日本の将来を考える。

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日常の気になったことを書き連ねていきます。
過激な発言からどうでもいいことまでありますが、気にしないでください。

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今、多くの受験を控えた中3生が夏期講習に行っている。

夏期講習を受ける際に何を基準にその塾を選んだだろうか。

1.合格実績

2.生徒の数

3.友達の紹介

4.内容

5.評判

これが主な基準になってくるはずだ。


しかし夏期講習の勉強は、今後の受験に大きな影響を与えてくるから、確実なものにしなければならない。


いまさらだけど、間違った塾選びの方法を紹介します。

上記の1~5のどれもが実は間違いである。


1.合格実績

生徒ひとりひとり違うものがある。

他の子供が上がったからと、自分の子供も同じように上がるわけがない。

合格者がたくさんいるからすごいわけではない。

全体の受験生のうちのどれだけかを考えよう。

合格実績にこだわる塾は、塾のために無理やりレベルの高い高校を受けさせようとしてくるから要注意。

子供の希望高校を意識しない可能性もあり。


2.生徒の数

確かに多いほうがいい。

しかし生徒数が多すぎて、クラスわけて講習をする塾は要注意。

うまい先生をトップクラスに配備して、下のクラスは実力不足の先生を配備する可能性がある。

生徒の数が多い塾は、先生も生徒を把握できない可能性あり。

目立つ子供はいいが、目立たない子供や自己主張が苦手な子供は相手されないこともある。


3.友達の紹介

親同士の紹介はきっかけとしてはいい。

子供が友達がいるからと行くいう理由は、絶対にやめたほうがいい。

目的が遊びになりやすく、おしゃべりや手を抜くことになりやすい。

塾での友達は、塾で作れる。

塾では、塾の友達を作らせることが大切。


4.内容

どの塾の夏期講習も、全力でやれば確実に力がつく。

大切なのは、自分に求めている内容に力を入れている夏期講習かである。

親はほとんどが内容を言われてもわからない。

むしろ親が勘違いするような内容を塾側がしてくる。

だからいろいろな説明を受けても、実は意味がない。

するなら、要望や疑問をどんどんぶつけて聞いたほうがいい。


5.評判

評判がいいと、成績が上がるわけではない。

良いうわさは、成績が上がった親からは簡単に聞ける。

悪いうわさは、辞めた親から簡単に聞ける。

先生としての意識を見極めることが大切。



このような感じである。

塾選びで大切なのは、先生を見ることである。

どのような先生かというと、子供のことを考えている先生かである。

金儲けを考えている先生は、話を聞けばいいことばかりを言う。

ようはプロの営業マンである。

いかに消費者に物を買ってもらうかを考えているので子供のことを、二の次としている。

子供のために指導する先生を見つけること、それが塾選びで一番大切である。


私は原発廃止賛成です。


東京で大規模な反原発のデモが行われた。

確かに民衆が上に対して、声を上げることは大切だ。


反原発は大切なことだ。

しかしもっと重要なことがある。


原発を廃止したらどうなるかということだ。

原発がなくなると代わりの発電をどうするのか。

火力発電を動かせばいいという声が聞こえそうだが、それで済むのだろうか。


現実問題とし、火力発電の多くが老朽化している。

いつ緊急停止してもおかしくない。

もしこの夏、古い火力発電が立て続けに稼働停止になって、電気が足りなくなったらどうするのか。

ついこの前も、九州で火力発電の緊急停止で電力が不足しそうになったことがあった。

それを考えると、古い火力発電所は非常時に使えるくらいにして、常時稼働は控えたほうがいい。


そして原発をなくすと、燃料費が今以上に増える。

それは電気代の上昇につながる。


今回の東電の問題で、いくつかの電気代の問題点が出た。

しかし、不必要分料金を引いても、足りないと思う(東電以外で)。

だから電気代が上昇することになる。

沖縄電力は本州より電気代が高い。

沖縄電力に原発はない。

それからも上がることが、十分考えられる。


今すぐにやるべきことは、原発廃止ではない。

地震には原発は十分対応できる。

東北電力の女川原発は東日本大震災の時の避難場所として、活用していた。

今すぐやるのは、原発に代わる強力な発電方法を早急に考え、実用化することだ。

それができたら、すぐに原発を廃止する。

それでいいのではないか。


もし水力発電のダムのあるところで大地震が来てダムが決壊したら、下流の人の命は奪われる。

もし火力発電のあるところで大地震が来て火災が発生したら、大規模な火災につながる。


反対するのは簡単だが、その後のことを考えてほしい。

原発反対と言っている人、感情論ではなく先を見て考えてほしい。

教育委員会は必要だろうか?

