博覧強記の仕事術 | ただのオタクと思うなよ

博覧強記の仕事術


唐沢 俊一
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知識の蓄えなくして思考力は生きず

 最近多くで回っている仕事術や成功法を説く本(このブログで取り上げた分も含め)によく出てくる指摘で、私個人として非常に気になっているというか、それでいいのかと疑わしく感じていたことがあります。それは「知識は今や頭や手元に貯めておく時代ではない。Googleを使えばそんなものはたちどころに引っ張り出せる。頭は知識を貯めるためでなく、思考することにもっと費やせ」というようなものです。
 あえて著者やタイトルは挙げませんが、世の中にかなり影響を与えるオピニオンリーダーでさえ、こんな言葉を使ってはばからない。
 確かに、後半の部分は納得できます。今の日本人に特に欠けているのはこの思考力であることは。しかし前半部の、知識を蓄えることを多としないという意見には、どうにも賛同できません。それって、人間の記憶・記憶力をバカにしすぎてはいないかと。思考力と知識蓄積力が、何で両立しないと決めつけるのでしょうか。知識の蓄積なくして、思考なんて生まれるはずがないことになぜ気付かないのでしょうか。
 そんなわたしのもどかしさに、見事ヒントを与えてくれる一冊が、唐沢俊一さんの最新刊「博覧強記の仕事術」です。
 唐沢さんといえば、このブログでも新刊が出るたびに紹介しておりますが、人気テレビ番組「トリビアの泉」の仕掛け人であり、3万冊の蔵書を抱えるまさに雑学の大家。私個人、数少ない心底尊敬している書き手の一人であります。
 その、知識の塊のような人物が特仕事術は、貯めた知識をいかにアウトプットしていくかを軸にした、小手先仕事術本とはひと味もふた味も違った、知識でこの世を渡り歩く生き方指南書です。ちなみにタイトルの「博覧強記」とは、幅広い知識を強く記憶しているという意味。私としても是非あやかりたい言葉です。
 具体的な方法論という点では、自分が好きなこと、楽しいと思うことを極めることを軸に仕事を広げよとか、時間の使い方はシンプルに、アウトプットを積極的に行うべしなど、ほかの仕事術本でも見かけるものと重なる点があります。しかしそこに、オタク話(しかもややノスタルジックな方面)や落語など古典芸能、大衆文学やお笑いの世界など、多岐にわたるたとえ話や、B級知識の果たす役割やその大切さ、効率性を必ずしも良しとしない独特な知識吸収論など、唐沢流の世界観というか空気が強くだだよっており、読み流すだけでも強烈に頭に残る内容がたびたび出てきます。
 おとといこのブログで紹介した「整理HACKS!」では、本はデジタルデータにして、あとは切り刻んで捨ててしまえというようなことが書かれていましたが、唐沢さんはこれとは全く反対。マーカーも文字も書き込むなかれ、ポストイットも貼る必要なしと言い切ります。それは、知識を頭に留め置くことがもたらす、さらなる知識・興味への広がりを大事にすべしという思想からくるもので、人生に影響をもたらすような内容なら、2度も読み返せば弥が上にも記憶の中にとどまるもので、印をつけない方がその文面への集中力がかえって高まるというわけです。印をつけることは、得てしてそれだけで覚えたかのような満足感を持ち、かえって二度と見返さなかったりするものだとも。うん、確かに。
 おそらくこれは、3万冊を超える書籍を買い蓄えてきた「本をを愛する」人ゆえなのではと思います。それこそ大好きな本を切り刻むなんて、自分の身を切るに等しい受け入れられない思想ではないでしょうか。この点、私も大いに共感するところです。切り刻んで捨てるよりは、近所のブックオフに売って流通させた方がよほど世の中のためになりますし、多少お金も手元に残りますしね。むろん、どちらを選ぶかは人によるでしょうが。
 ただ、博覧強記の人を自認する唐沢さんではありますが、決して読んだ本の数をひけらかすことは是ではないとも指摘します。1カ月で100冊読むことと1冊の本を100回繰り返し読むことの優劣はつけられないと。要は何万に及ぶ本の大海を泳ぎながらこれという自分にとっての名著数冊に巡り逢えたら、それを繰り返し読めば御の字だと。
 私もちょっと人より多めに読むようになったばかりに、そうでない人を見下す感覚が少なからずあるように感じることが時折あります。唐沢さんの指摘を胸に、読書のあり方を今一度考えてみたい気持ちになりました。

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