皆さんのブログを読んでいると「同じ病気でも色んな違いがあるんだなぁ」と思って、私はこんなだったよビックリマークってのを書いてみることにしました。
おそらく、ほとんどの人が生まれつきではなく途中から腎臓病になった方々だと思うので、小児はこんななんだぁほうほうって思ってもらえたら良いと思いますかお
「病気と共に」というブログタイトルで、病気のこと、
病院のこと、家族のこと、友達のこと、学校のこと(これが1番大変でした・・)を書いていきます。

音譜今日はここまで音譜
「たまの腎臓じゃだめなの?」




まず私がこれだけは”良かった”と思えること。
それは、病気になることは間違いなく不幸なことなんだけれども、その中でも私は”生まれつき”であったこと。これは病気になった中でも幸運なことだったと、小さい頃から思っていました。

私は小さい頃から非常に活発な子どもでした。
一番得意なことは・・・運動だったら何でもできるんですけど、あえて言うと、鉄棒と、跳び箱と、そくてんと、逆立ち・・・ですかねにひひビックリマーク
病気が発見された4歳の時には既に、
逆上がりや前周りを連続でぐるんぐるん回ってました(笑)

の病気が発見されたのは、3歳くらいのときに行われた保育園の尿検査がきっかけです。
と、言うまでもなく、私にその記憶は一切ありませんあせるあせる
母親から聞いたり、小耳に挟んだり(笑)したことを頼りに書いていきます。

尿検査でひっかかって、再尿でもひっかかるのですが、宮崎市内にある病院に行き血液検査をして看てもらうと血液検査の結果は正常なんです。
発見されるまでに3ヶ月くらいかかった(1ヶ月だったかな!?)そうです。
そこで、腹部エコーを撮ることになりました。
エコーを撮り始めてしばらくして、お医者さんから出た言葉は、


「あれ?腎臓が無い・・・」

腎臓だけが3ヶ月の赤ちゃんのまま大きくなりませんでした
原因不明です。
・・・・まぁ、おおよそのことは”原因不明”ですよねにひひあせる

病名は


先天性形成不全腎

慢性腎不全です。

良いのか悪いのか、親的には「いきなりそんな話されても・・・」って感じだったそうですが、このときのお医者さんが物事をかなりはっきり言う人で、「この子に未来は無い。透析をしても長くはないだろうし、将来は腎移植するしか生きていく道はない。お父さんと血液型が同じなので、お父さんの腎臓を貰うことになると思います。」そう言われたそうです

両親的には、
先天性形成不全・・・・・・??????慢性腎不全???????え  え   え      えっっっ???!!!!!ちょっとまって、透析????!!!!!はっ???!!!!移植?????!!!!!!!!!!!!え、話についていけないんだけど!!!!!!!!!

だったそうです汗「この医者は何を言っているんだろう」と。

見た目は至って普通の4歳の女の子。
でも、この子の身体の中には今まで耳にすることもなかった病気がある。
その日、病院の食堂で父と母は泣きながらご飯を食べたそうです。(注文したけど喉を通らなかったんだっけな?それか食べる気起きないから注文しなかったんだっけな??←)
お母さんはともかく、普段泣かないお父さんが泣いている。
泣いてるお父さんに向かって、
私は、

「お父さん、どうしたの?何で泣いてるの?どっか痛いの?」

と、けらけらと聞いたそうです。
子どもって・・・・・・凄いですよねかお汗


ここで、ちっとばかし両親の説明をすると。
私の両親はとってもアクティブな人たちなんですアップ
スポーツマンとかじゃないんですけど、追求心があるというか。
私は宮崎生まれ宮崎育ちなんですが、母は北海道出身なんです雪
かなり短縮して説明すると、母の家庭環境が複雑で、北海道から出来るだけ遠くに行きたくて、たまたま宮崎出身の父と出会い、行ったことも無い、知り合いも誰もいない宮崎と言う土地で結婚した、という人です。
父は、元自衛隊、その後、新聞社のカメラマン(もうこの辺がかなりぶっとんでるw)、ロサンゼルスでTVカメラマン、宮崎の民放局のTVカメラマン(何気に宮崎の都市伝説を生んだ番組を作ってたりするにひひ)、現在不動産という・・・・・・非常にぶっ飛んでやがってる人で、間違いなく私もこの血を受け継いでます。まぁ・・・・腎臓も受け継ぎましたがキラキラにひひキラキラ


こんな感じで、ある意味日本や世界を股にかけて生きてきた両親なんで、「宮崎の病院が言うことなんか信じられない!!いきなりそんな重い病気にかかることなんて無い!!!」と先生の言葉信じなかったし、私の病気を受け入れることもしませんでした。
でもこれが、良い病気生活(?)を送れることになったきっかけです。

病院の先生に、「他の専門の病院でも看てもらいたい」と言い、東京にある腎臓で有名な小児病院を紹介してもらいました。
このときのことは、少しだけぼんやりと記憶に残っていて、東京に行くんだけど、全然楽しみじゃなく、むしろ不安だったのを覚えています。