大津のいじめ事件を見て、そう思った。


もっと適切な人間をメンバーにするべきだと思う。

特に上層部の人間は公立の学校関係者の定年後の居場所となっている。

これがまずおかしい。

学校教育に関わる委員会ならもっとメンバーを選ぶ必要がある。


学校関係者の相談役としては一人くらいは先生にかかわった人がいてもいい。

しかしそれ以外をわざわざ先生にする必要がない。

例えば、成績の向上では学校の先生より、塾のほうが上手だ。

校内暴力では警察や弁護士のほうが適任だ。

子供たちの心の教育なら、それにかかわるNPOやボランティア団体のほうが慣れている。

スポーツではスポーツ指導者が指導に関してはベテランだ。


私の地元では、教育委員会が率先して挨拶をしようと取り組んでいる。

挨拶に取り組むことは大切だ。

地域の防犯にもつながる。

だから挨拶は必要だ。


他にも地元の小中学校で先日、教育委員会主導で独自の学力調査を実施した。

このテスト聞こえはよさそうだが、実はやる意味がほとんどない。

昨年も夏休み前に実施された。

しかしその後、冬休みに再度同じ問題で学力調査した。

その時は学校側が、同じ問題を徹底的にやらせて答えを覚えさせることをした。

その結果、多くの生徒が満点を取った(当たり前の話だ)。

そして満点が多かったという結果だけを見て、子供たちの学力が向上したと喜んでいた。


単なるあほな調査である。

単なる満点が増えて喜ぶ教育委員会と、無理やり満点を取らせて自己満足な先生のため見たいなものだ。

こんなことで喜ぶ教育委員会はなくていいと思う。

なぜ新卒は簡単に仕事をやめるのか。

私は子供の時の育て方が大きいと思う。


子供が塾に行く。

しかし子供が、「塾の勉強が大変だからやめたい」という。

親は、「じゃあ大変だからやめようか」と簡単に受け入れる。


勉強とは、子供にとってつらく大変なことだ。

そのつらくて大変なことを、親はやめることを簡単に認める。

すると子供は、つらかったり大変だったりしたときは、やめれば解決するということを学習する。

他にも、つらいことや大変なことでも、嫌だったらすぐに逃げられることを学習する。


大人になったらつらいことや大変なことは、子供の時の比じゃないくらい出てくる。

そんなときに、子供の時に学んだことが出てくる。

つらいことや大変なことはやめればいい、逃げればいいということが。


子供の時に学んだ考え方は、大人になっても出てくる。

親が子供に簡単に逃げ道を与えてしまうと、気付かぬうちに逃げ出すことを学ばせてしまうことになる。


子供のことを本当に思う親なら、逃げることを教えてはいけない。

逃げずに乗り越えられるように、助けてあげることが大切だと思う。


一度、だれか調べてみてほしい。

仕事をすぐにやめた新卒の人に、子供の時につらいからや大変だからという理由で、塾や習い事をやめたことがないかを。

もうすぐ土用の丑の日。

うなぎを食べる人のためにスーパーや飲食店ではウナギがメニューに並ぶ。


しかし、そのウナギの値段が高騰しているらしい。

ウナギの稚魚の収穫量が少ないことが原因だ。


ウナギを食べたい人にしたら値上げは困ると思う。

だからお店は、努力して値下げして売ろうとする。

その努力は、仕入れ元に強いることが多い。


仕入れ額を抑えれれば、価格を安くできる。

だから、より多く仕入れることができるなら、安く買うことができる。

これは、何でもそうだ。

大量に仕入れることができれば、コストはかからないから安くできる。


だが、今は買う側が無理やり下げていることが多い。

むしろ下げさせることを当たり前のようになっている感じがする。

無理やり下げさせるために、提供する側が身銭を切っている状態だ。

ある程度の規模があると、会社の暗黙の了解で従業員に強いることができる。

しかし個人でやっていると、そのオーナーが休みを返上して働いたり、オーナーの収入を減らしてでもやらなければならなくなる。


この流れが続くと、10年20年後が大変な事態になるのではないだろうか。

親のきつい姿を見ている子供が、後を継がずに会社に就職する。

そのため、個人店は跡継ぎがいなくなり、経営ができなくなる。

