こんにちは。さくらみるくです。

最近、アメブロへの投稿がとても難しくなっています。

何十回トライしてようやくできるかできないか、という状況で

事務所に問い合わせても解決しません。

いろんなやり方を試しています。

うまくいきますように。^^


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例えば、「怒り」の感情を抱いたとします。他にも不安や悲しみ、憎しみなどのネガティブで不調和を引き起こす感情を抱いたとします。このエネルギーは、心に発生したその瞬間に細胞が受信して細胞自体を変化させていくのです。


信じられないことかもしれませんが、私達が心に抱いた感情のそのままを細胞は受け止めて動き始めるのです。


私達の体に炎症が発生して、その発生元である感情など、意識の問題が変えられないままになっていると、毒素を放った細胞が固まり始めるのです。そして、これは潰瘍という状態になります。


その状態になっても引き続き、意識の問題が変えられないまま「意識の不調和」をクリアにできずに固執していたり何かを手放せないでいたとします。すると、私達の体は、潰瘍から肉体を守ろうとして自ら固い壁を作り始めるのです。


ブログ更新しました。


感情エネルギーが肉体に影響している。
http://sakuramiruku.seesaa.net/?1369879411

師である澤谷鑛先生のブログで、「身心脱落」という言葉が語られていました。
永平寺を開いた道元禅師が若いころ、悟りを開いた時のエピソードの中で語られる言葉です。
道元禅師は、その時隣の僧に向かって語られた「心塵脱落」という言葉を「身心脱落」と聞きました。
聞き間違いだったのですが、その間違いにより道元禅師は悟りを得たと言われています。
http://kizunanohousoku.blog34.fc2.com/tb.php/2030-7c9fda5d


「身心脱落」と聞くと、
「ただ、わが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる。」(「生死」)
という、美しい美しい言葉が思い出されます。読むたびに、あまりの美しさ、自由さに呆然とさせられます。

わたしにとっては、この言葉こそが「身心脱落」を意味しているように感じられるのです。


自分の力で悟ろうとするのは努力であり力み。どれほど努力しようともそんなものは所詮は欲であり功利心であり、自意識のこだわりに過ぎません。そんなところにこだわっている限り、どれほど時間をかけたところで悟りなど得られようもない。最初の努力の前提になってしまっている、そのこだわりを捨てねば始まらない。


即ち「ただ、わが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて」と、いうことなのでしょう。

「身も心も放ち忘れる」。これは、大変なことです。それは、自分に死ぬということだからです。体を忘れ心も忘れる。そこに心を留めない、執着しない。つまり、こうしたい、あれがほしい、こうあって欲しい、あれは正しい、こうでなければならない等々、すべての思いを捨て、そうしたすべての判断に死ぬということです。これは、人にとって一番難しく恐ろしいチャレンジなのだと思います。


「完全に身を委ねて仏の方から与えられる扱いに身を委ねよ」と勧められますが、これもまた、自分自身を握っている間は、大変難しく、また怖いことなのでしょう。

自分を握らせるのはエゴの仕業であり、それを放つことなどエゴには想像もできない。そしてエゴは、自分が生きながらえるために、「自分を手放すことは死ぬことだ」とわたしたちに非常な恐怖と抵抗を感じさせて、
わたしたちを偽装するのですね。


本当はそんなもの捨てようが殺そうが、わたしたちは決して死ぬことなどない。むしろ、それまでエゴによりがんじがらめに縛られていた本当の命が、その時こそ自由になり解放されて、生き生きのびのびと流れ始めるはずなのです。


メルマガ「生まれてきてくれてありがとう~心痛むあなたへ~」の

バックナンバー 第395号( 2012年 7月23日 発刊)より。


全文はこちらから。

http://sakuramiruku.seesaa.net/article/363258172.html


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「すべての人が、奥深いところで実はひとつにつながっている」
というと、まるでスピリチュアルな発言のように聞こえますが
これは、ユング心理学の基礎となっており、彼は
「人間の無意識は個人に所属するものではなく、全人類に共通でありつながっている」
といっているのですね。


エゴは、自分が一人で生きているかのように錯覚させる。
そしてエゴは、自分の存在を証明しようとしたり、
自分の支配を、どんどん広げていくことに一生懸命です。
エゴが支配すればするほど、それは癌細胞が正常な細胞を押しのけて増殖していくようなものであり
エゴが増大すればするほど、感覚的な満足感はあっても、そもそもの命は弱っていく。


「ああ、そうか」と膝を打つ感動を、一生生きていきたいと願います。
それは、エゴである思考が外れて、命が豊かに流れ始める瞬間です。
心の癒しも体の癒しも、その豊かな生命の流れの中で起きていくのでしょう。
自分自身の豊かな命の流れの水脈をどう掘り当てるか。
どうやってその、豊かな豊かな流れを溢れさせるのか。

それは、思惟によって自分の内側、奥深くにつながっていくことであり
そのためには、常に騒ぎ立て続けるエゴを、黙らせなければならないのでしょう。



エゴを暴走させる様々な抑圧感情を抜いていくカウンセリングは、
もしかしたら、その人がご自身の内側の豊かな水脈を掘り当てるための
前準備に過ぎないのかもしれません。


自分のしているカウンセリングの本当の目的は、そんな手前の満足にはなくて、
もっと奥に入っていくこと。
その方がご自身の本質に、源に辿り着かれるお手伝いをこそ
わたしは、したいと願っているのかもしれません。


その方の中に、紛れもなく流れている、汲めども汲めども尽きることのない
力強い命の流れを掘り当てて、それが石油のように噴き出して
その人の人生をそっくり塗り替えていくのを見たい。
それが、わたしの願いの根源にあるのかもしれません。



そしてそれは、わたしの中に溢れたいと願っている命の流れが
そうさせようと、わたしを突き動かしているのだと感じるのです。
わたしの中の命の流れが、相手の方の命の流れを妨げているものを取ろうとしている。
取ろうとすることで、自らも解放されたいと願っている。

そこにあるのはただ、溢れたいという命の純粋な意志のみであるように感じられてきます。

すべてを識っている潜在意識、共通意識の膨大な領域の深い海。
その中には、人類が生まれた時の記憶から、地球が生まれた時の記憶まで
すべてが含まれているという説もあるほどです。


確かに、そうでなければ、人類が国や言葉の違いを超えて、こんなにも共通の記憶を持っていることなどありえません。
これは、大変な神秘です。どこまで追求しても追求しきれない。
限りなく好奇心をそそられます。

でも、それら潜在意識、共通意識の更に奥深いところに
潜在意識も共通意識もすべて貫いて流れている命がある。


何もかもがひとつ。
何もかもが、つながっている。
すべてが、ひとつの大きな命なのだと、感じられてくるのです。


ありがとうございます。



メルマガ「生まれてきてくれてありがとう~心痛むあなたへ~」の

バックナンバー 第394号( 2012年 7月21日 発刊)より。



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