徳川家が見た幕末維新 | ただのオタクと思うなよ

徳川家が見た幕末維新


世襲の最たるものの素顔とは

 きのうのブログでは、有名人を親に持って生まれてきた子供は大変だなあ、という話を書きましたが、漫画家くらいで驚いちゃいけませんね。

 鳩山首相もまあ、大変な立場だとは思いますが、よくよく考えてみれば、政治家なんて周りを見渡せば偉大な親をもった人ばかり。何せこの国の総理は現職に至るまで4代続けて元首相の子か孫。その前の人もダン代続いての政治家一家ですからね。なんだかんだでそういう立場の人じゃないと、一番エライ人にはなれないわけですよ、この国は。あの北朝鮮でさえ2代だけですからね、そういうのは。逆に、そうでない人を探すのが大変。故に、やっぱり非世襲の政治家というのは異端なのでしょう。

 それがいいとか悪いとかなんて、私には興味ありません。所詮国民にとって政治家は道具ですから、使えるモノならどこで作られたモノかなどどうでもいいし、気に入らなければ取り替えるか無かったものと無視すればいいだけのこと。今のこの国はそれを許してくれる状態なんですから、ありがたいことではないですか。


 さて、偉大な父や先祖をもった人というと、この国にはもっとすごい方々がいらっしゃることをわれわれは忘れがちです。知ってますか?この国にもその昔、「貴族」がいたことを。平安時代の話じゃないですよ。今から70年くらい前までの話です。いわゆる「公候白子男」という爵位が明治初期から終戦までこの国には存在していまして、だいたい、皇族から民間降下した家や元の摂関家、大名家が様々な功績に応じてこの爵位を分け合っていたのですね。ほかにもいろいろな条件で“にわか華族”になった人もいたようですが。

 その爵位の最高位が公爵。これを名乗れる家は、まず民間降下の皇族、ただしこれは実例がなかったそうです。次いで摂関家。いわゆる五摂家ですね。一番知られているのは、戦前首相にもなった近衛文麿などがそうですね。あと、明治維新の功労者っていうことで三条家や岩倉家といった公家にも与えられています。

 そしてこれ以外で唯一、明治17年に出された華族令で示された「叙爵内規」に定められているのが、徳川将軍家です。

 え?明治維新で徳川家って滅んじゃったんじゃないのって?あなた、ちゃんと「篤姫」を最終回まで見なかったでしょ。15代将軍徳川慶喜が大政奉還を行って静岡で隠遁生活に入ったあとも、徳川家そのものはまさに篤姫(天璋院)の尽力により存続が許されて、現在でも脈々と続いているのですよ。

 ちなみに現在の徳川家当主は徳川恒孝さんという方で、日本郵船の副社長まで務めたという経歴の持ち主。まあなんというか、土佐の地下浪人が作った会社で仕えていたわけですな。なんという革命的巡り合わせというか。さらに恒孝氏のご長男で19代当主となりそうな家広さんという方は現在45歳。4年ほど前にベトナム人の女性を娶っており、いよいよ徳川家も国際化の時代へと突き進んでいくのでしょうか。

 おっと、話が脱線しましたが、今回はこの徳川家に一員として過ごしてきた人間の目から、お家の一大事となった幕末のいきさつを見ていくという一冊「徳川家が見た幕末維新」を取り上げておきたいと思います。

 この本を書かれた徳川宗英氏は、田安徳川家11代目当主。田安徳川家とは、8代将軍吉宗が、当時弱体化していた徳川御三家に代わるお家として仕立てたいわゆる「御三卿」の一角で、宗英氏は石川島播磨重工の役員などを経て、本書のような徳川家の裏話を書籍などにして伝えている貴重な人物なのですね。

 取り上げているのは、最後の将軍・徳川慶喜の知られざる素顔や徳川サイドだからこそ語れる細かい心理描写、そして慶喜に大政奉還を決断させるのに影響をもたらしたかも知れない坂本龍馬に対する見方(これは今のご時世、入れる買い入れないかで本の売り上げが全然違いますからね)、実は世間で言われるほど犬猿の仲というほどではないという薩長との関係、さらに旧幕臣や朝廷との関係など、終始徳川の視点で斬新な歴史観が語られております。

それにしても、33歳で維新を見ることなく暗殺された龍馬と、徳川将軍歴代最短の4カ月の在任期間ながら最長寿の77歳まで生きた徳川慶喜。人間の「生」とはなんなのかと、改めて考えさせられる話です。

 歴史の経緯そのものは、誰もが知る、さほど新鮮みのあるわけではないものですが、ともすると勧善懲悪的にとらえてしまいがちの感覚をぬぐい去るにはちょうどよい内容といえるでしょう。

 ちなみに、この本の中でちょっと面白かったのは筆者本人の学生時代の日本史の授業の話。身分が身分ですから、学習院で学んでおられた筆者なのですが、周りを見渡せば当然、元大名家のご子息ばかりなわけで、特に幕末の当たりにさしかかると、露骨に敵味方に分かれてしまうわけですね。しかもみんなのひいおじいさん同士のいざこざ、というすごい身近な話だったりするわけで、実際のところ、授業では深く突っ込まれなかったのだとか。まあ、よそからやってきた歴史教師の話などより、親から聞いた話の方がよほど正確なはずですからね(かなり偏ってるんでしょうが)。いや、なりたくないものです、学習院の社会科教師なんて(読んでいる関係者の方、ごめんなさい)。