旦那、別人にならはったなぁと良く思うが、例えばまったく謝らなくなった。
付き合いだした時はすごく私の事を気にしてくれて、「大丈夫?」「ごめんね」が多かった。
なんてイギリス人ぽいんやろう、と内心微笑ましく思っていた(旦那は英仏ハーフ)。
今は、日常のミスでは絶対に謝らない。
些細な事こそ、言い訳の前に軽く一言「あ、ごめん、それは・・・」と添えて欲しいのだが、
旦那からしてみれば些細な事だからこそ謝れだとか責められる筋合いはないらしい。
それをある日、やはりフランス人の旦那がいる友人に愚痴ると、
「まぁ、言っても〇〇の旦那、フランス人やしなぁ」
と言われ衝撃だった。
そうか。
そうかもしれない。
私は親戚や友人含め、恵まれていただけで。
旦那も最初はそういう人だったし。
でも、確かにフランス人は謝らないのかもしれない。
争いごとを避けるために、さらっと謝れる日本人。
一方で、謝るのは非を認めると言う屈辱的な行為でもあるフランス。
文化的な部分もあるのか・・・
と納得しかけるが、いやいや、我が子たちにはそうはなってほしくない。
少し前(まだ私が夫婦関係の修復作戦を始める前)、私がキッチンにいると、隣の部屋で遊んでた息子がお弁当用のピックをどうやら割ってしまったらしい。
旦那が、「ほらな、お母さんも割れるしやめときって言ってはったやろ」と言っているのが聞こえてくる。
と、少しして旦那がキッチンに来る。
「え、割った事、あやまらはった?」
聞くと、旦那、少し驚いた顔をして、考えてから、
「えっと。ううん、謝ってはいない。けど、申し訳なさそうな顔してはった」
と答える。
いやだからそう言う事ちゃうやろ!!
すぐに息子の所に「ピック割ったん?」と確認しに行く。
そこで、きちんと、プラスチックは割れやすいし、怪我する可能性もあるし、そもそもこれオモチャちゃうし、遊ばんといてって言ってたよな、と説明する。
んで、割ってしまったのはもうしょうがないけど、「ごめんなさい」は言おうな、と言うと、息子は泣きながら謝った。
そんな息子が可愛くてしょうがなかった。
その後ふと、その数日前に言い合いをしていた時、旦那に
「だからそれはごめんって言ったやろ!!」
と逆切れされてものすごく驚いた事を思い出した。
『ごめん』を私は待っていた件なのに、急に、既に言っている事にされていた。
(あぁ、あの時旦那は、悪いと内心思っただけで謝ったつもりでいたんや。)
そう、妙に納得できた。
ただ、旦那の事は手遅れとしてどうでもいいが、やはり教育上、子供にはきちんと言葉の大切さは教えたい。
なので、例えば息子が外でおやつを落としてしまったりする時に、「ごめんなさい」を言うように教えた。
(旦那は落として自分が悲しんでるねんから言わせなくていいと最初言ったが、私がそう教える事自体には反対しないでいてくれる)
やっぱり、そのおやつは私が買って、どっかでCO2を排出しながら製造され運ばれたもので、そのままゴミになるわけだから。
今では、息子は食べ物を落とすと、すぐに申し訳なさそうな顔をして「・・・ごめんなさい」と言う。
そんな息子が愛しくてしょうがない。
「まぁ、うん、しょうがない!」
と笑顔で答えてあげる事ができる。
ちなみにだが旦那はありがとうも見事なほど言わなくなった。
だからまぁ、よっぽど、私に愛想つかした結果やろうなとは思える。
もしこれから旦那が「ごめん」と「ありがとう」をまた言えるようになったら、
それは私に対する感情の変化の一つの判断基準になるなぁ、なんて冷めて考えている自分。
その日が来るかは分からないが、今、きちんとごめんなさいが言える息子はただただ愛しい。