昭和40年男という雑誌 | ただのオタクと思うなよ

昭和40年男という雑誌


“懐かしい”だけが昭和じゃない

 昭和ものの書籍・コンテンツというと「ナツカシイ」というキーワードと切っても切れない。そんな既成概念にとらわれすぎていませんか?でも、現在22歳以上86歳以下の人間はすべて“昭和製”であることを忘れてしまってはいけません。インターネットが日常化して以降に生まれた、デジタルネイティブ・デジタルチルドレンが早々に夜を席巻するであろう、などと恐怖を煽る声も聞かれますが、まだ当分、日本社会は昭和人間によって運営されていくことになるのです。

 1995年頃からのネットベースのものの考え方への急速なシフト(“革命”という言葉は個人的に好きではないので)を考えると、30代後半当たりの方が核であるべきと言えなくもありませんが、ものごとの決定権を握るにはまだこの年代では早いのではないかと思います。そういう意味で、世の中の核と言える世代というと、サラリーマンならそろそろ管理職でも少し上の方に差しかかりそうな40歳代半ば、アラフォーよりもちょっと上といったところでしょうか。

 今その年代に位置しているのが昭和40年前後に生まれた人々です。僭越ながら私もその一人に引っかかるのですが、この世代に注目することで、これまで歩んできた日本、今の日本、今後の日本が見えてくるというのが、その名も「昭和40年男」という雑誌です。

 昭和40年というと昭和、なかんずく戦後においても一つの転換期であると言えます。戦争からの復興を終え、東京オリンピックを目標に行け行けどんどんに高度成長を進めてきたのが昭和39年まで。いわゆる昭和ものの映画というとこの時期を扱うものが非常に目立つ、まさに日本が輝いていた時代でした。それが40年代になると、テレビはカラー化の段階に入り、持っていること自体はすでに当然と、成長の形に変化が現れてきます。「洗濯機、テレビ、冷蔵庫」の“三種の神器”が必需品の象徴だったのに対し、“3C”すなわち「カー・クーラー・カラーテレビ」はちょっと背伸びするためのツールであるところにその変化が現れています。

 成長の様相が変わる中で、“闇”も浮上してくるのもこの40年代。高度成長により安定を勝ち得た層がいる一方で成長のつけを払わされた層の不満が一気に破裂するのがこの時期。公害問題しかり、学生運動しかり、成田闘争などもその中に含まれるでしょう。

 そんな中で、文化・情報発信は映画・ラジオからテレビへと一気にシフトしました。マス情報の伝わりの速さから全国規模の大きな流行が生まれやすくなってくるのが40年代以降とそれ以前との決定的な違いです。そうした変化は子供たち、すなわち40年代初頭に生まれた私たちの遊び、友達づきあいの中にも現れてきます。いわゆる「テレビっ子」というのはこの世代の子供たちの別称です。

 月曜日の学校での話題は「全員集合」の志村のギャグであり、男子はみんなガチャガチャで手に入れたスーパーカー消しゴムに接着剤でチューンアップしたものをBOXYのボールペンで飛ばしあい、女子は教壇をステージ代わりにピンク・レディーのUFOの振り付けを競っていた。このような場面を、おそらく日本全国ほとんどの昭和40年男たちの記憶の中に刻まれているはずです。

 こうした同じ世代がほぼ同じ空気を吸っていたというのは昭和40年前後生まれくらいが初めてではないでしょうか。逆に今の30歳代以下では趣向が分散する傾向が強まった分、同じような体験は乏しいようにも思います。


このような、全国規模的共有思考をもつ昭和40年男たちが中核となる日本の社会はどうなっていくのか、そんな男たちが作る家庭はどのような次の世代を育むことになるのか。

これまでとはちょっと違う「昭和」の見方を、この雑誌は提供していると言えます。