「アデハデ」に込めた想い・第63回 役に立たない人もいていい、けど… | 艶(あで)やかに派手やかに

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先日賛同者紹介に登場した、発達障害の当事者団体「イイトコサガシ」の冠地情さんは、「障害があってもコミュニケーションに関する成長、試行錯誤が免除…にはならない」と語っています。

「(発達障害だから)私はコミュニケーションについてはあきらめていますので、必要最低限のことしかしません。後はよろしくお願いします」
という人を、あなただったらフォローしたいですか?
私は全国でそういう方達、親御さん、支援者さんと、かなりお話ししましたが…残念ながらフォローする気にはなれませんでした。
できる・できない、うまい・へたは別として、成長を目標に試している人ならいくらでもフォローします、私は。むしろ大好きです。
でも、成長をあきらめちゃっている人って要は…ずっと私がフォローするだけってことですよね?
しかもそれが約束・義務になっているわけです。
(『メンタルヘルスマガジン こころの元気+』2016年8月号50ページ「コミュニケーションをあきらめる?」)


私は、社会にはそのような人もいていいと思います。いてこそのダイバーシティ(多様性)ですから。
しかし、フォローし続けるのは難しいことがあると思います。
こう書くと、社会的弱者の立場にいる人には非常に厳しく冷たい意見のように聞こえるかもしれませんが、そうでない人はすんなりうなずけると思います。
なぜなら、発達をあきらめた人は、残念ながらフォローしても見返り(結果のことではなく、フォローする過程で得られるポジティブな感情)が得られないからです。どうせ応援するなら、多かれ少なかれ見返りがあってほしいと思うのが人情です。正直、よほどのスーパーマンか、その人と心中したい気持ちがある人でなければ、フォローするのは難しいのではないでしょうか?
開き直った人は自分を変えることがなかなかできません。まして周囲がその人を変えてあげるのは不可能です。
「そのままでいいんだよ」という、追い詰められてきた人にとっては非常に耳触りのいいキャッチフレーズも、ひとつ間違えるとかえって生きづらさにつながってしまうのではないでしょうか?

これをより広い実社会に置き換えるとどうでしょう。
よく能力などの事情で、「社会の役に立たない人はいてはいけないのか?」という疑問が投げかけられることがあります。例えば「一億総活躍」というフレーズに対して、「活躍できない人はどうするんだ」という反論。
「一億総活躍」の是非はさておき、私は「役に立たない」人も社会にいていいと思います。繰り返しますが、そのような人もいてこそのダイバーシティです。
しかし、「私は役に立つことについてはあきらめていますので、必要最低限のことしかしません。後はよろしくお願いします」という人を、誰がフォローできるのでしょう?
変わるのはしんどい、というのはわかります。私も、コミュニケーションを試すのはとてもしんどい時期がありました。今の社会環境に問題がある、というのもわかります。私の周りも、理解的な人ばかりではなかったですから。
でも、もう一度問いかけてみましょう? 本当に「発達できない」のか? 本当に「役に立てない」のか?
社会は発達しようとする人にはそこまで意地悪とは思えません。挑戦する気持ちを育て、挑戦できる場を作る人達はいます。

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