ネットがあれば履歴書はいらない | ただのオタクと思うなよ

ネットがあれば履歴書はいらない


自分が晒されることに過敏になるべからず

 このブログで再三再四再五再六取り上げてきたTwitter関連本も、そろそろ曲がり角に来ている気がします。

 もちろん、ブームが去ったというわけではありません。むしろ最近では連日のようにテレビ番組で特集が組まれたり(週刊こどもニュースから生活ほっとモーニングにはなまるマーケットまで!)、有力企業が何かweb企画を立ち上げるときは必ずといっていいほどTwitterアカウントを立ち上げるようになり、はたまたこれまでそっぽ向いてた知人がにわかにはまり出したりと、一般レベルへの浸透はいよいよ本格化へという段階です。

 でも、先物買い的要素がある新書やビジネス書レベルでは、エントリー本に関しては一通り出回った感があり、今後はこれらを実情に合わせて小さな修正による回転板を積み重ねていくことになるのでしょう。

 エントリーを過ぎると、今度はネット社会全体におけるTwitter及びこれに準ずるソーシャルメディアの活用方法が求められます。その格好な指南書が、今回紹介する一冊「ネットがあれば履歴書は要らない」です。

 Twitterを知る本当の意味は、Twitter以外のネットツールとどう抱き合わせ、自分スタイルの中に組み込むところにあると、私は考えます。この本もその考えに沿った、「ネット活用自分際立たせ術」をまとめたものです。

 よく、新しいネットツールやサイト、SNSなどが立ち上がると、それまでありがたがって使ってたものでさえ「もう終わり」などと切り捨ててしまおうと考える方がいますが、このような考えはもったいないというほかありません。一時代を築いてきたmixiも2ちゃんねるもYouTubeも、そしてブログもTwitterも、すべてインターネットを構成する一要素にすぎません。これらの要素を様々な形をした積み木を積み重ねるのと同じように、新たなピースを加えることで、それまで誰も見たことのない、新たな世界に私たちを持っていってくれるのです(くれるのです、といっても、あくまで能動的なわけですが)。

 このことを踏まえた上で、今活用するに値するネットサービスを利用して、ネットと強く結びついた現実世界を、いかに顔を浮かび上がらせて泳いでいくか。その手始めとして筆者・佐々木俊尚さんが提唱しているのが、自分の名前(本名でもハンドルネームでも可)や自分のブログタイトルをググってみること。その時Google(Yahoo!でも可)の検索結果に並んだ項目が、ネット側から自分が見られている状況を明確に表しているというわけです。

 私もこの指摘に従い、自分の名前とブログ名で試してみました。すると、自分の名前(ADAKEN)で検索すると、トップに出てきたのは1年以上休眠状態のブログ「オタクの目」。うわ、これはまずい。1年もの間何も手を加えてないと、ネットじゃ死人扱いですからね。多分なんでこうなっているかというと、2006年5月に書いた岡田斗司夫の「オタクイズデッド」のイベントリポートが2日で3万アクセスという瞬間最大風速がそのまま引きずっているためなのでしょう。痛し痒しというべきか、ネットでのセルフブランディングとは、思いがけぬ困難にぶち当たるものです。こっちのブログでもう少し過激な内容でも書けば、検索順位も変わりますかね。

 まあ、これは特殊な例でしょうが、Twitterにしろブログにしろはてなブックマークにしろ、使い込めば使い込むだけ自分の存在感が際立つのがソーシャルメディア、これからのネットツールの特徴です。ネットに発言を投げることは、決してひそひそ話でもつぶやきでもなく、単にその場では誰も聞く耳を持たないかも知れないだけの、紛れもない“どなり声”であることを常に心得る必要があります。ちょっと峙たせれば誰にでも聞こえるのです。それを能動的にコントロールできるかが、この本で言う「セルフブランディング」成功のカギであり、うかつな失敗を避ける方法でもあります。

 佐々木さんは指摘します。自分の名前や住所、電話番号をだいぶ前からさらしているが、それをたどってやってきた不法侵入者やいたずら電話は今まで一つもなかったと。これが他の国ならわかりませんが、少なくとも日本ではこんなもの。自信を持ってまっとうに暮らしてさえいれば(もちろん、一定のリスクリテラシーは踏まえた上で)、必要以上に怖がることはないようです。

 そう言えば私のこのブログもメッセージを直接送る欄があり、先に挙げた「オタクの目」ではメアドをさらしているのですが、未だそこを通じて送られてきた名指しメールは一通もありません。危なくない代わりにむなしさもありますが。