100年に1度のチャンスを掴め! | ただのオタクと思うなよ

100年に1度のチャンスを掴め!


 今朝のニュースを見ていますと、何でもインフルエンザが大変なことになりそうだとか。こういう話となるとSF好きの私としてはつい「復活の日」などを想像してしまうのですが、まじめな話、あまり仰々しく反応しすぎるのは禁物です。どうしてもこういう話は、ひとたびメディアに載ってしまうと、いらぬ演出が入り込んでしまって、我々から真実を見極める目を奪いがちですからね。何より冷静に、いつも通りに振る舞うことが肝心です。
 こういうのは経済とて同じことですよね。昨年秋のいわゆる「リーマンショック」に端を発する急速な世界的株価下落では、「100年に1度の危機」という言葉がやたらと新聞紙面やテレビのニュースで使われ、「そうか、それほど大変なんだ」と思い込んだ方は大勢いるかと思われます。でも、落ち着いて「本当に100年に1度なのか」と、自分の身の回りを冷静に見たとき、例えばバブルの頃の自分の暮らしと比べていまはどうなのかと考えると、実はそれほど変わらずそもそも最初からそう「バブルに浮かれた」暮らしをしていたわけでもなかったりするものじゃないでしょうか。つまり株価の上がり下がりと、少なくとも自分の身の回りの実体経済とはそう過敏にリンクしていない、実際はそんなもんじゃないでしょうか。
 出ないはずのオバケに戦々恐々とせず、常に冷静な目を持って自分の次の行動を考えるべし、そう主張するのが、きょう紹介する一冊、藤巻健史氏の「100年に1度のチャンスを掴め! サブプライムローン問題後のマーケットはこう動く」です。
 冷静な目を持てと指摘する今時の経済分析書はほかにも多く出ており、概して専門家共通の認識と言っていいでしょう。何しろ新聞記者なんて経済のことなんてろくに知りませんから(私がそうでしたから)、そんなのを当てにしても一文の得にもなりません。
 そんなかで藤巻氏がいうのは、「サブプライムローン問題」を過大評価するな、ということ。所詮は技術的な食い違いが起こした失態に過ぎず、アメリカ経済崩壊の前兆でもなければ終わりの始まりでもないというわけです。この問題のとらえ方は専門家によって硬軟様々なわけですが、所詮とらえ方次第というのには一理あるでしょう。かなり楽観的とも感じますが、むろん、何が起ころうと強気を貫けという、玉砕型の主張とも違いますが。
 実際、藤巻氏の予言通りというか、この3月から4月にかけて、NYダウも日経平均もそこそこ持ち直してきており、各企業の決算発表で明らかになってきている悪い数字にもマーケットは過剰反応しなくなっていますから、最悪期は脱脂と言っていいのかも知れません。だとすれば、いわゆる「100年に1度の危機」は、少なくともマーケットにおいてはわずか半年で終わっちゃったことになります。本の中に出てくる1929年の恐慌を知るおばあちゃんにいわせれば「なあんだ、こんなもの?」といったところではないですかね。
 ただ、じゃあ今何が問題かというと、「100年に1度の危機」以前から「ずっと危機のターン」にある日本経済の危機打開策なわけです。そこで藤巻氏が掲げるのは、かねてからの持論であるインフレ待望論と超円安誘導論です。で、その環境が奇しくもこの「100年に1度の危機」の中でじゃぶじゃぶつぎ込まれた莫大なマネー(公的資金など)のおかげで整いつつあると。そこにこの本のタイトル「100年に1度のチャンス」が潜んでいるというわけです。
 ただ、話がいささか難しいせいか私の知識が乏しいせいか、どこまで実効性があるか、そのために個々人が何をすべきかというところが見えにくいんですよね。株式への投資を徐々に進めよというのは、まあわかるのですが。消費税を二桁まで上げるというのも、理論的にもちろんわかるのですが、それを実行できる政治の土壌がこの国にあるのか(政治家・有権者とも)。あまり悲観論は個人的に好みませんが、この本が指摘する理想へのハードルは決して低くないなと思わざるを得ないところに、現実の歯がゆさを覚えるものです。

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