セカイ系とは何か | ただのオタクと思うなよ

セカイ系とは何か


要するに仮面ライダーディケイドなんです

 もう6年くらい前の「日本オタク大賞」という毎年恒例のテレビ番組の公開収録にいったときのこと。壇上のコメンテイター(いわゆるオタク界のエライ人々)らに、自己紹介がてら「オタクの定義とは」と聞いて回る場面があって、その一角に居座っていた、当時まだ百数十キロのガタイを維持していたオタキング・岡田斗司夫氏が「オタクの定義を論じたがるやつがオタク」と言い放ったのをいまでも鮮明に覚えております。

 2006年の「オタク・イズ・デッド事件」(詳細は私の姉妹ブログを参照してください)以来、脱オタクの方向性を鮮明にしている岡田氏の、一次は自ら布教にいそしんでいた「オタク」という言葉への、決別の始まりだったように思います。

 岡田氏に合わせるわけでもありませんが、私も最近「オタク」という言葉に、かつての羞恥心とは違う何か痒いものを感じています。未だこのブログでは「オタク」を看板にしている分、ぬぐい去ろうという気は当面ないのですが、今年1月の「オタク大賞」(今年は放送なし。近くニコ動で配信するとか)など、かなり追いつけない話が多くなってきてしまっていて、何というか「オタク」に疲れてきた感じなのです。だって、特撮の話なんて鶴岡法斎がちょっとしゃべったくらい何だもん(ガールズサイドではシンケンジャーで盛り上がったようですが)。

 その、私をオタク的に追いつけなくしている象徴的な言葉が「セカイ系」なるものです。きょうはこの謎の言葉をテーマにした一冊「セカイ系とは何か」を取り上げておきたいと思います。

 取り上げたいといいましたが、正直な話、取り上げたくない本、というか読むんじゃなかったという気持ちが三分の二くらい。要するに、「○○とは何か」と書かれたタイトルで「○○」の意味が明記されていることを期待してはいけない。この事実が確認できたのが、この一冊に時間を費やした数少ない成果です。

 そもそも1990年代半ばに生まれた「エヴァンゲリオン」(新劇場版のヱヴァンゲリヲンじゃない方)ぽいものから端を発したのが「セカイ系」で、2000年代になると「ほしのこえ」っぽいものに変化して、訳のわからない方向へ拡大していったのが現在の「セカイ系」である、というのがこの本の説明。わかんないでしょ?

 もう少し具体的に書くと、ボクと彼女がいて、その関係が面倒なリアル感をどーんと省いて、“世界が終わっちゃう”という飛躍にもほどがある展開につながってしまう、という流れが話の柱になっているストーリー。この“終わっちゃう世界”の切り取って「セカイ系」と呼んでいると解釈すればいいでしょう。いや違ってるかも知れないですが、これでいいんです。どうせ元々訳のわからない言葉なんだから。

 要するにオタクと称する者どもはこのように外部の人間には理解できない言葉ノンアニーをすることに悦楽を覚える種族なのです。ほら、訳のわからない鉄道用語とか軍事用語とかいとも簡単に使うでしょ、オタクって。あれを文学系でやってるのが「セカイ系」なんですわ。

 もっと簡単に言うと、「仮面ライダーディケイド」なんですよ。セカイ系って。「ディケイド」って、毎回各平成ライダーの、作り手のご都合主義的な「セカイ」を訪れては事件を解決(むしろ複雑化)させていくわけですね。そういうのの一つ一つが、まさにこれ「セカイ系」。おのれディケイド!!

 ただ、誤解したくないのは、そこに善悪の分け方は存在しないことです。単なる不毛なのです(あ!怒らせちゃったかなあ?)。

 でもね、そんな一般人にとうてい理解できない言葉が書く綴られつつも、いまオタクの間で注目されていて、近く一般の目にも触れることになりそうなコンテンツの傾向などがかなり細かく(著者の独断も込めて)書いてあったりするので、そういう意味での参考にはなるかも知れません。でも、決して一般の方は奴らの言動に巻き込まれないでくださいね。