この記事は備忘録であり、このブログを元に行政機関や現場への対応について意見を述べることは
しないようにお願いします。
情報が少ない中で決断した部分もあり、そこの配慮はお願いいたします。

1.地震発生時 
 この日は、午後3時半からの市役所担当課との会議のため、お昼に岡上こ文を出発し、別の打ち合わせを
したあと、百合ヶ丘に住んでいる理事長を迎えに行って、車で市役所に向かう途中に、幸区南加瀬の尻手
黒川道路で地震に遭遇しました。
 地震が起きた直後に停電が起き、信号も全て消える中、周りの建物崩壊が全くなかったので、これは
大丈夫だろうと思って、車を市役所に向けて発進しました。
 1kmも進むと、停電も何も復旧しない。理事長と相談して、「市役所も電話が出ないから、相当大きな地震と判断して、岡上こ文に行きましょう」と地震経過10分後に判断して、理事長を自宅まで送り届けることにしました。

2.理事長を自宅まで送り届ける車の中
 尻手黒川道路は停電の中、綱島街道の交差点に警察が手信号で交通整理を始めていました。
ここで、表通りは動けなくなると判断し、裏道を駆使して、40分掛けて走りました。車の中ではNHKのラジオを聴き、情報の確認をしていましたが、東北地方の甚大な被害は報道されず、楽観視しながら、「わくわくの子ども達は集団下校ですね」と言いながら、理事長を降ろし、電話も全く繋がらないので、とりあえず麻生区役所に向かいました。
 午後3時31分、市役所に先に到着していた会議出席者から電話があり、「市役所に防災対策本部が設置され、緊急対応者以外の一般訪問者は市役所庁舎から外に出るように指示があったので、帰ります」と連絡を聞きました。
 電話が復旧したと思って、何度も岡上に電話をしますが、結局繋がらず・・・
幸いにして、2人の子どもから電話もあり、無事であることと自宅にいた長女からは「電気も水道も大丈夫」と報告があり、理事長と「宮前の電気が復旧したから、すぐに全部復旧するよね」と、これまた楽観視。その上、田園都市線を越えたら電気が復旧していたので、二重に甘く考えてました。

3.麻生区役所で
 理事長を百合ヶ丘で降ろして、気になったので対策本部が設置されたであろう麻生区役所によることに。その間に岡上こ文から電話「岡上は停電ですが、こどもの安全は確保されています」と報告があって、麻生区役所に到着。
 麻生区役所は停電もしておらず、「災害優先電話で岡上こ文と岡上小わくわくの状況を確認したいから、電話を貸して欲しい」と電話を借りましたが、幸いにして一般電話で通話が出来たので、停電状況と子どもの安全確保の指示をして、終わり。近所の保育園も電話がつながらないと言うことなので、岡上に向かって地区の安否をとることにしまして、区役所を出発しました。
 この時点で、午後4時半頃。

4.岡上こ文へ向かう車の中
 柿生駅前を通っていたときに、踏切の警報音に気がつく。「もしかして小田急線の運転再開? やったじゃん」と、思って車を進める。麻生川を渡った途端、停電が起きていることに気がつく。
 停電は、町田市三輪からだった。ここで「あっ、岡上の送電は町田市と同じなのか?」と気がついた。やがて岡上こ文へ。案の定、真っ暗だった。

そして、「5.岡上こ文到着」に続く