窮屈さが目立つ東京ゲームショウ | ただのオタクと思うなよ

窮屈さが目立つ東京ゲームショウ

 東京ゲームショウに今年も行ってきた。が、年々、会場内の滞在時間が確実に短くなっていることをひしと感じている。なぜか。とりもなおさず楽しめないからだ。なぜだろう。

 私がゲームショウに通う最大の目的は、この先どんなソフトが出てくるかを肌身で味わうため。ただし、積極的に試遊機で遊ぼうという気持ちはあまりない。ちょっと動かせれば、または他人がプレイしているところをゆるりと眺められさえすればそれでいい。

 ところが、大手ゲームメーカーほどこうしたことが容易に許されないブースとして構成されているのがここ数年の印象だ。しかも人が多く、暗がりの中を初詣の行列のように進まされねばならず、ストレスに拍車をかける。各メーカーのブースには試遊台を中心に張り巡らされた行列整理用のチェーンが張り巡らされ、行列に並ばなければ他人がプレーしているところを見ることさえままならない。結局、大きいブースほど遠巻きで眺めるのが精一杯、ということになる。

 ならば、各ブースのステージで行われるゲームの声優などによるトークショウでも眺めておこうかということになるが、いざカメラを向けようとすると係員が詰め寄ってきて「写真は撮らないでください」と目の前に立ちはだかる。非情に不愉快だ。商品見本市で、消費者に写真を撮られたくないものなんて最初から出すなよ!

 また、これは最近に始まった話ではないが、今地球上で最も普及しているハードメーカーが相変わらずこのイベントに姿を現していない点。ゲームショウ開催に際しては毎回、初日のプレスデーの様子を各テレビ局、ゲーム専門ウェブサイトなどが大々的に報じているわけだが、ソフトメーカーによる対応機器の紹介はあっても任天堂が出品していないということを一切伝えない。毎年通ってる人間には百も承知の事実だが、親子連れで気軽に見に行こうという人たちには、これは大きな誤解を生じさせているのではないだろうか。

任天堂不在の「世界最大級のゲーム見本市」にどれほどの価値を見いだすべきなのか強い疑問を持たざるを得ない。その矛盾こそが今のゲーム業界の縮図なのかもしれないが。

 さらに、ゲームショウを窮屈にさせつつある要因の一つが、コスプレの減少だろう。ゲームショウといえば、コミケに匹敵するコスプレイヤーたちが一般層と接する大イベントと、数年前までは思われていたが、ここ数年、かなり減ってきたことがはっきり現れている。5年くらい前ならば、棟と棟の間の通路には大勢のコスプレイヤーたちが語らう場所があったのだが。

 これら気になった点の共通した問題として思い当たるのは、会場の狭さだ。幕張メッセといえば、東京モーターショーが開かれる場所でもあるが、ゲームユーザー層は今や自動車に関心を持つ層より多いのではないだろうか。少なくともイベントまで足を運ぼうとする人の数は車よりもゲームの方が上ではなかろうか。なのにモーターショーより狭いスペースに人を押し込んでいることに根本的な無理が生じているのではないだろうか。ゲームショウが今やそういう巨大イベントに育っていることに、主催者はどこまで認識しているのだろうか。入場者が増えれば、楽しみ方の幅も当然増えてくる。誰もが大人気ソフトの試遊台に群がるのではなく、見てるだけで楽しみたい程度の私のようなユーザーも相当数いる。それらどんな志向にも対応できるイベントへと、そろそろ考え直すべき時期に来ているのではないだろうか。

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 そんな不満ばかりが先行するゲームショウの印象になってしまった中、数少ない収穫の一つが写真の小冊子。こういうソフトの存在に、日本のゲーム業界の懐の深さを感じられたのはせめてもの救いだろうか。