会社に就職するのはいいが、ハードな勤務と安い給料で働かされる。

給料では、生活するだけで精いっぱい。

貯金に回せる余裕がない。

子育てが終わっても、貯蓄がない。

脱サラするにしてもお金がない。

定年まで働いても、定年を過ぎたら働くことができなくなり、生活が出来なくなる。

残るものは、お金がたくさんある人と、その人に最期までこき使われる人の2つにわけられた状態だ。


不平等な取引、限度を超えた低価格競争、ルールを守った雇用。

会社はこれを守ってほしい。

無理な行動はこの先、自分の首を締めることにつながる。

<最低賃金>11都道府県で生活保護給付水準下回る

というニュースを目にした。

働く意味って何だろう。

必死に働くよりも、楽にお金が手に入る生活保護。

生活保護を受ければ、医療費もタダになる。

ほかにもいろいろ安くなる特典がある。

働かないほうがいいじゃんという話になる。


生活保護をもらえる額は、生活保護を受ける人が決めているのではないかと思えてくる。

自治体が減らすと言ったら、生活保護受給者は減らされたら生活できないという。

最低限度の生活ができないという。

それを言われると自治体は簡単に減らすのをやめる。

結局得するのは、生活保護受給者だけだ。


私は提案したい。

一度生活保護を全員停止してはどうだろうか。

そして再度、生活保護を受けたい人は生活保護の申請する。

そのさい、銀行などの民間業者に協力してもらって、本当に申請した人に生活保護が必要か審査すればいい。

個人情報保護法があるからできないというなら、改正してしまえばいい。

生活保護を受ける際の審査には個人情報保護法の対象外になるようにすればいい。


国民の三大義務のひとつに勤労の義務がある。

誰もが知っていることだ。

義務をやらない人に、権利はいらない。

まず義務を果たすべきではないだろうか。


そして人間長生きをしすぎるものではない。

生活保護をもらって、医療費が無料になるからと自由に治療を受ける。

医者は医療費が自治体からもらえるから文句を言わない。

生活保護をもらいながらの長生きは、単なるわがままにすぎない。

長生きするための治療もする必要はない。

まともに働いている人は、お金がかかるからと治療を断念をしている。

生活保護をもらっている人が、自由に治療を受ける。

何か間違っている。

今の中学校3年生が、高校を出て大学に行き就職する。

または高校を出て就職する。

そして会社に入った2~3年後を考えてみた。


一昔は学力は3つにわかれていた。

トップと、中間と、下位の3つだ。

今はそれが、2つにわかれている。

トップと下位だ。


点数が取れるなどのトップではない。

学習する力のトップだ。

目安はこのような感じだ。

自分から高いところを目指して、自分から求めて勉強していくトップ。

ある程度のアドバイスを受けながら、ヒントをもらいながらの勉強していく中間。

言われたことしか勉強しない下位。


今は中間層が少ない。

トップの人間も減っている。

言われたことしかできないならまだしも、言われたことしかやらない中学生が増えている。

ようは、指示待ちの状態だ。


誰かに指示してもらわないと行動できない。

指示がないから行動しない。

これは、普段の勉強姿勢から見えてくる。


みんながやるから自分もやる。

みんながやらないから自分はやらない。

面倒だからやらない。

やる気が起きないからやらない。

このような姿勢の中学生で学力が伸びる生徒は少ない。

なのに、この層の中学生がとても多い。


このような中学生は、一昔前は大学に行かなかった。

高卒で就職したり、専門学校に行ったりしていた。

そのため、必死に勉強して大学に行って、大卒となった人との能力差や仕事差があった。

そのため、会社の立場の違いが容易にできた。


しかし、今は下位の層まで大学に行く。

その層は、大学に行くことで、プライドだけが強い傾向にある。

しかし、能力が低いから指示されたことしかできない。

だから、自分から行動できずに待つだけになる。

上司からの指示待ち社員の完成である。


このような人が、新入社員が来たときに指導できるだろうか?

