル貼ると
そういう方向で拍車がかかる・・・
そういう手のつけられない子になる前に
薬、カウンセリング、経験、習慣が大切なのであって・・・


発達障害の子達が集まる施設に入れれば解決することでもなく
たぶん、逆に、そういう施設にいると、後々も普通の生活ができなくなるかもと。心配。


自分のことが自分でできて、人に迷惑かけないように。
ADHDの子だけじゃなく、すべての子ども青少年が、そのために教育を受けているわけで
ADHDだと、通常の子の5倍10倍の助言と忍耐と努力が必要ってことなんだ。


普通に、学校に行って、授業受けて家に帰ってくるだけでもADHDの子にとっては大仕事。
毎日、毎日、毎日、普通の人の5倍緊張していないと、普通の生活が維持できない。
だから、毎日、クタクタ・・・


最近、数学とか苦手な教科が減って、好きな専門学科の授業ばかりなので
薬に頼らず、自力でなんとかしようと頑張っているようで

凄く疲れるみたいで、帰って来るなり寝てしまう。


自力で「緊張感」を維持して「集中」することもできるようになってきたんですね。

もともと・・・ADHDの子が「集中」すると、半端ないですから・・・
2時間3時間なんて、無言でモクモクとあっと言う間に過ぎます。
それは、それで怖いです。


疲れがたまると爆発します。暴れますね。
暴れていいという環境、リラックスできる環境下で暴れます。
学校で暴れる子は、家が厳しくて、家でリラックスできないからでしょ。
うちは、家がリラックスできて、母親はクソだから家で母親相手に暴れます。


よくよく考えたら、家で暴れるようになったのは
娘と二人で暮らすようになってから・・・
そう、気を使う人、いいカッコしないといけない人が、家にいなくなったってことですね。
母親だから、包み隠さず、生身でぶつかるってもイイと思ってる。
言いたいこと、言いつくしていいと思っている。

母親を信頼しているということになもなると思うのですが

実際、あざだらけになるのは辛いです。


私が、子どもの頃、親に対する思いと間逆なんです。
そう・・・私はAD(アダルトチルドレン)だった。
親があまりに厳しくて、すぐに殴る叩くシバク教育を受けてきたから。
親の前では「最高の良い子」でいないといけなかったんだ。
ウソついても、親騙しても「良い子」でいる必要があって・・・
思い起こすに『反抗期』が無かったんだよね。


私の母は
「あんたは反抗期なんかなくて、手のかからないエエ子やったのになぁ。」
と未だに言いますが・・・
それが人間形成的には大問題だったんだと。

そして、完璧主義的正義の味方の良い子のADの下に
ADHDの子が生まれると、その子は「破壊的な子」に育つ傾向があるって
最近、本で読んでショックも受けたのでした。

娘が私に暴行する子に育ったのは・・・私の性格ゆえなんだ。
「間違ったことが許せない」から「正しい人に育って欲しい」という強い願いは
またしても、私のような逆に歪んだ人間を形成しつつあったのかも。


今更だけど、生きて行くことに手を抜こうとと思う。
少しづつ少しづつ、だらしなく変貌したいと思います。
部屋の掃除は一日1回にします。
洗濯の回数も、拭きそうじ、ワックスかけ、布団干しの回数も減らします。



人は変わらない、娘も変わらない、回りは変わらない。
だから自分が変わる。
そのためには、今まで以上に、いろんなこと我慢しないといけないけど。


はあ。しかし。ADHD・・・・
GTOであんな風に伝えて欲しくなかった・・・・
美談になんかならないよ。毎日が戦いだから。
本人にとっても親にとっても・・・・


しかも。あんな風に伝えられるってことは

教育者の間でも、ADHDについて正しい情報が伝わってないってことですよね。

ADHDの子どもへの支援は、ちょっとしたことで

その子を良い方向へ導けたり、生かせる未来に続くこともあるので

『障碍児』だからというククリで扱わないで欲しい!というのが本音です。