マスコミは、もはや政治を語れない
普通の人々とマスコミの優劣とは
去る3月22日にNHKで放送された討論番組「激震マスメディア」を見ていて、明らかにメディアの流れが変わったと実感しました。
番組上で報告されていたアメリカや日本での業界内の急激な変化、視聴者の変質など、どれをとってもそれは言えることなのですが、それよりも何がダメで何に光がともっているかを表したのが討論のテーブルに着いたメンバーの発言内容でした。内容そのものよりも、語り口と言っていいかもしれません。
あれを見て、それまでメディアの現実などほとんど気にとめなかった視聴者も、何かを悟ったのではないでしょうか。
と、ちょっと奥歯に物が挟まった言い方をしてしまいましたが、早い話、新聞・テレビのトップに立つ人間が、いかに“今”を見てないかがさらされてしまったのです、この番組で。
前々から「新聞・テレビはもうダメ」と様々な方面から指摘があったわけですが、あのような醜態を直に見てしまうと、衝撃とともに正直、哀れささえ感じます。
その一方で、際だって整然と“今”を見る目を持って言葉を発していたのが、ジャーナリストの佐々木俊尚氏でした。
この番組、私はTwitterのTLと2ちゃんねるの実況板を同時並行で眺めていたのですが、ほぼ一様に、佐々木氏への評価は抜きん出て高いものがありました。あの2ちゃんねるでさえ。
その佐々木氏が、“今”の視点をもって政治・社会・論壇の側面から検証したのが、今回紹介する一冊「マスコミは、もはや政治を語れない」です。
先日の討論番組で佐々木氏が語った言葉は、この本のごく一部を簡単にまとめたものと言っていいでしょう。番組で佐々木氏の存在を知り、気になった人なら、是非読んでいただきたい一冊です。
佐々木氏が指摘するのは、マスコミの主張や論評と、ブログやTwitterなどソーシャルメディアを通じて発信される“普通の人々”の言葉に、もはや優劣は存在しないという真実です。
いや、実はむしろ昔からそんな優劣など存在せず、単に個々の主張を社会に曝す手段が少し前間でなかっただけのことなのかもしれません。居酒屋で愚痴のように世間を批判するおじさんの言葉にも、一つの国民の意見ではあったわけで、多少の荒さはあれ、どこかに真実は含まれていたのかもしれません。
いやいや、むしろ“マスコミ様”そのものが、そもそもそんなお高い存在じゃなかったのではないか。中の人だった一人として、それを全力で否定することは私には出来ません。
あるいは、情報に従事する人間の流れがすでに変わっていて、良質な人材がテレビ・新聞には寄りつかなくなってしまったのかもしれません。賢い人材は、そのにおいを早い段階でかぎ取っているのかもしれないです。
マスコミといえば高給取りの象徴ともいわれますが、そんな魅力さえ今の若い人材には美味しくは映らないのかもしれませんね。なにしろ、今最新ニュースを知る手段といえば、ネットのポータルサイトか、Twitter上で誰ともなく語られる又聞きニュースだったりするわけですから。