この小児病院で看てもらった
結果は同じで、やはり慢性腎不全でした。
もうこれは受け入れざるを得ないですよね。

でも、この病院の先生が、「わざわざこんなところに来なくても」って宮崎にいる腎臓専門の先生を紹介してくれたんです。
宮崎市内からは遠く2時間くらいかかる場所にいる先生なんですけど、小児移植を専門に行っていたDr.です。
「宮崎で有名な先生だから、発見したお医者さんも知らないわけないと思うけど」と言われたようです。
後から聞いた話なんですけど、私の病気を発見したお医者さんは、同じく慢性腎不全の子どもがいたらしく、そのお子さんは亡くなっているそうです。だからか、私を自分の元で看たかったんでしょう。後は、医者としてのプライドもあったと思います。
「俺の言ってることが信用出来ないなら、東京の病院行ってみろよ。どうせ同じこと言われる。」と。
別に悪い先生ではないですよ。母は苦手だったようですがあせる
一生懸命な証だと思います。

まぁ、そんなこんなあって、この宮崎市内から2時間離れた田舎にある病院のDr.との出会いが、良い移植を行える要因となりました。
でも、2時間もかかる場所です。そう毎回は通えません。
悪くなるまでは発見された宮崎市内の病院で看てもらうことになりました。

「将来どうなるかわからないから、やりたいと思ったことを出来るうちにめいいっぱいやらせてあげよう。運動もいずれ出来なくなっていきます。今のうちにいっぱいさせてあげてください。」

これが宮崎市内のお医者さんの治療方針でした。
自分で言ってしまいますが、私はかなりわがままに育てられましたあせる
小児で病気にかかった子どもはだいたい甘やかされてますけどねあせるあせる
欲しいものは何でも買ってもらえたし、もう本当・・・大草原で育った箱入り娘です(笑)
尽くるだけ尽くされました
でも小さいながらに、「病気だから」って言うのはわかっていたので、そういう親を拒否することは無かったです。

医療ミスってわけでは無いんですけど、病気発見前か発見後か、いつかもわからないんだけど、「これ飲んで良くなった子がいる」って宮崎市内のお医者さんに利尿剤を出されたそうです。
でもわたし、ちょっと特殊なタイプの腎臓でして、今まで出会ったことが無いんだけど、”水が出るタイプ”の腎臓なんです。
なので、水分制限も無かったし、むしろ「水は飲め!!」「塩分取れ!!」でした。たんぱく質は駄目でしたが。
のようなタイプの子は、それが赤ちゃんでった場合、哺乳瓶(ミルク)に塩を入れて飲ませるそうですかおナイフとフォーク
・・・・・・で、結果は言わずもながなんですが汗
利尿剤を飲ませた結果
、極度の脱水症状に陥り、意識もうろう、歩けなくなったそうですあせる
ちょうどそれが保育園の遠足(と言っても徒歩5分以内の公園とかですが)のときで、先生におぶられて帰った記憶が僅かにあります。
おんぶしてくれたのが若くて奇麗な女性の先生で、私その先生が好きだったんですラブラブ
身体きついし、先生たちあたふたしてるし、でも嬉しかった思い出もあります(笑)
もしかしたら、おんぶしてくれたの別の先生だったかも知れないのですけど。
そしたらちょっと悲しいですねしょぼん



私は4人兄弟の3番目で、6歳上と4歳上の兄がいます。(病気発見時はまだ妹は生まれてなくて、5人家族と”たまちゃん”と言うメス猫1匹でした
病気がわかってから、兄2人に私の病気を伝えました。
治らない病気であること、だんだんと普通の生活が出来なくなっていくこと、透析のこと、将来はお父さんの腎臓をもらうことになること。
それを聞いた、1番上の兄(当時10歳)が母にこう言ったそうです。

「たまの腎臓じゃだめなの?」

その発想は無かった!!!!(笑)
子どもは純粋で癒しですね。
私の母はだいぶ天然入ってる感じなんで・・・

「それじゃ足りない・・・」

と答えたそうです。
まぁ、足りないですね(笑)


私には病気が発見されたときの記憶が無く、それで苦しんでる親の姿も知らないです。
私が知ってるのは、いつでも必死で頑張っていた強い母の姿だけなので。
その時、兄は10歳と8歳だったので、兄は当時の状況を覚えてはいると思うんですけど。
いつか機会があったら聞いてみたいと思っています。
でも、聞いたら泣いちゃいそうですねしょぼん




今日はここまでビックリマーク
最後の「たまの腎臓じゃだめなの?」は、私がアニメを作る上でキーポイントになる言葉です。
またアニメに対する想いは別で書こうと思いますが、辛いもの、悲しいものをただただその通りに演出するのが私は嫌いなので(そんなこと誰にでも出来ると言うか・・)、こういうユーモアを入れたアニメを作りたいな、と思ってますニコニコ

次は私の小学校生活を中心に2回(もっと多くなるかも!?)くらいにわけて書いていこうと思います。
完全に教育問題、人権問題です・・・
子どもたちはわかってくれるのに、大人たちはわかってくれない!!!!
病気を持っているだけで、学校に通うことすらもこんなに大変な思いをしないといけないのかと。
結果、養護学校に行くことになりましたし。
その辺りを書いていきます。



読んで頂きありがとうございました音譜ニコニコ音譜