岡本太郎と写真について。またそれに関連して。
べた焼き(フィルムネガを並べて印画紙に焼き付けたもの)が幾つか拡大展示されており、ファインダーを通した岡本さんの視線を追体験しているかのようだった。
パリ時代、ブラッサイ と深い友情を結んでいたこと、フランス社会学者マルセル・モースの直弟子であったということを、今回初めて知った。特に、マルセル・モースについて、マルセル・モースの思想を今に伝えるために、僕は生きなければならない。という趣旨のことを今回会場で流れていたVTRの中でも語っていた。
「私は生きなければならない」という表現を、私だったら何のために使うだろうか。
僕は子供を持たない。僕自身が僕の父であり、僕自身が僕の子供なのだ。
この言葉が好きだ。
彼の微塵の迷いもない生き方が表れている気がするから。
私の想像など及びもつかないような、途方もない創造のエネルギーを感じられるから。
創造という作業に自分のすべてを捧げていることが痛いほど伝わってくるから。
今回のVTRにこのように発言する岡本さんの姿が映っていた。
見た時、ずんと来て目頭が熱くなった。
別に、私自身が子供を持たない主義だというわけではない。
1930年代、岡本さんを含む日本人三百~四百数名が留学生活を送っていたフランスに興味がある。私はフランス語を学んだこともなく、フランス文化にあまり興味を抱いたこともないけれど、その当時のフランスだけは知りたい。
岡本さんの写真で一番好きなのは、沖縄の風景と人々。この写真は少ししか飾られていなかった。次は写真集を買おう。
余談。昔勤めていた会社の事務所は、南青山の岡本太郎美術館の真裏にあったにも関わらず、一度も足を運ばなかった。その後何かの折に立ち寄ったのだが、結局時間がなくて館内を見ることはなかった。敏子さんが「是非ご覧になってください」と声をかけて下さったのに。心残りだ。