電車のデザイン | ただのオタクと思うなよ

電車のデザイン

カラー版 - 電車のデザイン (中公新書ラクレ)/水戸岡 鋭治

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デザインを作るのは「言葉」

 今年の夏、久しぶりに九州への本格的鉄道旅行を敢行してみて、本当に九州の鉄道利用者がうらやましいなと、肌身で感じました。最新の九州新幹線はもちろんのこと、未だ在来線の主役である787系「リレーつばめ」(来年からどうなるんだろう)や885系「白いかもめ」などの特急車両や肥薩線の秘境観光列車「いさぶろう・しんぺい」のみならず、普段使いの通勤用電車まで、首都圏を走る電車とはまるで質が違う車両たちが、南国の鉄路を行き交っていました。まるで走ることを楽しむかのように。

 それだけではありません。かつて日本最長距離を誇ったブルートレイン「富士」の終着駅だった西鹿児島、今の鹿児島中央駅の、大胆かつすがすがしい佇まい。まさに鉄道王国九州の終着駅、というよりまるで王宮のようにさえ見えました。

 こうした鉄道の楽しさを使う側に浴びせかける「枠」を作り上げたのが、JR九州の専属デザイナー・水戸岡鋭治さんです。まさに“鉄道に革命をもたらした男”と言えるでしょう。

 その水戸岡さんがこれまで手がけた全仕事(鉄道以外も含む)をカラー写真でたどりながら、ご当人のデザインに対する思い入れを語る一冊「電車のデザイン」を、本日は紹介しましょう。

 水戸岡さんの本では、ちょうどこの9月の九州旅行中に読んで紹介した「水戸岡鋭治の「正しい」鉄道デザイン」という一冊もありますが、やはりデザインは出来上がったものを見てなんぼ、という点で、写真を多く盛り込んだ今回の本の方が取っつきやすいでしょう。もちろん鉄道を楽しむという意味では先の本も是非読むに値する内容ではあります。

 今回の本の中で水戸岡さんが強調しているのは、「デザインは活字から始まる」という軸。

 デザインというと、素人はまずかっこよく斬新なものがあって、という風に考えがちですが、こと工業デザインとなると、使われてこそのデザインであることを外しては元も子もないというのが見落とされがちな常識。だからといって、ただくそまじめな利便性=経済性だけに執着していては「文化」としてのデザインは台無しになってしまう。そこで、水戸岡さんはまず、デザインを手がける「目的=志」を明確化することに力を注ぐべきと言います。志とはすなわち「言葉」。活字を駆使した言葉は、企画書となってデザインへの骨格をなしていくことになるわけですが、これは企画書と言うより「物語」といえるのかも知れません。それは、決して「こんな感じ」と言った曖昧な表現ではなく「何のために」「誰のために」「どうするのか」を一つ一つ明確にして、ドラマの台本のように細かく段取りを詰めていくデリケートな作業。「デザインはフィーリングから」などという思想はそこにはありません。

 だからこそ、どんな大胆なデザインでも、しっかり形になってわれわれの目の前に存在しうるといえるのかも知れません。曖昧な表現のまま作り上げたものでは、立体化した際に「何のため」といったコンセプトの肝心な部分が宙に浮いてしまい、デザインそのものが死んでしまいかねないということでしょう。

 JR九州を走る車両たちはやたらと窓がでかかったり、他とはちょっと違ういすの並び方がされているのにも、必ず「言葉」が通った上で成立した形ばかり。窓を大きくすることで、混み合う車内でも“救われる気持ちよさ”を乗客に与えることができるし、社内の壁の色を一つ変えるだけで乗客の気分に安らぎを与えるものであれば、過去のしきたりなど厭わずどんどん取り入れていく。それこそがデザインであり文化なのである。

 こんな地に足の付いた思想の下築かれた鉄道文化が、楽しくないわけがありません.でもそれは決して、JR九州の専売特許ではないはずです。もちろん、九州とは比べものにならない本数の列車が行き交う東海道新幹線や山手線では、この思想がそっくりそのまま当てはまらない点も確かにあるでしょう。でも、山手線など楽しくなくてもいい、などとJR東日本のデザイン担当者が考えているようであれば私たちにとってこれほど割りの悪い話はありません。

 是非首都圏でも関西圏でも、JR九州に負けない鉄道の楽しさを、「言葉」をもって与えてほしいと、改めて強く思う次第です。