指導をしたとしても部下に教えることが満足にできない。

なぜなら、自分で考えることができず、指示された言われたことしかできないからだ。


そのような社員が増えると、将来が怖くなる。

将来のことを考えると、子供のうちに勉強していく姿勢について指導をしておかなければならないのではないだろうか。

日本が昔のように戻るには、時間がかかるかもしれない。

しかしそれができた時には大きな力ができると思う。

交通死亡事故多発非常事態宣言なるものがわが市で出された。


その宣言でどのような取り組みをするかというと、以下のことをする。

・交通死亡事故撲滅決起大会の開催

・関係機関・団体と連携し、交通安全運動と交通安全指導を実施

・啓発チラシの回覧

・防災無線・広報車による街頭呼びかけ等の広報活動

・老人クラブ連合会への呼びかけ

・交通安全施設の点検と対策の要請

・通学路の点検と交通安全教室の開催


交通事故で自動車同士の事故の場合、大半がどちらかの車に大きな原因がある。

急ハンドルに急停車、信号無視などだ。

私も知り合いを交通事故で亡くしているが、その事故の原因は加害者側の信号無視だ。

亡くなった知り合いは、安全に運転していたら、信号無視の車にぶつけられた。

車同士は、運転手が過信せずに気をつけて運転すれば、交通事故による死亡は大きく減らせるはずだ。


問題は、自転車と自動車による事故だ。

事故をしたら日本では、まず車が悪くなる。

自転車が信号無視をしてきても、それを事故をする車が悪くなる。

車に気をつけなさいという考えだ。

これは大きく間違っている。


気をつけなければいけないのは、自転車側である。

自転車は、自動車との事故になったら、大けがや死亡につながる可能性がとても大きい。

自転車に乗るときは、いかに自分が危険な走りをしているかを自覚していれば、自動車との事故は減らせる。

なぜなら、自分が危ない運転をしているから、事故にあいやすい。

事故に合わないように、自分から自動車が来たらよけようと思うようになる。


それだけで、自転車と自動車の事故は減らせる。

自転車側が無謀な運転をすることが事故につながりやすいからだ。


交通死亡事故多発非常事態宣言をだしたからといって、事故は減るだろうか?

事故は減らせるわけがない。

集会をして事故が減ったら、みんなやる。

広報を流して効果があるなら、常に流せばいい。


もっと現実的に減らせるようにすればいい。

自動車同士は、運転手が安全に気をつけ、ルールを守ることようにすることで事故は減らせる。

自転車と自動車の事故によるは、交通事故死は減らすことは可能だ。

自転車側に厳格にルールを定め、自転車の過失を増やすことで、事故を恐れるので減らせる。


自転車側が明らかに問題なのに、自動車側に罪をかぶせることは事故の撲滅にはならない。

いじめはする奴が馬鹿だ。

それだけにしか生きがいを持てないから、馬鹿だ。

馬鹿だから、頭の線が外れている。

頭の線が外れているから、いじめることに対して悪いと思わない。

悪いと思うことがなく、いじめは快感になる。

快感を自分に与え続けるから、いじめを続ける。


いじめは、自分勝手な行動だ。

いじめは、人の気持ちを考えない自分勝手な行動だ。

いじめをする人間は、人間性に貧しい人間だ。


人間性の豊かな人間は、いじめの先に何があるかが理解できるから、いじめをしない。

人間性の貧しい人間は、その場の快感を得るためにいじめをする。


いじめをする人間は、年とともに世間から外れていく。

世の中で強いのは、いじめを耐えた人間だ。

いじめを乗り越えれば、人間強くなる。

いじめを乗り越えれないと、弱いままだ。

自分でいじめを解決することで、大きく成長できる。


さあ、自分はいじめられていると感じている人たち。

いじめをする人の相手をやめよう。

もし物をなくされたり、何か汚されたりした場合は問答無用で警察に被害届を出そう。

弁護士にも相談してみよう。

時間やお金はかかるかもしれないが、それ以上の価値を手に入れらるぞ。

時間がない理由は何?


中学生に聞くと、忙しいからと答える。

それは間違いだ。

無駄なことに時間を使っているからだ。

一つ一つのことに時間を決めて行動すれば余裕が出る。

時間も決めずだらだらやったり、途中で関係ないことに時間を割くから時間がなくなる。


みんなが持っている時間は、必ず同じだ。

ある人だけ一日あたり1時間長いなんて言うことは、決してない。

自分のスキルを高め、時間を効率よく使うようにしていくことが大切だ。


それは親が子供に率先して教えていかなければならない。

他人の任せるのでは、親が無責任なだけで、子供はその親の姿勢を真似していく。