岩崎弥太郎と三菱四代 | ただのオタクと思うなよ

岩崎弥太郎と三菱四代


「龍馬伝」裏主役の意外な歴史を知る

 今年の大河ドラマ「龍馬伝」が、これほど面白いとは思っていませんでした。NHKが全精力を傾けたと言っていいスペシャルドラマ「坂の上の雲」の第1部の直後に始まったこともあって、そのギャップなどを心配していたのですが、杞憂に過ぎませんでした。それどころか、大河としては初めて採用したプログレッシブ撮影の効果がたぶん一番大きいのでしょう、これまでの大河とは一線を画す、独特な世界観を作り上げている感があります。

 もちろん、画作りだけではありません。例えば、前回放送された坂本龍馬が勝麟太郎に出会う場面。攘夷論に染まった龍馬が勝を斬りに来たところを、勝に諌められ、一転、勝に弟子入りを志願するというのが、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に代表されるひとつのパターンでした。ところが、この常識をあえて突っぱねて、すでに古典的な攘夷論から脱した龍馬が、自分と近い考えを持つと聞かされた勝の元を訪れて、いわば“面接試験”に挑むという展開を持ってきた。

 あくまでドラマである以上、どちらが真実かを問うのはナンセンス。それを前提とした上で、“誰も知らなかった龍馬の生き様”を描くことを標榜する「龍馬伝」が示したひとつの形がこの場面に現れていると言っていいでしょう。

 そんな“誰も知らなかった龍馬の生き様”を見つめる視点は、ご存知のとおりドラマの語り部、岩崎弥太郎その人です。ここ数回は出番が限定的な弥太郎ですが、これまでともすれば龍馬以上に目立つ存在だったように思えます。「坂の上の雲」での正岡子規役を演じている途中でもある香川照之の、もはやハマリ役の一つと言い切っていいと思います。私は勝手に“裏主役”に設定しています。

 実際、表面上「龍馬伝」を名乗っているこのドラマ、本当は「岩崎弥太郎伝」にしようと作りても思っているのではないかと、私には思えてなりません。NHKという立場上一企業の立身出世をドラマ化するのは難しいのでしょうが、「龍馬」という衣を借りて、実はこれをやりたかったのではなかろうか。そんなふうにも思うのです。

 一説には、弥太郎やその家の見栄えがあまりに汚く描かれていることから、三菱サイドからイチャモンをつけられたとも言われますが、創業者の物語が大河で扱われることを、当事者である三菱が嬉しく思わないはずがありません。

 そんな弥太郎の実際の足跡と、三菱財閥興亡の軌跡を追った一冊が、「岩崎弥太郎と三菱四代」です。

 ドラマには誇張がつきものですが、この本をなぞる限り、実際の弥太郎の生き様もドラマのそれとさほど違いはなかったようです。猛烈、豪胆、図々しい、幕末という時代背景がその性格をさらに増幅させていった弥太郎。政治家でこそないものの、時代の変革期を切り開いていく人物のひとりであり、他の幕末の志士と何ら引けをとるところはない革命児だったのです。

 「三菱」と聞いて、“国の手先”をイメージする向きは少なくありません。事実、明治期から太平洋戦争の終戦まで政商として君臨したのは確かです。しかし、その立場にあっても、その時々の政府とは常に戦いを続けてきたのも三菱の歴史だったことを、この一冊は深く指摘します。

 今の時代、あこがれの企業というとソニー、ホンダなど叩き上げの経営者が一代で立ち上げた会社の名前が挙げられることでしょう。しかし、その対立軸である三菱もまた、明治維新においてはこれらと引けを取らない“ベンチャー”の時代があったことを、この一冊から知っておくべきでしょう。