ダメ人間の日本史 | ただのオタクと思うなよ

ダメ人間の日本史


人の歴史はダメ人間の足跡

 このところたびたびこのブログで触れている大河ドラマ「草燃える」を見るに、人間とはかくも醜悪な生き物なのかと痛感させられます。何しろこのドラマ、“まともな人間”という人物が出てこない。

 どこかで必ず腹黒かったり、自意識過剰だったり、逆にだまされやすく天然すぎたり、はたまたオカルトに走ったり、そしてスケベだったり。

 なぜこれほど欠陥人間の集まりのようなドラマが、こうも魅力的な内容に仕上がっているかと考えるに、結局自分の中のどこかに潜む欠点が、そのまま芝居となって現れているが故、ということなのでしょう。

 もちろん、所詮ドラマですから、過剰な演出は含まれているはずですが、それを織り込んでもなお、共感にはまってしまう。とりもなおさず、人間の歴史とはダメな人間のほんの一部の優れた点と点がつながって、奇跡的にそれなりに生きられる世の中として今があるのでしょう。

 きょうはそんな、いわば本当の歴史の姿を追う一冊「ダメ人間の日本史」なるものを紹介しましょう。

 これも今はやりの“萌えで学ぶ”系の流れをくむ本なのですが、萌えっぽいのは表紙のお姫様のイラストくらい。でも、読んでいくうちに、歴史の本なのかオタク系の与太話本なのか見まがう感覚に襲われます。

 “ダメ人間”といっても其の種類は多岐にわたり、“英雄色を好む”の典型のようなスケベ貴族から、二次元・まんがオタク、ラノベマニア、パーツフェチ、酔っ払い、浪費癖など様々。まあよくもこじつけたものだという話も少なくないですが。

 ただ、思うのですがこういう様々な“ダメ人間癖”というのも、所詮現代人の視点に過ぎないと心得て読むべきだと私は思うのです。例えばKY的な性格をあげつらう内容がたびたび出てくるのですが、必要以上に気を遣う現代的気質は、昔の人から見れば“ダメ人間気質”そのものだったりするのです。価値観そのものが時代によって大きく変わるのだから現代人があれこれ批評するのは大変失礼な話でもあるのです。

 この本自体は楽しく歴史を追うのが目的ですから、あまりその当たりをいきり立って批判する必要はありません。でも、人の価値観は時代ごとにころころ変わること、変態趣味も時代によってはそれほど人道からはみ出たものではないこともあることを、頭の片隅には入れておきたいものです。そうでないと、たちまち他国の文化を“優劣のメガネ”で見分けるクセがついてしまいますからね。